Annictサポーターになると広告を非表示にできます。
普通


とても良い

有馬記念に、大阪杯と勝ち切れないレースが続くキタサンブラック。周りのライバルと比べて、目立った走りの強みがない自分に不安になってしまっていたけれど、だからこそ成長の時。ナイスネイチャやスピカのみんなの助言を受けたキタちゃんは、その身体の丈夫さを活かして、春の天皇賞に向けたハードトレーニングに挑むことに決めた。

一方のサトノダイヤモンドは、クラシックデビューの皐月賞に向けて、仕上がりは上々であとは勝つだけ!というばかり。合宿前のキタちゃんと互いの目標に向けて「お互い頑張ろうね!」と交わした言葉は、高め合う二人の関係をアツく感じさせるものだった。

しかし、キタちゃんは大きな壁にぶつかっていた。ブルボンに課されたトレーニングのノルマをなかなか超えられず、成長のスランプに入ってしまったようで、精神的にも「もうダメかも…」と漏らしてしまう程に行き詰まっていた。

だけど、そんな時にキタちゃんが思い出したのは、「お互い頑張ろうね!」と約束したダイヤちゃんのこと。そして、変革をきっかけを掴もうというキタちゃんは、気付けば皐月賞レースの中山競馬場へ向かっていた。きっと、そこにはダイヤちゃんの勝ちレースを見れば、自分も奮起できるという思いがあったように見えていた。

ところが、皐月賞のダイヤちゃんは敗北に終わってしまった。それでも、彼女は「ダイヤモンドはどのような困難にも砕けることはありません」とブレることなく、迷いとは無縁に前を向き続けていた。そんなダイヤちゃんは傍目から見れば毅然とした態度のように見える。

とはいえ、「必ず勝って見せます」と宣言していたことを知っているキタちゃんの目には、ダイヤちゃんも内心では、悔しさはもちろん、レース前の強気の宣言を果たせなかった恥ずかしささえ抱えているかもしれないという風に映っているようにも思えた。だから、キタちゃんはただ強くなりたい!というだけではないダイヤちゃんの姿。すなわち弱さを抱えながらも表に出さず、強く前だけを見据える姿に、強い強い力を貰えたのだと思う。

そんな単純に強くて目標になる先輩ウマ娘からは得られないエネルギーが、挫折を経ながらもへこたれないダイヤちゃんにはあった。さらに、ダイヤちゃんはは親友ということもあり、キタサンちゃんは余計に彼女はに共感できて、それと重なるように「私もへこたれていられない!」と壁を超えることができたのだと思う。

だから、キタちゃんが勝ち取った春の天皇賞の盾というのは、精神的に強くなったキタちゃんだけでなく、キタちゃんとダイヤちゃんの二人の絆がもたらしたものでもあるように感じた。特別な相手がいるからこそ湧き出る感情が、成長の大きなヒントなのかもしれない。



良い

宮内の日常といったエピソードだけど、同時に特に壬氏にとっては想像も付かない宮外、華街の日常というものを猫猫の化粧によって実感させられることに……。



良い

商売、というかそれ以前に根回し無双なカオルちゃん



良い

ブレイズの「私たちはどれだけ信頼し合えるんだろうね」という言葉に込められた、ロドスと近衛局の協定への半ば疑問符のような言葉には、単純にはいかない世界を憂いているように聞こえるものだった。そして、さらに現状を作り出している価値観が、この先も続いていくとは限らない不安定さのことも指し示しているように聞こえていたし、まさにそれが表出するエピソードが展開されていった。

なんとかロドスと近衛局を振り切って撤退することができたファウストとメフィストたち。ファウストはなんとか逃げ出すことができたという安堵のような感覚すらあったが、一方でメフィストは悔しさと憎悪を募らせて、アーツでレユニオンの兵士をゾンビ化させていく始末。

メフィストは「それを僕らのためだ!」と言うけれど、ファウストにはそんなこと認められない。ファウストが望むのは結局のところ、ただの善良な平和なのだ。

かといって、メフィストが望むのもまた平和、平穏なことに違いはないことも事実。だがしかし、メフィストにとっての平穏というのは自分やファウストだけのとても狭い領域の話で、そこにレユニオンの兵士たちは含まれない。本当に身近な世界以外は信頼することのできない「か弱さ」が、メフィストをそんな暴虐へと駆り立てていたのだ。まさにここにあるのは、価値観の裏返し。

