梅雨(つゆ)、エアコンのない部室では捗らないので部長のお家へ。全然関係ないですがワンタンが雲呑(諸説ある?)なのをわりと最近になって知りました。ものが変わらなくても言葉を知ると違ってみえて、言葉は不思議です(ほんと関係ない話…)。
日本家屋とDIYがそういえば結びつかない要素で、真新しく感じて面白かったです(とはいえひとさまの部屋をじっくり見るのもなんとなく気が引けて薄目に見てました。せるふの部屋やぷりんの家はそんなに気にならなかったのですが、なんででしょうか、今回はそんな気分になりました)。
お金になる、売り物になるとはどういうことなのか、時折考えます。部長はせるふに(売り物にするのだから)もう少し丁寧にと言いました。自分のためのものよりも、もう少し丁寧に。ものを作るのは楽しいからです。お金にならなくても、もの作りは楽しいものです。完全な商品に比べたら、ハンドメイドのこれらの品は粗もあれば、生産性にも劣っています。お気持ちでもらった材料(不要になったものや拾ったもの)から作っているので再生産もできません。しかし、売り物で、自分が満足できればそれでいいだけのものとも違います。それが、波打ち際みたいだったと思いました。「つまらないものですが」は(値段が元々ついていても)値段がつかないものですね。
部長の生焼けクッキーは、やっぱり風通しが良いほうが見ていて心地いいので、誰かの指摘があったほうが心地よかったと思います。指摘してほしかったと思いました。でももしそうなってしまったら、それって梅雨っぽくない(じめじめしてない)ような気もしていて、波打ち際の感じもなくなってしまうような気もしていて、一番そういうことをはっきりと言いそうなジョブ子のリアクションがキャンセルされているので変じゃない感じもしていています。