「チート」がキーワードになっている割には普通に修行したりして、ジャンプ的王道に沿った筋になっている。
正直話としてはあまり面白くないが、問題は主人公達の個性の薄さだろう。
まず太一はアナスタシアを失った一件から結局は殺しも厭わず力を使う覚悟を固める訳だが、その結論はあまりに凡庸(「大いなる力には大いなる責任が伴う」というのは聞き飽きた言葉だろう)で「人を越えた力」には及ばない。王弟の言葉にしても単純な受け売りで碌に咀嚼せずに繰り返し、「犠牲」などと宣う。犠牲というのは結局力無き者の言葉であり、それを超越して全てを救おう(つまりホッブズのリヴァイアサンが如く全ての争いを阻止して和平を促せば良いのだ)ともせずに「人間卒業」と言ってもつまり倫理観を喪失したとしか聞こえない。何を考え、どうしてそう選択したのか? それを描かず人並みな結論だけ述べても何の魅力もないのは当然だろう。
凛については第9話「私は私の意志で飛び込んだ」というのが一番大事なところだろうが、演出が弱く第1話のシーンにおいて全く凛に感情の籠った芝居をさせていないため実感の薄い台詞になってしまっている。癖のない良い子なのは個人的には別に良いと思うが、いずれにしろ内面描写が貧弱で魅力が出ていないのは確かだ。
一番魅力的に描かれていたのはアナスタシアではないかと思う。彼女ははっきりとアサシンとギルド側での二面性を区別して描かれており、収監中の描写も加わることでその転向の決断を強く示唆している。ギャップを利用した内面の演出が上手く働いていると言える。
全体的に言っても「あの方」の情報は碌に開示されず、主人公はただ戦争に巻き込まれ「人殺しも止む無し」という後退した倫理を得て終わる。それを本当に「強さ」と言っていいのか、戦争を止めるという選択はないのか、結局は地位と名誉を得ただけではないか。ある意味で批評性は高い作品。
ただしかしタイトルを考えてみれば、「チート」の不条理さ、千年に一度の才すらも無に帰す圧倒的な力、そうした表象を全く物語に落とし込めていないのが最大の問題かもしれない。