そして、戦場では新たな刺客も現れる。民間人も構わずに感染者を殺戮して回る黒装束の一味の正体というのは、リンの率いる近衛局の特殊部隊。チェンのような正義の体現者がいれば、そんな冷酷にも悪辣さを極めた正義の執行者もいる近衛局の一面は、正義の価値観を問うているようにも見えていた。

そんな中でメフィストとファウストたちは遂に追い詰められてしまう。ファウストはメフィストと数人のレユニオン兵士を生き残らせるために、自らの命を削ってアーツで転移させ、一人戦場に残る。そんな仲間想いの姿には一点の悪もなく、ただの心優しい人でしかなかった。そして、最後に近衛局の兵士から数多の矢に射られようというファウストの姿は、ただただ弱々しい存在にしか見えなかった。

強者が弱者として映し出され、正義が悪として、悪は正義として描写された顛末には、この荒廃した世界で誰の正義を信じればいいのかと思わせられるものだった。



良い

レユニオンのスノーデビル、フロストノヴァの襲撃は圧倒的だった。その中でフロストリーフは負傷して動けず……、だけど彼女は仲間たちのために一人で敵を食い止めようする。

そんな姿はまさに「仲間のために…」というロドスの信念の現れであり、だからこそアーミヤは「仲間は見捨てない…!」とフロストノヴァ相手に食い下がる。

それに対して、フロストノヴァもアーミヤのとこを「戦士の目をしている」と敵ながら讃えていた。そして、そうやってアーミヤの実力と信念を認めたからこそ、フロストノヴァも手加減抜きにアーツによる攻勢を強めたように見えていた。それは、「仲間を守る代わりに、お前は死ねるか?」と言いたげなように思えるものでもあったし、事実アーミヤたちは徐々にフロストノヴァの氷結攻撃に遅れを取り始めていた。

だけど、そんな時にアーミヤの仲間を想う信念の真の強さが目覚めた。一時はフロストノヴァの攻撃をまともに食らってダウンしていたフロストリーフが、フロストノヴァのアーツを乱し、アーミヤたちは窮地を脱することができた。そんな風に仲間を結束させる強さというのが、アーミヤの掲げる「仲間を見捨てない」という信念の本質であると感じさせられるフロストノヴァとの一戦だった。



良い

近衛局のチェンたちはとある一報を受け、アーミヤたちを残しながらも撤退することに。そんな去り際をロドスの隊員に、所詮は余所者かと嫌味を付けられてしまうチェンだった。

さらにその後、チェンは諜報員のファーがレユニオンの襲撃を受けているという通信を得るが、すぐ傍でそれを聞くホシグマにとっては、目を掛けていたファーが自分の知らぬところで危険な諜報員に任じられていたことには怒りしかなく、隊長といえどもチェンを責め立てずにはいられなかった。

この二つの場面から浮き彫りになるのは、チェンはあくまでも近衛局の隊長の立場として、時にリアリズムを伴う決断を下さなければいけないということ。そのためには、時に協定を結んだアーミヤたちを戦場に置いてがなければいけないし、部下を危険な任務に送り出さなければいけないこともある。

そんな葛藤を抱える中で、チェンとホシグマは太古プラザの奪還へ向かう。そこで共闘する二人だったが、レユニオンの捨て身の道連れ攻撃によって瓦礫の下敷きになりかけたチェンを、ギリギリのところでホシグマがその瓦礫を支える格好に。もう保たないというところで、ホシグマは「隊長だけは行ってください」と言うけれど、こんな時に限ってチェンは「お前を見捨てられない」と言う。

散々と隊長という立場に沿った、現実的な決断を下してきたチェンだったけれど、その内心では「これでいいのか…」というアンビバレントな感情もあった。だから、チェンは「アーミヤたちにしたようなことを二度もしたくはない」と言って、むしろ自分を守るために負傷したホシグマに代わり、一人単独でレユニオンを迎え撃つことを選んだのだと思う。

