ぼんぼり祭りが目前というのに、喜翆荘はそれどころではなく。みんなの大好きな居場所である喜翆荘を終わらせたくないと意地でお客さんをたくさん取り、みんな手一杯ギリギリで働いていた。それもこれも「ここしかない」という思い故の切迫感だったように見えていた。
だけど、緒花だけは少し様子が違っていた。「みんなは確かに頑張ってるけど、それはぼんぼってるのとは違う」という言葉がまさに的を得た言葉として聞こえていた。みんなは大好きな喜翆荘のことを守ろうとしていて、それによってみんなも喜翆荘も変わりつつあるけれど、緒花にとってそれは「大好きないつもの喜翆荘やみんな」とは別の姿のように感じていた。
そして、そんな緒花のことを構ってられないと旅館仕事にかかるみんなだったけれど、だんだんと回しきれない仕事を前に言い争ったり、喧嘩したりしてしまい。少しずつ今の喜翆荘は何か違うと気づき始めた。
それは、まさに緒花が示唆したような「自分の本当の夢の形」を見失っていたのだと思う。みんな誰も喜翆荘のことが大好きだけど、それは喜翆荘で楽しく一生懸命に働くことが好きなのであって、決して喜翆荘のために争い合うことが好きな訳なんかではない。
大事にしなきゃいけないのは、一人一人の自分の思い。どうして何のために「自分のこの夢」を叶えたいのかと真っ直ぐ見つめてみなければ、その夢もまた叶いはしない。今の喜翆荘のみんなは、「喜翆荘を残す」ことばかりにがむしゃらでどんな喜翆荘を残したいのかやどうして喜翆荘を残したいのかということを忘れていた。
そして、それをみんなに気づかせたのが、女将だった。女将が女将ではなく、一人の従業員・スイとして仲居仕事の助けに入ったのも、その「一人一人の思い」を見つめ直さなければいけないということをみんなに示していたように見えていた。そして、旅館仕事に一息ついたところで、「ぼんぼり祭りに行くよ」とみんなを連れ出したのは、まさに「みんなそれぞれが夢見る未来の喜翆荘」へ導くためだったのだと思う。