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良い

まずは、サブタイトルの「Cubism」の意味の確認から。「立体の形態を分解して、平面の画面上に再構成すること。物の見方を変えることで、絵画の新しい可能性を開こうとした。」とされているらしい。

梓澤の狙いは「人間が社会の中で歯車であるならば、その頂点を目指す」ということ。そのために、コングレスマンの席を欲する。

梓澤の人を歯車としてしか見ていない視点は、極めてビフロスト的なように思う。人間をパズルのように当てはめ、不要になったピースは捨て去る。ビフロストの機構そのものだ。そして、それがシビュラに挑戦した末にもたらそうとする彼らの社会秩序なのだろうか。社会の解体と再構成。


一方で、常盛が求めたのは昔と変わらず、人の手に委ねられた正義の秩序。

それは、政治のダイナミズムの中で自身の信念を曲げられたからこそ、自分の信念を貫ける社会を目指そうとする小宮カリナ都知事とも共通する。

さらに、たとえ犯罪者であろうとも、全ての犠牲者を救おうとする進藤監視官にもその価値観は共通しているように思う。


だが、そんな崇高ではあるが、理想じみた脆さを抱える正義感が強者だからこそ標榜できるものであるようにも感じられる。

現に如月執行官には、自身の過去から生まれた己の精神的な弱さに付け込まれて、キツネとしてビフロストに利用されていた事実があった。

さらに、イグナトフ監視官も妻の身の安全という弱みに付け込まれてしまう。そして、今、コングレスマン・焔によって、彼は13番目のインスペクターとしてビフロストに誘い込まれてしまった。


進藤監視官が言うように、確かに真実は変えられないものだ。

しかし、六合塚が言うように、正義はコントロールできるのだ。

そして、それこそがシビュラという正義の裏をかくことで、ビフロストが成し遂げようとしていることのように映る。

AIやシステムによる正義は固い、だからこそ弱いのかもしれない。だから、求められるのは常盛たちが目指す人の手による正義なのかもしれない。

だが、同時にそんな正義はビフロストたちによらずとも、容易にハックされ得るものでもある。でも、だから、人が自立して選択をする社会、シビュラから脱した社会こそが結局のところ、真の理想郷なのかもしれない。



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