イクニ作品の代表とも言えるアニメ。
90年代アニメは総じてシリアスとギャグがかなりごちゃまぜだがウテナはそれが特に顕著。
しかも、シリアスは比喩多め、ギャグはシュール系と輪をかけて分かりづらい方向性。
王道から外れている作品なので正直人は選ぶ。だが、その分、ツボにハマったときの威力が凄まじい、0か120かの作品。
とにかく音楽と美術の出来がよく、そういった「視覚の美しさ」を求める人はハマりやすいかも。
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最後までみたけど結局のところなんだったのか…もう訳が分からない。理解できない…これが女児向けアニメとして夕方放映されていたのも、ちゃおで連載されていた事も含めてもう理解の範疇を超えているというか。。まじでなんなんだ…誰か教えて欲しい。『かしらかしら、知ってるかしら』と癖つよめの音楽とか、不気味すぎる‼︎
だけど、1〜30話まで観たその先に『いいアニメだなぁ』とこうなる訳だ。だがしかし、もう一度見直すことはしたくない
[生徒会編]
彼女とエンゲージすると「世界を革命する力」が与えられると言われる「薔薇の花嫁」
鳳学園生徒会のメンバーでもあるデュエリスト達が繰り広げている決闘ゲームの優勝賞品である。
失われた王子様の力の結晶たる「ディオスの剣」を体内に宿しており、彼女とエンゲージしたデュエリストのみがその剣を抜く事が出来る。
物語開始時点では西園寺が彼女を“所有"していたが、西園寺がウテナに敗れた為、その夜から寮内のウテナの部屋に移り住み、ウテナに仕える事を告げる。
決闘で女の子を奪い合っているという事実に憤慨し、アンシーを運命から解放してみせると息巻くウテナの様を、従順に振る舞いながらも冷ややかに見ており、稀に酷薄な素顔を垣間見せていた。
冬芽に敗れたウテナの元を一旦は離れるが、再び立ち上がったウテナのひたむきさに、かつて自分が愛したディオスの姿を一瞬、重ね見てしまい、自分でも思いがけず、ウテナに加勢していた。
[黒薔薇編]
千唾馬宮を新たに薔薇の花嫁の座に据えようと目論む御影草時の繰り出す「黒薔薇のデュエリスト」達に命を狙われる事となる。
だがそんな事態すらもあまり気にならないのか、この時期は何故だかいつも眠そうにやたらとあくびや居眠りばかりしているアンシー......。
実は御影の傍らにいる馬宮はアンシーの変装した偽物である。眠そうにしてたのは一人二役で忙しかった為。
[鳳暁生編]
ウテナと共に寮を離れ、兄・暁生の居る理事長室に移る事になる。
「十年後も笑って一緒にお茶が飲める友達になろう」と言うウテナに徐々に心を開いていっているかの様にも見えるが、一方で暁生に誘惑され、籠絡されていくウテナの様をどこか突き放した様な表情で眺めてもいた。
また一時期、理事長室に居候していた七実に暁生とまぐわっている姿を目撃されている。
兄妹二人で立派に近親相姦を極めている。
翌朝、何食わぬ顔で普段と変わらず、七実とウテナに接する兄妹に、七実は背筋を凍らせる。
「怖すぎる......こいつ」
「どうもどうも」
[黙示録編]
影絵少女達の演劇「薔薇物語」で明かされたその正体は、かつて民衆を守る事に忙殺されていた王子様を守る為に、王子様を封印した「王子様の妹」
王子様の妹なので、世界中の女の子の中で唯一、お姫様になる事が出来ない。
王子様を封印した事で「魔女」と罵られ、民衆の憎悪を一身に受ける事となり、常に百万本の剣にその身を買かれる痛みに耐えている。
だが、彼女がそうまでして守った王子様=ディオスはいつしか純粋なひたむきさを忘れた大人となり、世界の果て=鳳暁生と成り果て、暁生は失われた王子の力を取り戻す為に、ひたむきな若者達=デュエリスト達による決闘ゲームを仕組んだ。
妹を救う為でなく、自らの野心の為に。
暁生とアンシーの関係を知り、打ちひしがれながらも、それでもアンシーを運命から解放する王子様になる事を改めて決意し「世界の果て」との決闘に臨むウテナ、
だがアンシーはそんなウテナを....後ろからブスッと。
アンシーの意識革命の物語だと説明されたらそれが一番しっくりくるのはそう。
この作品の見どころは、社会によって「女の子」にかけられた呪縛とそこからの解放というテーマを、ストーリー構成やキャラクター設計といったさまざまなレベルで重層的に表現していること。ウテナの男装も、アンシーの従属と解放も、旧態依然とした男性キャラも、GL要素も、全部そこに繋がっている気がした。
総じて前衛的だけど分かれば面白い作品という感想。1周しただけではなんだこれ状態なのだがとはいえ2周3周とするのは腰が重いとなってしまうのは私のせい...?
登場キャラ達がどうにも好きになれない
特にアンシー