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とても良い

夢の思案中

第三芸能課のみんなが各々の夢を書き綴ったホワイトボードに、「思案中です」と一人書いていたのが橘ありすだった。その姿は、夢を見ることを恐れているように見えていた。

アンビバレンスな孤独

そんなありすの中には、二つのずっと思いがあった。それは「大人らしくちゃんと現実を見なきゃいけない」という思いと、「子どもっぽいかもしれないけれど、アイドルになりたい」という思い。大人になりたい子どもとして、ありすはどちらかを選ばなければいけないとアンビバレンスな内で悩んでいた。

だから、ありすは大人でもなければ、子どもでもないのだ。そして、そのどちらにもなれずにその狭間をふわふわと漂う。それ故に、ありすは子どもな第三芸能課のみんなにも相談できないし、プロデューサーや親といった大人にも相談できずにいたのだと思う。

大人でも、子どもでもない私

心の中で「大人と子どもの違いってなーに?」とありすは問う。それは、どっちつかずの自分がいったい何者なのか、「大人になりたい」けど、「子どもっぽく夢を見たい」という私は何なのか?はたまた、そんなことが許されるのか?という疑問の表れだったように見えた。

そして、それに答えを与えるのならば、子どもから大人へ羽化しようとする「思春期」そのものであるというように思う。

夢は現実の延長線

そんなありすに、良い意味で子どもみたいな大人のプロデューサーが向き合ってくれた。大人と子どもの狭間でどうしようなく孤独で、夢と現実の間で迷っているありすに、そのどちらでも良いと教えてくれた。大人でありながら、子どもでも良いんだと。

大人も子どもも同じで、大人だって子どもみたいに夢を見ていいし、それを叶える姿は間違いなく大人である。そして、アイドルは夢をお仕事として叶える究極の存在で、それこそありすがなりたい大人で子どもらしい姿なんだと導いてくれた。



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