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全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

🍅
(視聴日 2021/12/20)
劇ス、3回目と申します。
時系列的には何も知らずに初回見て、アニメ履修して2回目見て、考察斜め読みしてロロロの直後です。
もはやBD出るし考察も無限にあるので深くは書かないと言いたいところですけどこれは私の備忘録なので好きなだけ書きます。
でも大体既出考察クリシェなのと、引用や元ネタのような知識的な物でもなく、登場人物の人間関係や発言などの原作内のみで完結するものだけになるとは思います。

まず結論から言うと、3回目にして最後で泣いてしまいました…。この映画という作品の色々な"仕組み"に気付いてしまって、その上で色んな感情が(キャラも自分も)大量に押し寄せてきてしまって、そして曲と演出が良すぎて。人間は余りにも良いモノを浴びると笑いながら涙が自然と流れてくるんだなあと思いました、すごい。

私、この映画の好きなとこ100個は言える!
でも、この映画の嫌いなところは、1つも言えねェ……

話の大筋はもはや見てくれとしか言えないので気付いたことを書いていくやつ。
今回は考察を少し読んだので、『この舞台の、観客は誰か』といった疑問提起についてしっかりと意識して見れたのがまず大きな変化だと思う。この映画を見るに当たって『観客が誰か』『この舞台の立ち位置はどういうものか』を認識して見るのとでは大きく理解が異なる。映画でありながら、こちら側にいる観劇者(映画鑑賞者)の存在を知覚しており、その影響を受けているという前提をこちら側も理解しておくだけでもかなり理解が進む。

電車内のシーンもよく見るとたくさん気付きがある。
進学組(ひかふたまや)とそうでない組(かおくろ)と過去に囚われている組(かれなな)で席が分かれていたりするのはまあ2度目で分かっていたものの。
電車内で、クロディーヌが双葉を唆す発言や、純那が自分を卑下するような発言をしていたあたりも実は後のレヴューのトリガーになってたのは今更気付いた…。

小ネタ枠では、電車内で双葉がポーズ真似してたのは見たらわかるんだけど、その直後に真矢さんが背景の全然違うポスターのポーズとシンクロしてるのは気づいたときちょっとワロタw
車内の電光掲示板には演劇祭?みたいなので、聖翔音楽学院以外にも舞台版で見たことある名前がチラホラ。

大場なな、皆殺しのレヴュー。
いや、もう、wi(l)dscreen-baroque、曲が良すぎる!!!かっこよすぎる!三好啓太さんありがとう……。もうこの曲を聞くだけで映画を見に来た価値があるといっても過言ではないからな…。
レヴュー内のみならず見学会前日にも(洗濯物を干しつつ誰にも聞こえない様に)言っていたばななの「喋り過ぎだよね」は自身が"どういう立ち位置/役割の人間であるか"を知覚しているが故の発言と受け取れる。
(ななと真矢以外)舞台装置内で死という演出を受けたのも、この『舞台』の中で『演じ続けていなかった』から。
「なんだか…強いお酒を飲んだみたい。」は(>>シェイクスピアからの引用という考察から)、大場ななさんの(愛する)純那ちゃん(≠"星見純那"(後述))に対するせめてもの助け舟だったんだろうなあ

「天堂真矢は負けてない!(涙目クロちゃん)」という考察見かけたので意識してみてたけどホンマや……!「あれ?でも自分の骸を見つめるシーンで真矢居たよね?」と思っていたが、自分の骸と向き合うシーンは6人だけじゃなくて大場ななさんも居たので戯曲スタァライトに囚われていない2人以外全員なんだと思う。あのシーンは罰というよりも、ここから再び彼女達の演劇への火を着けるための、あるいは『この作品(アニメスタァライト)』を終わらせる為の役を自覚させる為だったのかも。大場ななさんも「そろそろ、私も自分の演じる役に戻らなきゃね…」みたいなこと言ってたし。この役は後述(忘れてなければ)。

その後、『もう死んでいる』九九組の皆を除いては楽しげな第101回聖翔音楽祭決起集会。「どうしてあいつだけ…」と納得のいかないクロちゃんと("あいつ"はこの時点では大場ななさんか天堂真矢さんか分からないけど後の発言で天堂真矢の事を指していることが分かる)、第100回で"再生産"されてしまった戯曲『スタァライト』の結末に悩む脚本担当の子。

見ない、聞かない、調べない。非核三原則ならぬひかり3原則(言いたかっただけ)
因みに幼少期のかれひかはひかりの方が積極的な感じですけど、プロフィール(ロロロパンフ参照)を見ると、実はひかりは早生まれなので愛城華恋さんの方が本来は大人びているはずなんですよね。
こういうところからも幼少期から既に愛城華恋には"生きる為の糧"が無いことや"(神楽ひかりさんによって)舞台少女というキラメキを与えられた"ということが分かるように出来てるのかな〜と。

