おばあちゃんが言っていた。オープニングを粗末にするアニメとまずい飯屋が栄えた試しはない、と。
あんな浴室は日本にはねえよ!!!無理に日本を舞台に翻案するとこういう違和感が出てくるから嫌なんや。
見事ハマケンを没落させ志村は勝ちまくりモテまくり。「ハマケンがあんな奴だなんて思わなかった」じゃねーよ、マ◯ドの店員いきなりナンパするような奴がまともに見えるのかお前らは。志村がハマケンを下した途端にモテだすの、ちょっと気持ち悪いな。
そして登録者数10万人を稼いでビッグになったと思いきや次に待ち構えていたのはカツアゲ。この世界の道徳教育どうなってんだ?
猫の王、出す必要あった…?
やろうと思えばセカンドシーズンできそうな「俺たちの神隠しはこれからだ!」エンド。化野くんが「乙の願いに反応して賽の河原(?)から生まれた」ことを示してからの、あえてこの世に未練を残し菫子の願いに反応して復活した、って持っていき方は、若干余韻に欠けるところはあるもののよかった。ただ、化野くんの体調の問題は解決していないわけで「遠からず別れが訪れるのでは?」と邪推してしまう。
原作の「猫の王」編をベースにしたアニオリ。化野くんと菫子さんが血まみれになりながら逃げるシーンは、菫子さんの見せ場、かつ異常性を示す重要なシーンではあるのだが地上波では絶対できないだろうし、悲しいけど「野良猫が一宿一飯の恩で2人を見逃す」という改変は仕方ないし上手いと思った。
ただ、原作の「よるむん事件解決のすぐ後に猫の王が強襲する」という構成をやめたせいで「配下に探させれば一瞬で化野くんたちの位置がわかるのに手出しをしない猫の王」「猫の王に命を狙われてるのに呑気に乙ちゃんをフリーにしている化野くん」というツッコミどころが発生しているのがいただけない。例のプールで水着回やってる場合じゃないでしょ。
更衣室ののどか、露骨に「ブルーレイでは乳首見える」アピールしてて笑っちゃった。
Vtuber、ファン、配信を「神下ろし」に当てはめるセンスと綺麗にオチたクライマックスと、原作ではグッときたエピソード。基本的には原作まんまでグッド。原作の時点であったクライマックスの駆け足感は欲を言えば解消して欲しかったけど、文句はそれぐらい。
Vtuber沼に片足を突っ込んだ今、原作を読んだ時以上にのどかの気持ちがわかってしまう。メルちゃん。ガンちゃん。あくたん…彼/彼女らが去っていった時の気持ちを思い出して切なくなった。メルちゃんとガンちゃんは突然の別れだっただけに、よるむんの電撃引退に嫌が応にもオーバーラップしてしまう。
『ドットハック』『ソードアート・オンライン』『ログ・ホライズン』が定着させ、現在では超メジャージャンルと化した「オンラインゲーム」系作品を「デバッガー」という一捻りを加えることで新しくしたアイディアにやられた一作。
「未完成のゲームの仕様や、未解決のバグ(グリッチ)を使ってゲームを攻略していく」というあまり既存のネトゲーものでは見たことがない光景には新鮮味があり(後に『RTA走者はゲーム世界から帰れない』など後発の類例が出てきてオンリーワンとは言えなくなったが)、ハガ一行が未完成のゲームやグリッチにツッコミながらゲームを攻略・デバッグしていく物語には何度も笑わせてもらった。
「モーションデータが入っていなくて、デフォルトのTポーズで歩き回るモブ」「特定の手段で壁をすり抜けられるグリッチ」「添削が不十分で禁則処理もされていない未完成のテキスト」などのあるあるネタにはクスリとさせてもらったし、どう見てもTAS・RTAが超有名な配管工のゲームが元ネタの「特定の手段を踏んで移動速度を蓄積させ、一気に解き放つことで高速移動する」というグリッチには大爆笑。
こうしたグリッチを利用して、デバッグ技を使い放題の他社のデバッガーたちを出し抜くバトルも面白かった。
ただ、そうして楽しめたのは中盤までで、そこからは様々な欠点が目につき、素直に楽しめなくなっていった。
