マルクスの指摘した物神崇拝の権化、倫理なき合理主義。貝木のこうした存在性を考えると「教訓」の口癖は「意識高い」人間の戯画化だろうか。詐欺師が契約自由の原則を振り翳すなど詭弁もいいところだが、彼の立場は確固として語り口は魅力的ですらある。「どれほどの違いがある?」勢いのまま乗り込んだ火憐はこの問いに答えられず、むしろ再分配としての詐欺(『老人喰い 高齢者を狙う詐欺の正体』によれば特殊詐欺の現場でも吹聴されている論理らしい)が尤もらしく聞こえてしまう。
貝木に毒を注入され(たと思い込んで)よだれダラ〜の火憐がエッチい。身体を暦に拭いてもらうのもエッチい。月火じゃなくて歳の近い兄に拭いてもらう不思議な関係性。
妹達に偉そうに大声で話す暦も、大人に説教を垂れようとする火憐も、兄妹そろって面倒くさい性格だと思った。
羽川は火憐を貝木のような危険人物のところに一人で行かせたのに、全く悪びれもせずケロッとしていて、マイペースに暦に上から目線で話してヤな性格。
お前は善行を積むことで心を満たし、俺は悪行を積むことで預金通帳を満たす。なんか気に入ったフレーズ。