そして、そんなチェンは決して隊長であることを放棄したわけでもないように思う。それまでのチェンが隊長という立場に基づいた合理的な判断を下していたのならば、今のチェンは隊長というスピリットに基づいた仲間を守るための決断を下していたように感じさせていた。



良い

近衛局ビル奪還作戦、立ちはだかるのはレユニオンの指揮官・メフィスト。彼の能力はレユニオン兵士を死なないゾンビのように操るもので、まるで部下を人として扱わない戦い方はそれだけ強固でもあった。

そこに単身で挑むチェンはというのは、そんな非道な戦いを本心では望まないだけにか、メフィスト相手にも苦戦を強いられる。手段を選ばない悪が正義を上回ろうという光景には、歯ぎするようなもどかしさと理不尽さがあった。でも、だからこそチェンも手段を選ばず、自らの命を削る赤霄の剣を抜こうとしたのだと思う。

しかし、そんな間際にロドスが駆け付け、アーミヤは「生きて成すべきことがあります!」と言って、チェンにその諸刃の剣を抜かせないための支援攻撃を加える。そして、一気に劣勢に立たされたメフィストはファウストに率いられて撤退。ロドスと近衛局にとっては敵を取り逃がしたものの、作戦成功を掴むこととなった。

そして、それはまさに正義の勝利を意味するものでもあったと思う。レユニオンの部下の命も顧みずに駒として扱うメフィストの強靭さに対し、チェンはあくまでも自らの犠牲で挑むという誠意を見せた。さらに、そこにアーミヤたちという別組織ながらも協定を結んだ仲間の援護で打倒した。こんか荒んだ世界でも、正義がまだ肯定される余地があるという光景には、希望すら見えてくるようだった。



良い

チェルノボーグでの戦いにて、ミーシャを自らの手で殺せなかったことは、アーミヤの心に「自分は誰も救えない」という傷を残していた。そして、あの時ミーシャに手を下すことができたチェンと対比して、アーミヤは自分の正義はただ怒りや憎しみに動かされるままのものでしかなく、そこに確固たる覚悟がないと感じさせられてしまっていた。

だけど、そんなアーミヤを見かねたドクターが肯定の言葉をくれた。そして、彼からの「アーミヤの迷いは色々なものを背負っているからだ」という言葉に、アーミヤも「自分なりの正義のやり方も間違っていなかった」と思えているように見えていた。

そんなアーミヤの「チェンさんも私と同じなのかもしれない」という呟きは、彼女にとって正義の執行者としてあるべき姿を体現しているチェンも、自分と同じで迷いをどこかに抱えているのかもしれないという共感でもあった。そして、それは徹頭徹尾に完璧な正義だけが正しい正義というアーミヤの捉え方を変えるものであり、アーミヤの大事にしてきた優しい正義も立派な正義のあり方と確認するもののようでもあった。

だからこそ、新たに浮上した移動都市で消息を絶った潜入部隊の援護任務にも、アーミヤは「ロドスは仲間を絶対見捨てない」という相変わらずの信念のもとに乗り込んだのだと思う。ただし、今までと違うのは、チェルノボーグに関わる葛藤を経た今のアーミヤは、その信念に対して優しさだけじゃなくて、自分の正義を強く信じる強固さも備わっていた。



良い


普通

なんかやたら生々しいけど、許せてしまう謎の空気感がある



とても良い

ダービーでのドゥラメンテの遠すぎた背中を思い出したキタちゃんが思うのは、自分はスターにはなれないんじゃないかということ。幼い頃に見たテイオーの走りに魅了されて、「いつか自分もああなりたい!きっとなれるはず!」と信じて走ってきていた。だけど、所詮、憧れは憧れにすぎないということなのか。そこにキタちゃん自身の自信は付いてきこなかった。

そんな時に舞い込んできたのは、宿敵ドゥラメンテの骨折のニュース。菊花賞でのライバルの欠場は、まさに目の上のたんこぶが取り除かれたというもので、思わずキタちゃんもライバルの不幸をチャンスだと内心喜んでしまった。

