ナタリアから見たレーニャが語られて、これはきっと(今まで見てきたからこその)一番に好きな話になると思いました。ナタリアが持つレーニャの印象はレターナ(レーニャ)自身から見えていたものとは違っていました。ヒーローのようなレーニャに憧れたナタリアは、スピリッツにとっては最初から大人だったナタリアで、ナタリアにとってターニャ(スピリッツ)はヒーローになっても可愛い子で(照れてるスピリッツの全身絵を外枠にしたところ好きでした)、物語に語られることのできなかった世界の見えない深みを感じました。
テル(シャイ)を忘れていたスターダストにも、テルにとっては一大事だった修行は彼にとってはなんて事のない日々の一幕に過ぎず、彼が話したヒーローとしての矜持(助けたヒーローの背中が丸まってたら、助けさせてごめんなさいと思わせてしまう。そんなことはさせない)は修行相手(仮想敵)の時に見せた姿とは違ったもので(かっこよかったです)、深まりを感じました。
シャイが帰路、一瞬ひとりになって空に一番星を見て、アマラリルクのことを考えているその眼鏡に一番星が映りこむ絵が、なんともいいようがなくとても好きでした。人の深みを考えていたからか、シャイで人と接するとあせあせしてしまうシャイの、深く人を考える場面が印象に残りました。
後半の場面はすずめ(記憶あやふや。何かの小鳥)が空をとぶ場面から始まって、ぐっと目をひきつけられました。その後飛行機も飛んで、シャイの体調がわるそうな様子で、心がふわふわしてる感じなのかなって考えました。そんなことを考えていたので、後のアマラリルクの空間で太陽(のような目)が近かったと思いました。テルの家でテルが惟子にお世話されてる間(もうちょっと前、家に着いたあたりからだったかもしれません。すでに亡くなっていることを思わせる(思い出させる)姉の写真か、あるいは弱ってるテルの独白で連想されたのやも)、レターナとナタリアのことを思い出しました。ふたりも、もしかしたらこんな風になれたかもしれなくて、こんな風だったかもしれなくて、と思って、けれどそれは過去を悔やむ気持ちではなくて、だからこそ名前を呼ぶ場面が幸せでした。