九太が鶏小屋で寝入る場面がある。
実際に、本物の鶏小屋に立ち入った経験のある人ならわかることだが
鶏小屋は糞で猛烈に匂うので、児童だろうと中で寝入ることはありえない。
からだじゅうが糞にまみれても「気にしない性分」ということにして
ごまかせるレベルの臭気ではない。初めての体験なら、耐えられないレベルの臭気なのだ。
そこは人間界でなく異世界なので、飼料を与えずとも卵を産んでくれる都合の良い鶏だ
というなら、その設定を劇中で描く必要があるだろう。
国内外を問わず、この場面を観た観客には
「制作者は、実物の鶏を見たことがないんだな」と思った者もいたことだろう。
これに関連して、熊徹が卵かけご飯を嗜む場面についても
卵は業者を介していないと、鶏糞が付着している可能性があるため
洗浄しないと食中毒に罹患する恐れもある。洗浄する場面が必要だったはずだ。
親族にも問題はあるのだろうが、
九太には家出するだけの事情があるようには感じられず
なぜ反抗するのか理由は明確に示されない。
「若者は理由なく反抗をするものだ」とでも言いたげな、
作者の冷ややかな意識が見て取れる。
熊徹は、職場でも学校でも、どこを探しても居ないタイプだ。
TVで週一放送されるようなシリーズ物と比較しても、描画クオリティは低い。
この点は受容できるとしても、許容限度を割り込んでいることは
主役に対する感情移入がしにくい点だ。
この作品を支えているのは、過去の作品によるネームバリューと
余分なコンテンツを抱え込めるほど肥大化した業界のキャパシティ
によるものではないか。
制作者は、ステマでなく業界外でも称賛されている作品群から
なにが観客を惹きつけるのかを学ぶ必要があるだろう。