「組織の中にいる個人」という本筋をガッチャマンサイドと国民サイドの一見対比に見せ隠れた共通項を物語の進捗と共に魅せる描き方がとても上手く、
上が有能が故に部下たちは自らで思考する意識を薄れさせたり不足したコミュニケーション、肝心な場面で優柔不断になってしまうガッチャマンサイド。一方で上が無能であるが故に自らの役割や立場を振り返りできることを思考したり協力する国民サイド。
直接戦地に赴いて実働するガッチャマン(手帳)とSNSを用いて任意によって遠隔から操作し援助を行う国民(GALAX)など…そんな両陣営が平行線として進んでいた中ではじめという人物が2つの組織を手繰り寄せ併せる際に起こる摩擦をストーリーに組み込んで進めていて、構成の美しさをとても良く感じた。
またはじめという人物の見せ方がとても良く、楽しいことや苦しいことやたとえ道筋が決まっている事でさえもふと立ち止まって1度考え俯瞰する物事を多面的に見る視野と思考をとんでもマインドと同時に持っていて、清音との掛け合い(電車の席を譲るシーンや一時停止不注意の車のシーン)にさりげなく盛り込んでいた。またガッチャマンとして動く際に使え武器にもそれが使われていて、清音は斬新に豪快に一刀両断する「刀」。初めは同じ刃物でも繊細な使い方ができ、道具と併せれば継ぎ接ぐことのできる「ハサミ」を使っていて、それを後半に回収してくるこれもとても見事だった。そんなはじめに動かされ過去や停滞した現在から成長するキャラクターたちのクローズアップもとてもよく出来ていた。
また今作でヴィランとして扱われているカッツェのキャラクターもとても良く使われていて、自らが堂々とした悪として振る舞うのではなく人間の繊細な心の隙間に漬け込み「僅かに存在する反乱の意識を持つ人間」を増大させるきっかけの要因として位置していた。ストーリーにキャラを巻き込むのではなくキャラを動かすことでストーリーに変化をつけるそんな構成を作っているのは間違いなくカッツェという存在が緻密な計画と行動によりアクションを起こしている設定を作りこんでいるからだと感じる。
またこの行動がこの物語の中に撒き散らされていた『大衆統制・誘導』のこの作品が持つ美学を表に出すきっかけに繋がりガッチャマンと国民の組織内バランスを改めて考える要素にもなっていた。
例えば総理大臣を使った国民の統制を取るシーンなどは、ネット民が総理を叩く→総理が本音を撒く→本音を聞くことで総理に対して抱いていたフィルターが剥がれる→「すがやん」の愛称で壁が完全に撤去され上と下がひとつになる。のこの構造の構築があまりにも卓越していて、その前にガッチャマンの団員同士の団結シーンを入れることでより大きな組織である日本という国の統制を1人の人間の元でとっているというスケールを対比的に見せるシナリオもまた技ありであると感じた。
またそこから累がGALAXで呼びかけ国民を募り、集結した国民が自らゲームを催す形で立川に集結しガッチャマンと共に立ち向かうこのストーリー展開はここまでの踏襲と成長を現すシーンでとても胸が高なったし熱くなった。
またこの作品のサブテーマである「ヒーローや正義の所在」についても”これ”と言った明確な存在がある訳でなくみんながそれぞれ掲げる物を総称したものであり、そんなバラバラな理念を今作で「ガッチャマン」というひとつの焦点を作り人々をまとめる。ここまで要素を上手く使えていたと感じた。
初め平行線として表現した両陣営を繋ぐはじめという人物がラスト尻ポケットに手帳とスマホを同時に入れるシーンでヒーローとしての立ち位置にいたガッチャマンが国民達に認知、公認され地球外生命体とその一味達をも対等な我々として取り込むことで今までの一連の出来事をメタへと昇華するラストシーンもまさに完璧だった。
組織内の統制や大衆誘導、その中に生きる個人の扱い方や個人が持つべき理念や心理状態など。大衆統制の完成形態のようなアニメだった。
この令和の時代にこそ見るべき紛うことなき名作だった。