⚠ これは映画とアニメを見てからずっと気になってるんですけど ⚠
アニメ/ロロロでは愛城華恋と神楽ひかりが「私、ロンドンに行く→手紙ならいいよ」の会話をするシーンが滑り台の上なのに、劇場版では滑り台の下になってるんですよね……
流石に(これほどまで緻密に練られている映画の中における)こんな重要なシーンで、描写を変えていることに何の意味もないとは到底思えないのでずっと気になっています。
個人的には『愛城華恋にとっては重大な記憶/イベント/出来事であるにも関わらず、ひかりの中ではただ別れを告げたというおぼろげな記憶』であることを表現する為に敢えて変えたんじゃないかなあ…と思っていますが、どうにもしっくり来ていないので、この描写の部分についてクリティカルな考察があったら教えて下さい。

こっからレヴューについて語ります…なぜなら過去周りの詳しいことを覚えられなかったので……

石動双葉さんと花柳香子さん、怨みのレヴュー。
女郎の格好の香子さん。クロディーヌに向けて発した「ウチのお菓子箱を唆して〜」みたいな発言はアニメ本編中における部屋での説得もそうだし、電車内での新国立行けると思うわよみたいな励ましに対する苛立ちに因るモノですよね。要するに『一番傍に居た筈の存在である自分から引き剥がそうとした』言動に対しての明示的な敵がクロちゃんだったという感じ。
賭場に突っ込む デ コ ト ラ wwwww笑うしかねえだろwwww何二人共名乗り口上述べてんだよwwwwwww誰かツッコめwwwwwww監督もやりたかっただけ言うてるからなここに関してはもう何も言うまい

博打についての他者の考察。ふたかおは片方早生まれで年が違うから(名乗り口上で分かるが)17歳と18歳、クロちゃんを相手取ってた丁半博打はふたかおのどっちに賭けるのかという考察を読んで流石にこの目の付け所はスゴイと思った。
セクシー本堂の直前の石壇登るシーンでちゃんと「←本堂」って書いてあるの気付いてしまって危うく笑いかけた。
セクシー本堂のシーン。これは劇スを初めて見たときから感じていましたけど『アニメ映画ならではの表現』だなと。話しを継続しながらも、いきなり場所とカメラワークと衣装と一気に変えて繋げるってリアルの映画では中々出来ない技法だと思うんですよ。これってホントスゴイと思います。
このレヴューのオチについて。
デコトラくんさぁ…キミたち衝突してなかった?…いやいいよ、百歩譲ってデコトラ衝突じゃなくてチキンレースに切り替えたとしようか。
チキンレースで本堂(の舞台)から一気にデコトラくんが飛び出して落ちたとしてさ?
な ん で 床 に 穴 が 空 く ん だ よ ! ! !
これだけはマジでわからへん。多分考察とかしようと思ったらなんかの映画のワンシーンが元ネタなんだと思うけど永遠の謎やわ。
「監督のワガママには勝てんわ。」って香子はんも言うてた気がするわ。

神楽ひかりさんと露崎まひるさん、競演のレヴュー。
…と始めるその前に。神楽ひかりさんは既に舞台から降りていた。100回目のスタァライトの後、結局自主退学してロンドンへ。後にも語られるけれどこれは愛城華恋さんからの『逃避』による行動であり、「友よ、征かねばならぬ〜」と言うような自主的なものとはまた違っていたのだと思う。
そんな感じでヌルっと『"舞台"を降りた』神楽ひかりさんに対しても、"観客"や"キリン"が舞台を素直に降りることを許す筈もなかろう。
そんな訳で神楽ひかりによる"再演'を望む方々に依って、ワイルドスクリーンバロックの迎えが来た、てわけ。
神楽ひかりさんは歯牙にもかけてなかったけど露崎まひるさんからは(愛城華恋さん経由で)クソデカ感情の矢印が向いてたからな〜〜〜〜〜!?入学当初からずっと同室で世話もしてて励ましても貰ってた大事な存在を、なんか急に(しかも10年ぶりとか?)現れた謎の転校生に一瞬で掻っ攫われてしもたんやからな…
このレヴューもさぁ〜演出が良い〜〜〜!一瞬でシチュエーションが変わるのとか、それでいて動線は保持してるのとか作りが上手すぎ〜!?
とか言ってたらホラーな感じ。Jホラー意識らしいって監督言ってた気がするけど「人からの理不尽な怨恨」みたいなのはJホラーのテーゼみたいな感じがあるよなあ。
メイスを床にブチ込んで地面破壊するあたりでヒョェ…となるけど、これは先に述べた純粋な怨恨を"舞台"として演じながら伝えている。けれどその一方で、愛城華恋という存在からの逃避と、舞台の上での役としても意思の疎通を取ろうとしない神楽ひかりには演者ではなくただの人間の行動として映る。このね、舞台上であることを理解できてる人間とそうでない人間によって生じる差も1つのこのコンテンツの大きな楽しみですよね…

