友人たちと二度目の鑑賞。
展開にいちいちコメントを入れながらみんなでワイワイ見るのも、一人で映画館で見るのとはまた違った面白さがある。
二度目の鑑賞にもなると、一度目に見えてこなかったものがいろいろ見えてくる。今回も楽しめたが、前回と違って明確に気になったのが「『過程』を描くことがおろそか」ということだ。理屈よりも「こういう画を、こういうシーンを作りたい」という感情が先行しているように感じた。
例えば前半のNYでのμ'sの行動。
シーンの一つ一つは面白いのだが、後半に尺を割きたいこともあってか、「繋がり」として見ると疑問を浮かべるような部分があるし、「どうしてそのシーンに至ったのか?」という過程が飛んでいるところもある。
タイムズ・スクエアで行われる「Angelic Angel」のライブシーンはまさにそうで、ライブ自体は素晴らしいのだが、そこに至るまでがバッサリ抜けている。
(劇中の)ラブライブ運営サイドから「NYでライブをしてラブライブにハクをつけて」というお願いを受けた、という理由付けは冒頭でされているが、そこまでにあったはずの「ライブに最適な場所を探す」という過程がなかったかのように無視されている。
凛の「この街は何かアキバに似てるよね!」という言葉も凛の説明もあって理屈はわかるのだが「そんなに言うほどNYの住人と接したか?」と思ってしまう。
この「過程をすっ飛ばす」という悪癖を強く感じたのが、クライマックスのスクールアイドルを集め、アキバを貸し切っての一大ライブ。クライマックスの展開としてはこれ以上なくいいのだが、ここはよく考えなくても変だ。
まず、μ'sはスターになったとはいえ、彼女らは所詮学生にすぎないし資金力を持ってもいない。スクールアイドルの先駆けといえるA-RISEの助力があったとはいえ、アキバを丸ごと使えるほどの力は絶対に持っていないだろう。かなり非現実的なシーンになってしまっている。
アキバ一帯を貸し切るなんて、それこそラブライブ運営が目指していた「ドームでライブを開催する」よりも非現実的ではないだろうか?ドームはスケジュールを押さえれば使えるだろうが、秋葉原は生活圏で交通路もある。そこをセットの設営などで何日も潰せる、というのは無理があるだろう。
更に、劇中でも主に三年生組に「もう時間がない」と言わせているにも関わらず、「各校のスクールアイドルを集める」「アキバライブ用の新曲を作る」「ライブ用の振り付けを考え、しかもそれがライブに参加する全員に行き渡っている」「ステージを作り上げる」という作業が全て完了しているのもご都合主義感がある。μ'sとA-RISEの会話を聞く限り衣装はありあわせで間に合わせたようだが、それでもこれだけのことを短期間にこなしたなら、「殺人的」という形容すら生ぬるい超過酷スケジュールになってしまうだろう。
「最高」だの「最悪」だの同じラブライバーの中でも賛否が割れる一作ではあるが、個人的には「そこまで持ち上げられる作品でも、貶められるような作品でもない」というのが素直な感想。
ただ、僕のような理屈重視(笑)で作品を見る人にはちょっとモヤッとするところはあるかもしれない。こういう理屈を「些事」と割り切れるような人であれば、もっと評価は上がるかも。