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とても良い

第17話の本質は、青春の甘酸っぱさではなく、「期待」という言葉が持つ残酷さと、それに伴う才能の格差を浮き彫りにした点にあります。
​この物語において「期待」とは、希望ではなく「届かない側が、持てる者に対しての一方的な祈り」として描かれています。その象徴が、陸山宗芳と田名辺治朗の関係です。

陸山宗芳と田名辺治朗

​圧倒的な才能を持ちながら漫画に執着しない陸山と、自分にはない彼の才能に魅せられ、狂おしいほどの期待を寄せる田名辺。田名辺が起こした「十文字事件」は、直接口にできないあまりに切実な「描いてほしい」という悲鳴でした。しかし、その期待は最後まで陸山に届くことはありませんでした。期待する側と期待される側の間には、埋めようのない断絶が存在することを突きつけられます。

​この「期待」を巡る歪みは、二人以外の関係性にも影を落としています。

折木奉太郎と福部里志

里志は奉太郎の「特別」な推理力に誰よりも期待し、羨望を抱いています。しかし同時に、その期待は「データベースは結論を出せない」という自分自身の凡庸さを突きつけられる自虐でもありました。奉太郎への期待は、里志にとって葛藤そのものです。

安城春菜と河内亜也子、伊原摩耶花

摩耶花は河内先輩に「『夕べには骸に』の凄さを分かってほしい」と期待し、河内はその作品を書いた安城春菜の才能に打ちのめされ、自尊心を守るためにそれを否定し続けていました。ここでも期待と才能の差が、苦い嫉妬を生んでいます。

千反田えると入須冬実

千反田は入須の大人びた人脈や交渉力に無邪気な期待を寄せ、頼りにしています。しかし入須から見れば、千反田の無垢な期待や「人を動かす天性の資質」は、時として計算では太刀打ちできない眩しすぎる脅威(あるいは重荷)として映っていたのかもしれません。
​どれほど強く期待しても、才能の差を埋めることはできず、期待された本人がその重みに気づくとも限らない。

​『クドリャフカの順番』は、誰もが一度はぶつかる「持てる者」と「持たざる者」の諦めと受容を、「期待」という繊細なレンズを通して美しくもビターに描き切った名作だと感じます。



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