でも、それは憧れのトウカイテイオーみたいな輝いたウマ娘とは正反対の姿で、一番なりたくないかっこ悪い自分がそこにいた。そんな不甲斐ない自分に悔し涙を抑えきれないキタちゃんの心中は、どんどん憧れから遠ざかっていく自分への虚しさと、そこで踏ん張ることのできない自信のなさでいっぱいだったように見えていた。

それでも、ネイチャはそんなキタちゃんのかっこ悪い姿もズルいところも全部ひっくるめて、共感して認めてくれた。かつて自分がそうだったように、そういう邪念も「勝ちたい!」という思いの現れだから、むしろそれが自分自身なんだと胸を張って貫き通すことで純粋な「勝ちたい!」へと昇華させてしまえ!というエールを先輩のネイチャはくれていた。

そして、キタちゃんは憧れだったりスターになりたいだったりと常に誰かの視線を気にすることを止めて、ただゴールだけを見据えて自分らしい走りを突き通すように吹っ切れた。

それはきっと、一番になるためには「憧れ」という他人の軌跡の人まねでは果たせないということなんだと思う。ただただ「勝ちたい!」という思いに従うことで、次第に「勝てる自分」になっていくことができるし、さらにその結果として誰かを夢中にさせる唯一無二のスターにもなることができるのだと思う。そして、菊花賞を勝ち取るレースを走りきった時、キタちゃんはまさにそういう存在になっていた。



普通

ステージオーディションの音響とアフレコが上手すぎる……オーディションっぽさと下手さすごい

上手くなったとこでも本番ステージっぽくなくて、あくまでもオーディションステージっぽい音響なのすごいな………びびるわ



良い

不穏な空気が満ちるカレッジ



良い

らしくないノリがおもしろすぎる

水遁の術とかいうおもらしからのらしくない嘘泣きとか何、ゲラ笑いだが



良い

ヘルベチカさんに牙を剥くアンジェちゃんかわいすぎ
サーシャさんとの母性談義も萌え楽しすぎる

そして、イリヤスフィールみたいな女の子が……



とても良い

禪院のニキの乱入に、火山頭の参戦、そして宿儺の降臨というだけでも圧巻なのに、それらの強さのぶっちぎれさにただただ言葉を失う…………

特に夏油ガールズは宿儺を前にしても胆力は見せていただけに応援したかったけれど、呆気なく殺されてしまった姿に理不尽さ極まるものだった

それにしても1期でごじょ先にびびり散らかしてた火山頭はここまで強かったのか……、宿儺相手にもあの落ち着きようとやはり格が違う………

ここまでの呪術廻戦はただの超作画アニメでおもしろみに欠けていたけれど、こんな怒涛の展開を見せつけられて驚きと共に高揚感、そして畏怖が詰まる思い



とても良い

負けから始まったキタサンブラックのクラシック戦線。ドゥラメンテの圧巻の追い上げには、どこか気が抜けてしまうような感覚もあったし、悔しさよりも先に驚きのリアクションをしていたキタちゃんもきっとそう感じていたように見えるものだった。

だけど、次のダービーは負けられない。キタちゃんの憧れのウマ娘・トウカイテイオーも勝ったレースで、自分もその栄冠が欲しいと張り切っていた。だから、ダービーは他のウマ娘以上にキタちゃんにとって大事なレースで、まさにキタちゃんのための舞台。

G1の舞台に自信を持てずにいたところを、サトノダイヤモンドに「自分らしく走ればいいんだよ」と言われて、キタちゃんが自信を取り戻せたのも、まさにダービーが自分らしさの詰まった舞台だったからということのようにも思えるものだった。「ダービーはお祭り」という言葉も、まさにダービーがキタちゃんのためのレースということを暗示させるもので、夢はもうすぐそこ…という気すらしていた。

だけど、ダービーの4コーナーから最後の直線。キタちゃんの適性には不利な坂が行く手を阻む。そして、圧倒的な実力のドゥラメンテ、そしてサトノクラウン…と、みるみるうちに他のウマ娘たちがキタちゃんを追い越していく光景には、どこか力が抜けてしまうようにして涙腺から涙が溢れ落ちてしまった。

