新海節が強烈に炸裂している本作品。絵、音楽、物語、キャラクター性、すべてにぬかりなく、至高の作品。終わり方も視聴者に展開をゆだねるような描写で、これまた新海誠の本懐を感じられる。
新海誠はただ単に男女の恋愛を描こうとはしない。そこに、時間や距離の概念を織り交ぜる。本作品においても、「入れ替わる」という点、その上、圧倒的な遠距離でいながらも、過去と現在を行き来し、未来を切り拓いている。
新海作品の魅力と言って良いであろう結末だが、これまた現実性を大いに帯びたものとなっている。瀧と三葉は結ばれるという描写を明らかにしていない。その上、瀧と三葉それぞれがそれまで誰とも恋を実らせることはない。
家族という視点においては、差異が見られる。瀧の家族には母親がいない(監督曰く、「離婚」)。一方、三葉は母親を小さくして亡くし、その上父親は絶縁のような関係性、加えて妹・祖母と暮らしている。男のみの家族、女のみの家族、このような点は色々と考察を深める意味があるだろう。
糸守の壊滅となる最大要因の隕石だが、これには皮肉的な意味が込められていると考えられる。一見すると果てしなく綺麗で美しいものだが、このように被害対象となった側からすると、とても憎いものと見てしまう。これに、瀧の暮らす都会・三葉の暮らす田舎という対立構造が、物語を巧みに表現している。
我々はこの作品から、人生というものに見つめ直す良い機会を得ることができるのではないか。大人と子供、男と女、都会と田舎、父親と母親、愛と憎、美と醜……人間を構築するあらゆる二項対立が本作品から感じ取られ、そしてそれらについて考える。幸いなことに、人間は考えることのできる生命体である。
そして、人間は他者と関係を築く生き物でもある。その中で生まれるのは、本作品でも言及される「縁」である。自らで生きているつもりが、知らぬところで誰かに支えられ生きている。いつの間にか忘れかけていたそのことを再び思い起こさせてくれる、素晴らしい作品である。
人間は過去に戻ることができない。未来に行くこともできない。現在を生きることしかできない。しかし、過去を振り返り、未来に活かすことはできる。本作品では過去と現在が入り混じり、超越的な関係性が生まれるが、現実世界ではそのようにはできない。そのことを忘れずに、現在を後悔のないよう生きねばならない。
(恋愛というのはその先に、一生にも近い時間を共にすることができる未来、悲しいことに共にすることができない未来とが待ち受ける。ただ、たとえ短い時間でも、たとえ距離が遠くとも、心を通わせ、互いに愛を確認しあった瞬間がある。どのような未来が待ち受けようとも、そのことだけは忘れてはならない。過去を過去とし、その時の感情を無下にするのではなく、その感情を抱いたことを振り返り、現在と未来に活かすことが大切なのではないだろうか。)