まず、物語の舞台となるキングス・シーカー・オンライン(KSO)は、デバッグ中という点を加味しても杜撰に見えてしまう部分が多く「未来のすごいゲーム」という設定に説得力がない。作者のゲーム知識の不足が透けて見える。
設定では「現代より未来に作られた、『ソードアート・オンライン』のような体感型ゲーム」らしいのだが、6話では敵が想定よりも多く出現して処理落ちを起こしたり、読み込み途中のマップに放り出されて永久にフリーズしてしまったりと現代のゲーム基準でも未成熟に感じる仕様が残っている。
一番不自然さを感じたのが、デバッガーの一人であるヤマナカが陥った「フリーカメラモードを起動したら、元の肉体に戻れなくなってしまった」というエピソード。このゲームには「キャンセルボタン」や「ポーズメニュー」という概念はないんだろうか。黎明期のゲームじゃないんだから。
というか、ゲームらしい表現(ステータスウィンドウとか)がデバッグストーンを介してちょっとしか出てこないため、よくも悪くもKSOはゲームに見えない。アニメ的な演出を伴わずに壁を抜けてきたアソビングのデバッガーなどこれが演出面でいい方向に作用している部分もあるものの、もう少しゲーム的な演出が欲しかったところ。
ハガの同行者であるヒロイン・ニコラと、彼女を依り代に顕現するメタAI「テスラ」に魅力がないのもしんどかった。
ニコラは可愛いだけで、もともと「NPCの『村人A』」でしかないため戦闘はできず、パーティの足を引っ張るだけの存在だ。一応中盤で「『使用者のレベルに応じて威力が増す武器』を使うと、レベルの概念がないゆえに威力がバグって一撃必殺の武器になる」というかたちでパーティに貢献する手段は得たものの、読者はニコラが自分の能力や機転でハガたちを助けるのが見たかったのであって、「持ち歩きできる便利な最強武器」を見たかったわけではない(戦えないのに「装備」はできるんかい、というツッコミどころもある)。実際、ゲーデルと戦った際にはニコラの意識がない状態でアマノが武器だけを発射している点も「違うそうじゃない」感に拍車をかけるし、終盤ではハガ一行がニコラと別れてしまうため、武器の出番もなくなってしまう。
ニコラを依り代に現れるテスラはこれに輪をかけて最悪で、一方的かつ高圧的に、ハガたちに「お前らが真面目にデバッグしないせいでゲームは狂ったままだ。イカれたデバッガーを排除してゲームを正常に戻せ(※要約)」と要求するばかりの「KSOが正常化すればあとはどうでもいい」と考えているジコチュー女であり、好きになれる要素はゼロ。民のために傍観者をやめてサイ王国の統治を始めたアルバに自分の価値観を押し付けて「メタAIのくせになんでデバッグを要請しないんだ」と殴りかかるシーンや、前述の元の肉体に戻れなくなったヤマナカの目前で「お前は一生そのままだよ」と言いながらデバッグストーンを喰ったシーンにはちょっと引いた。
そして、上記の欠点全てが霞む最大の問題が最終回。
グリッチを利用した策でなんとか倒したレイドボス「サイレンス」が第2形態に変身してハガたちの前に立ちふさがり、アルバの策で追放されたニコラがサイ王国に戻りハガたちを助けようと決意するところで完結する中途半端な最終回は言わずもがな消化不良で、原作未完であることから視聴前から「俺達の戦いはこれからだエンド」はあらかじめ覚悟してはいたものの、その覚悟を悪い意味で超えてきた投げっぱなしジャーマンぶりにはお口あんぐり。ここはアニオリでもいいから、きちっと一区切りつけてほしかった。
レッドオーシャンとなっている「ネトゲーもの」ジャンルに「デバッガー」という味を足して差別化した発想や、バグ・グリッチを使った他のネトゲーものにない攻略・バトルは新鮮な面白さがあったものの、ディテールの甘さでケチが付いた作品。
特に物語に一区切りつけることを完全に放棄した最終回は最悪。仮に続きが作られてもあまり見たいとは思えない。
いや、原作未完だし「俺達の戦いはこれからだ!」エンドなのはわかってたけど…。「ボ、ボスの第2形態!?」→未完! はダメだろ!!
