ルクルシオンによる客観的な乙女ゲー世界における主人公の悪影響の指摘がされた。
まぁ、いまさらオリヴィアが本来のゲーム主人公ポジションに戻ることはないだろうから、その役割からの解放という流れが妥当だろうけど、その場合はまず主人公が「この世界はゲームである」という思考から解放されないとだめじゃなかろうか。まぁ、物語はまだこのあともずっと続くようなのでダラダラと主人公は攻略法知ってる安全圏でゲームモブを続けるのかな。
フォークダンスDE成子坂に思い入れがなかったのでなんともだけど、企画意図からすれば死後の世界なのだろうな。
お笑いとアニメの融合というのはいろいろな作品で試みられてきたけれど、まだまだ発展の余地はあるなぁ。
その中で放送作家やお笑い芸人自身の役割は大きいけど、コントロールしやすいのは前者かも。
現世では実際に活版印刷と宗教改革がつながっていたので、神官の心配もごもっとも。子供向けの絵本も始まりは宗教改革のころであり、富裕層や聖職者からの知の解放というのは世界を大きく変えてしまうパワーがあることで、それをビブリオマニアの子供の欲望で動かされてしまうのは恐ろしいことかも。
ボルシチが本格ロシア料理かどうか微妙な世界情勢になるとはスタッフも思っていなかっただろう。
と思ってみると、なかなか誤解を生みそうなサブタイトルだ。
ヒーラーの医療行為の制限として治療はともかく、診察についてはどうなんじゃろ。烏丸先生は医師免許も持っているので問題ないだろうけど。
イメージとしては医師が診察し処方箋を書いて、それに従いヒーラーが治療を行うのかと思っていたのだが。
もっとファンタジーな世界観なら気にならないけど、制度がどうのとか言われるとなんとなく。
勇者の過去がわかってちょっと面白くなってきた。悠久の時を生きる設定は面白いけど、それを実際に「という設定」だけではない「あぁ、こいつは1000年生きてるのだなぁ」と思わせる表現するのは容易ではないだろう。
魔王倒した勇者を人類が排除したのって、虐げられていた市民が魔王による世直しを期待してたからなんじゃなかろうかと思った。
そして勇者が人類を救うのは製造時にプログラミングされたものとすると、本人が勇者やめるといっても自由意志では制御できず「魔王による世直しを助けることが人類を救うことである」というプログラムの判断によるものかも。
サンダーウーマンの声優といったら由美かおる。
こういうシンプルな声優話の方が感じるものがある。斉田さんのはわざと不安を煽って追い込んだって感じなのかな。ほのかの場合はその方がキャラの心情を理解しやすいという判断とか。結果そうなっただけかもしれないが、それだと斉田さんが不器用すぎる。
ここまで1話ごとに新しい展開があっておもしろかったけど、今回で第1巻分の内容なのか、基本設定を使い切っちゃった感があって次からどうするのかと。
「アカリを利用しようとする奴らと闘いながらアカリの殺し方を探す旅」って感じなのだろうけど、またコレまで以上の新しい展開が続くと良いなぁ。
シェンムー、名前は知っているけど内容知らなかった。原作ゲームも3作目まで出てるのだなぁ。
中国武術の達人に父を殺された武道家の復讐劇という昭和感ある話なのかしら。まぁ、実際昭和の話だけど。
赤兎馬って本名ではないだろうからオーナー待望の三国志ファンなのかな。KABEは龐統みたいだけど、関羽や張飛相当のキャラが出てこないのは一騎当千みたいに三国志をなぞっているわけでもなく、軍師の部分を全面に出しているからか。となるとラスボスとして司馬懿仲達格のキャラも出てくるのかしら。
ヒロインも悪役令嬢も王子たちも結局ゲームの中の役割を真面目に演じているだけなので、主人公だけがゲームのバグとしてクズっぷりを発揮してる感。
多少状況が変わってもヒロインはヒロインとして振る舞うし、悪役令嬢は性格が悪いし、王子も地位を失っても心が変わることはない。マリエはプレイヤーキャラなので行動の自由度がある。ゲームのプログラムは柔軟性を見せつつも強固か。
すっかり倍速視聴に慣れてしまった。アルヴィンが想像以上にポンコツだったので、逆にカーラの面倒臭さが消えて倍速視聴なら困り顔のカーラが可愛く見えてくる。
そして倍速視聴しているのにサブタイトル確認するためだけに一時停止する気にはなれない。
まず北極星を探してからこぐま座やカシオペ座を見つける逆転技。2等星の北極星(ポラリス)がシリウスみたいに輝いていたので、もしかして別の地球とか数千年後の世界とかそういう設定なのかもしれない。
「取り違え」という設定が状況設定にだけ使われて血縁とかそいうものが妙に軽く扱われていることに違和感も。
そして主人公の片思いの女の子がほぼ登場しないので、主人公が婚約の話を断りたい理由付けだけに存在しているような感じも。