結局14着で終わってしまった一生に一度のダービーは、夢のあっけなさをまざまざと突きつけてくるものだった。そして、そこには悔しさの涙というよりも、情熱の行く先を失ってしまった喪失感にも似た涙があった。



普通

無難な1話の滑り出しといった感じか

白組のセルルックアニメーションはなんというかお手本みたいな感じで、他3DCGアニメスタジオ特有のクセがないかつ、超絶ハイクオリティといった感じ
とはいえ、頭身とか完成されすぎた動きにかえってやや違和感はあるかも



良い

強さを手に入れるためにスターダストとの戦いを強いられるシャイだけど、優しい彼女は人を殴ることができない。

スターダストはそんなシャイのことを共感力の強さの分だけヒーローとして弱いと言い、逆に自分は誰にも流されないくらいに共感能力のない自分は冷徹で強いと語る。

確かに誰かを守るヒーローとしては、シャイは弱いかもしれない。だけど、スターダストからひたすら殴られ続けても負けを認めず諦めないシャイの姿にも、確かな強さのカタチがあるように見えていた。さらに、それは小石川さんからの必死な叫びを受けて、「私の名前を呼んで勇気をくれる人がいて、だから私は頑張れる!!」とへこたれないシャイの姿にも現れていた。

そして、そのシャイの強さというのは、純粋でまっすぐな正義の心。スターダストの言うように、そんな人のことを微塵も憎まない心には、敵に対して抗う力はないかもしれない。だけど、スターダストの冷徹ささえも優しさと捉えてしまうシャイの純粋な心というのは、誰にも流されないスターダストの心を温かい正義の方向にまで動かすものだった。

だから、シャイの純粋な心の強さというのは、敵を打ち倒すものではなくて、むしろその敵さえも優しさで包みこんで正義に変えてしまうもの。そんなシャイの優しさの強さこそが、もしかしたら真に世界中に平和をもたらすものなのかもしれないと思わされるようだった。



良い

SHYの受け売りセリフではしゃぐ小石川さんがかわいすぎた



良い

SHYもといテルのクラスに転校してきた小石川さん。そんな彼女の痛めた脚というのはテルにとって、自分がヒーローとして小石川さんを助けきれなかった負い目として突き刺さるものだった。しかし、彼女が語るのは「この脚はSHYが助けてくれた証」ということで、その言葉にヒーローSHYのテルもどこか救われたような面持ちに見えていた。

だけど、そんな心明るい小石川にも内に閉じ込めた心の闇があり、そこに付け込む”何者”かが彼女を襲った。そして、小石川は幼い頃に火事から自分を救った代わりに両親が帰らぬ人となった負い目、「私なんかが救われなければ、誰も傷つかない…、私が死ねば…」という闇が表出させられた。

確かに大切な人を失った代わりの今の自分を許せないという小石川さんの思いも理解できるし、そんな状況や運命から自分を救ってくれる人がいなかったことへの行き場のない悲しみや憎しみにも共感できる。

だけど、「私なんか助けないで」「あの時、助けてくれなかったヒーローが憎い」という小石川さんをSHYは救う。それは誰かを助けることを恐れていたSHYを、その小石川さんこそが肯定してくれたから。そして、ここでSHYが救うのは、ただ憎しみと悲しみを暴走させた小石川さんだけでなく、そんな小石川さんに至らしめた彼女の抱える「助けを求められなかった心」なんだと思う。

こうしてSHYはヒーローの自覚を強めたわけであり、「人の心を明るく照らす」というヒーローの使命も今一度確かめることになった。今回のこといえば、翻って自己破滅に陥ってしまっていた小石川さんの優しさを明るく照らして、本来の「自分以上に誰かの無事を祈る」小石川さんの心を取り戻したのだと思う。



良い

してやったと思ったら、実は先回りされていて……という
シャドウもといジョン・スミスにとっても、商会にとっても、シャドウガーデンにとっても……。



普通

先週の展開を思い出させてくれるような説明台詞がもうちょい欲しいわね、しかしフェイくんはいい感じにヒール風味も帯びてきてるわね



良い


123
45
Loading...