「属性未設定の本を下敷きにして足音を消す」「カジノの不正防止用モンスターをサイレンスにぶつけて弱らせる」という策は面白かったけど、打ち切りエンドで台無し。
菫子さんのデカケツ +5000万点
現在の菫子さんを形成するに至った書籍姫との出会いと、次回の姫魚よるむん主軸のエピソードの前フリ。原作では「菫子さんもまた怪異(書籍姫)に関わる存在だった」っていうのはかなり重要なポイント・伏線で、後の猫の王の事件でも重要になるんだが、アニメ版はどうなるやら。
それはさておき、未成年を働かすのはなんかの法に触れそう。
いつもより筆が乗ったのでnoteにお気持ち長文を書きました。よかったらみんなよんでね。
テスラの干渉による体制の崩壊を危惧して、ハガ一行は地下ダンジョンの地下1000階(!?)に強制転送。スペクト◯ルタワーかな。
「禁則処理がされてない!文字化け!誤訳!誤字脱字!全角でレイアウトに収まってない!!」で大爆笑。わかるよ、禁則処理と誤訳にはモヤモヤしちゃうよね。
次回で最終回なんだろうけど、ハガの前にはレイドボス、アキラたちはカジノに足止め、そもそもここは地下1000階。この状況からあと24分で一区切りつけられる気がしないんですけど。
※DVDでは湯気が消えます
ゲーデルはKILLコマンドにより死亡。NPCに感情移入してしまうハガの気持ちも、NPCをプログラムと割り切りリスク対応を優先するアキラの判断も理解できてしまうだけに誰も責められないビターな幕引きだったなあ。
サイ王国は平和で、エンタメイションのデバッガーも話は通じそうだけど、この国にも闇が隠れてるのかしら。
「フリーカメラモードになったらもう肉体は操作できない」「フリーカメラモードは他人には解除できない」って開発途中の仕様とは言え杜撰すぎんか?普通のゲームならどんな状態でも操作できるメニューとかあるでしょ。
「ゲーデルに同情して衝動的に救済しただけで悪意はなかった」パターンかぁ…でもゲーデルに力を与えた時の描写をみるに、ヤマナカにも「デバッグ権限でどれだけ遊べるんだろう?」って好奇心があったように思えるなあ。
テスラの対応が四角四面過ぎる。コイツ本当に「KSOが正常になりさえすれば他のことはどうでもいい」らしいな。ニコラともども全然好意が持てん。フリーカメラから戻れない本人の前でストーン喰うの、あまりにも人の心がなさすぎる。
肉体への帰還手段を失ったヤマナカ。悲しきモンスターと化したゲーデル。どうあがいてもハッピーエンドは迎えられそうにない最悪の状況だが、救いは…次回きっとあるよね?
「モラヴィ集落って日本語変じゃね?」って思ってたらハガが突っ込んでくれて安心した。
この調子だと、ゲーデルと、彼に力を与えた「ヤマナカ」絡みの事件を解決して終わりかな。
あんなガキにスーパーパワー与えたら結果は火を見るより明らかだろうけど、ヤマナカはそれを承知でゲーデルにパワーを授けた愉快犯なのか、それともただゲーデルに同情して衝動的に救済しただけで悪意はなかったパターンか、どっちかな。
ていうかデバッガーの力ってNPCにまで及ぶのか。すげーな。
NPCは蘇生しても初期状態に戻るだけ。ニコラは村人で戦える作りにはなってない。あの黒騎士もデバッガー。今回はわかりきった展開で面白くはなかった。次回に期待。
アソビングのクズたちがフリーズした理由がいまいちよくわからなかった。ハガの説明を聞く限りだと、今はフリーズしていたとしても、そのうち「読み込まれて」復活できそうなもんだが。
アソビングの面々に碌な掘り下げがなく、最後まで「極限状況下でイカれちゃった」ぐらいの説明しかなかったので、倒してもあまりカタルシスがなかったのが残念だった。みんな揃ってあんなクズに堕ちるもんかね?ただ天野との会話を聞くと、KSOの異常が起きる前からクズだったっぽいし、まともな奴はアソビングから抜けて、クズだけが残って働いてたってことかな。
アソビングの面々は社長以外全滅して物語は一区切り。後半はどうなるのかしら。
キングスシーカーオンラインって未来のいわゆる「フルダイブ」型ゲームらしいけど、それにしては新しいマップ(城)をいちいち読み込んだり、敵がいっぱい出てきて処理落ちしたりと前時代的だなあ。それと処理落ちしたら自キャラも遅くなって結局状況は変わらないと思うんですけど(凡推理)。
社長にも望郷の念があった。そりゃチートプレイなんて最初は楽しいだろうけどすぐ飽きそうだしそう思うのは仕方ない。
どう見てもケツワープとパンチ加速が元ネタです。本当にありがとうございました。
グリッチ利用や、ゲームシステムを使って「クエストを起こすことで相手(アソビング)の城に忍び込む」「メインクエストの挙動を利用する」というアイデアは、「ここがゲームの世界である」ことを強く実感させてくれたし、他のオンラインゲームものとしっかり差別化していて膝を打った。
「アバウトな仕様書」「国内じゃ到底できない海外向けの仕様」などのクリエイター目線の会話もクスりと笑える清涼剤になっていてグッド。日本語音声が歯抜けになってるってことは、キングスシーカーオンラインって海外メーカー主導だったりすんのかな。
「MMDでよく見るやつ〜!」って笑ってられたのも束の間、ルーの死に様に絶句。
少しでも創作を経験し「ファン」の存在の重さを知る者として、アソビングのデバッガーたちが天野に行った所業は本当に許せなかった。あそこまで作者を慕ってくれたファンを目前で殺すとか創作者なら誰でもブチ切れるわ。
それはそれとしてキングスシーカーオンライン、結構ゴア表現あるタイプのゲームか。原神とかみたいに「なんか光になって消える」ぐらいの表現を想像してたので、余計ルーの死に様はキツかった。
大筋としては「神に懐疑を抱いた者は飢餓同盟に堕ちる。だから飢餓同盟はアドニスを同盟に招いた」「飢餓同盟は神と、この世界への反逆を通して神に懐疑を問おうとしている」ってことなんだろうけど、ディテールは相も変わらず全っ然わからん!!剣ってなんだよ!!
