最近「音を歩く」感覚で生きるようになっていて、その現実の感覚のままで視聴しました(視聴できたところがおそろしいほどにすごい作品とも思います)。とても楽しかったです。「舞台」の上は風が吹いています。吹いてくる風の中を歩くのが楽しくて、風に浸るのが心地よくて、次第にその中にいる怖さを思いました(逆にいえば、風が吹いていない場面は「舞台」への準備だと思いました)。
冒頭、華恋はひかりから吹いた風にとばされます。進路相談の場面の、遥かなるエルドラドを演じる華恋にも風を感じました。電車は風を起こす装置(ワイルドスクリーンバロック開幕のレヴュー)だと思います。華恋とひかりの幼少も風のふく場面があり、みんなのレビューにもそれぞれ風のふく瞬間があります。それらの風に浸るのがとても楽しかったです。
華恋はみんなの「舞台」の風を受けて、ひかりのいる舞台まで、自ら吹く風を持たずに上がり、風を持たないために倒れます。ひかりの呼び声に応えて、その華恋が自ら風を起こしてもう一度その舞台まで昇ります。その昇る場面で風を受ける怖さを思って手に拳を握りました。
「舞台」に自らの風を吹かせること、それが舞台女優を指すのではないかと思います。例えば…。
露崎まひるをどんどん好きになります。ひかりの髪をなびかせて風を吹かせたところが特に好きでした。
大場なな、今までよりずっと等身大のティーンエイジャーに感じました。ななの風は開幕のレヴューで両側の旗がはためくところがお気に入りになりました。
星見純那、何も見えない舞台のけぶりが晴れるところが風です。それと、星見純那の声が一番風だと思いました。星見純那にとって偉人達の言葉がどれほど重いものだったのかを思いました。「借りた台詞」でもなければただの金言でもありません。その言葉たちに身を重ねて想いを重ねてきっと純那は生きてきました。最後の最後に純那の背を押したのも失敗に纏わるそんなひとつの言葉でした。そんな純那が「他人の言葉じゃだめ!」と自分の言葉をななに向けるところに特別な重さを思いました。何かを選ぶことは何かを選ばないことで、星見の進んできた道がその様な風を描いたと思います。
双葉と香子、互いを選んだ(選ぶまい追うまいとして、気づいたら選んでいた)と思います。双葉の「ずるい、香子ばっかりいつも私を独り占めにする」(うろ覚え)と香子の「(今度は)うちが待たせる番」と双葉の言葉を取ったのが今まで以上に印象に残りました。
真矢、クロ。地下から吹く風が止むのを待って動き出すのが最高に好きです。強風のレヴューで全部好きです。
華恋とひかり、華恋の観客席への恐れにひかりが「そうよ」と返す場面、副音声が聞こえました。観客席が近いなら「舞台」は近い。照明が熱いなら見る「舞台」も熱い。「舞台」が怖いなら観客席も怖い。
観客を選んだ私はそのように、そのようにしか究極的には触れられず、ただしかし、同じように風を感じることをしました(己れの選んだものによって同じ様に身を重ねてみても違った読み替えが起きるだろう、と考えました)。
(追記)観るたびに全くわからないとなって全然違う感想が出てきて何度も書きたくなります…