そしてベネディクティンとの別れはやらずに物語は2クール目に続く。いやそこは後1話使ってベネディクティンとの別れをやってくれよ。
蒼穹のファフナーに出てきた「No Where(なにもない)」と「Now here(ここにいる)」の言葉遊びは本作が初出です。ここテストに出ますよ。
「街を出るなら『変化できる』人間になれなきゃアカンよ。変化を恐れちゃダメだよ」って話なんだろうけど…だろうけど!もう!専門用語の洪水を!浴びせるのはやめて!!(死に体)
アドニス編はアニメになっても意味不明。神は要するに「アドニスが法(テーマ)に懐疑を抱くのも織り込み済み、お前は想定内の存在でしかないよ」って言いたかったのは辛うじてわかったけども…。
ティトに続きキールを狂わせたことで嫌な方向に吹っ切れちゃったアドニス、痛々しくて見てられない。そりゃ「旅の呪いを宿す!『試練』とか言って俺を試す!ティトとキールを狂わせる!神は俺に何をさせたいんや!!」ってなるわ。俺もそーする。
それはそれとして脳内のジャガーが「ぜんぜんわからん!」と悲鳴を上げる。「空(くう)」はともかく「神の樹」関連は当時も理解が及ばないまま読んでたなあ。
シェリー姫!そんな娘もいたなあ…原作のここら辺の展開、全く覚えとらん。カタコーム戦役生き残り組の友情好きなんだが、もうちょい見せてもらえないかな。
アドニスもまた旅の呪いを受けてこの世界に懐疑を持っており、だからベルに通じ合うものを感じていた。その懐疑が彼を狂わせていくことまでは覚えてるんだが。
そしてまたまた増える専門用語「試す者・エグザミナー」「魔(ニドホッグ)」。ガイダンスくん、ベルだけじゃなく画面の前で困惑する視聴者も助けてくれんか?
大筋はまあ分かるものの、「原作未読者、ついてこれてんのかな…」と心配になってしまう描写不足感。
特にティツィアーノ関連は、原作・コミカライズにあったアドニスとティツィアーノの関係の描写をカットしたことと、いきなりキティが「癌種の剣」「疑神」とか固有名詞を増やしたせいでクライマックスなのにいまいち盛り上がらなくなっている。
正直、今後が心配。
ビッグバジェットのアニメには及ばないまでも、独特な剣楽についてはちゃんと表現できていてよかった。やっぱカタコームの戦いは素直に盛り上がれて楽しいなあ。あみっけはベテランだけあってベネットの性質の変遷をちゃんと表現てきていて素晴らしい演技。
ただ、コミカライズ版に倣ってアドニスとティツィアーノの繋がりはカタコームの剣楽の前に描写してほしかった。次回でやるかもだけど。
ヒントが多かった「海坊主」に比べてかなり頭を使ったし、今でも全て理解できた気はしない。毒親の教育の中で「母の期待に応えて己を殺した自分」と「年相応の自分」が分離し、のっぺらぼうとなったお蝶が殺して回っていたのは「年相応の自分」だったってことか。なら、お蝶を救いながらもあの家にとどめようとした狐面の男ってなんだったんだ?あれは「現実から逃げたいお蝶」だったってこと?でも薬売りはあの狐面がのっぺらぼう、とも解釈できる口ぶりだったしなあ。
「お蝶は死によって真に解放された」ともとれるラスト、やるせねえ。
モノノ怪の正体は、妹を見捨てた源慧が自分を守るために心から切り離した「お庸への愛」だった。
許されぬ兄妹の禁断の愛。禁忌の感情を恐れお庸から逃げた源慧。お庸も同じく禁断の愛を抱いていたことを知り、モノノ怪に変じるほどの恥を抱き仏門の世界に逃げた半生…こんなん泣かない方がムリ!そりゃ衆道に逃避もするわ。
最後に恥を受け入れる覚悟と共にお庸との記憶を取り戻した源慧だけど、今後は少しでも安らかに生きられることを願うばかり。
…とか安らかな気分でいたら突然挿入された兵衛の謎の描写。あの人は今後も出てくる、ってこと?