天堂真矢さんと西條クロディーヌさん、。
いや、これ〜〜!!コレが個人的にかなりヤバい。…んだけど!見てから時間経ちすぎてあんまり内容思い出せない!
動物将棋(?)をしながら語る二人のシーンから。ていうかあんた、弱すぎじゃない?クロちゃん、せめてものマウント。
西條クロディーヌさんは先の電車でのレヴューで、天堂真矢さんとの舞台に対する意識の差を文字通り痛感しているところ。
一方の天堂真矢さんは常に1つの頂点を目指して普段通り"演じれば良い"と考えている。
そんな人間に相対する"悪魔"に扮したクロディーヌ。
二人のね口上がね、互いに本編の口上に返歌する形でバチバチに挑発してるんですよね……!現代の歌人がよ…。
アニメ本編では「…大火傷だったわ。」や「天堂真矢は負けてない!」と言い張るほど真矢の実力を認めていたクロディーヌに対して、天堂真矢の"空っぽの器"で演じていたという事実が突きつけられ、階段から転げ落ちる。
しかしレヴューは終わらない。「舞台の理を…ッ!」悪魔との契約は、見たことの無い舞台を見ること。これが達せられるまで終わらない。
このレヴューで最も特筆すべきことはやっぱり天堂真矢さんのこれまで抱えていた内情なんですよね…。天堂真矢さんはサラブレッドと呼ばれる家の生まれなだけあって(アニメでは家庭事情について描写されたことないケド…)孤高のトップに対する意識の高さは誇りと驕り(アニメ3話)でも出てた。けれどもその本質は努力したが故のトップとかではなくて、自身が演じればどんな役であってもトップになれるという、他者の可能性を真っ向から否定するものだった。
いや、これほんとに、おまえ、天堂真矢お前どんな気持ちでこれまでお前……、。アニメ本編で言ってた「私は負けていませんよ、クロディーヌ」とかの発言はクロちゃんを認めたこととかじゃなくてこれガチで負けてないとか思ってたのかもしれないなあとか思ってしまうんよ!本当に天堂真矢という女の味方が大きく変わるので映画の中でも正直かなりヤベーと思う。

大場ななさんと星見純那さん、狩りのレヴュー。
いや、やっぱりじゅんなななのレヴュー何度見てもエエわ……!!
直前にロロロ見てたからなんですけど「ばななは泣き虫だ」ということを純那は知ってるんですよね、同室だからこそ他の人より大場ななという存在を知っているけど、過去の周回は何も知らない。
逆にばななは過去の再演を通じて「手が届かないと分かっていながらも手を伸ばす貴方が美しかった」ということを知っているのに、いや知っているが故に、電車内での発言を許せなかったんですよね。諦めるような発言をする星見純那は"私の知ってる星見純那"ではないと。
そしてその結果が「君、死に給うことなかれ」と脇差を差出し切腹(=舞台少女としての幕降り)を促すという行為に繋がるわけよね…。
更にいうとこれは電車上で言っていた『大場ななが演じている役』であり、鑑賞者(=作品を見ている自分達)が"そういう星見純那のキャラクター"を好きだということを見透かしていて、そういう期待に応えるために演じてる状態でもある。
大場ななは"この世界"の構造を(キリンを除いて)一番理解しており、登場人物の一人でありながら、狂言回しや道化のような立ち位置として物語を進める役割も担っているんですね〜。
最後に互いの知らない存在であることを受け入れて「じゅんなちゃん/なな」呼びではなく、「さようなら、"星見純那"」「さようなら、"大場なな"」と自分の未知だった1つの個人に対して別れを告げるというのも良すぎる……
この直後に大場ななさんが「純那ちゃん…」っていうから大場ななの中ではまだ再演の中で輝き続ける"純那ちゃん"とたった今知った未来を見据える"星見純那"が同一だと受け入れられてないんだというのもまたね……。
ここは他者の考察を見ての気付きですが、
電車上の純那「こんななな、知らない…」→ばなな「こんな純那ちゃん知らない!貴方は誰!?」
ばなな「あーあ、泣いちゃった」→終わり際の純那「…泣いちゃった」
みたいに互いに煽り合いというか互いが知ってるようで知らない部分を見せられてるっていう構造すごく面白いんですよね。

全ての序章が終わり、約束タワーを登った先で愛城華恋と神楽ひかりが対峙するシーン。今までなんで急に愛城華恋さんがぶっ倒れて急逝したのか分かってなかったんだけど、今回ようやく理解した。
神楽ひかりの口元と足元に転がるトマトから神楽ひかりはトマトという栄養(=観劇者)を得て存在意義を保っていられる。一方で愛城華恋の足元に転がるトマトは無傷で、トマトに見向きもしない。「二人でスタァライトをする」という存在意義で神楽ひかりだけを栄養(燃料)にして舞台少女として生きていたものの、神楽ひかりから"その先"を否定されたことによって『この映画における存在意義』を失ったため息絶えた。多分こういうことなんだと思う。
穿った見方にはなるが、「観劇者の『愛城華恋による再生産』に対する期待」の為に殺されたという解釈も可能だろう。

因みにレヴューで勝った方…まあ要するに『舞台少女として輝いていた方』は基本的に"舞台少女としての先の人生"を歩んでるんですよね。全員そうやろがい!と言われたらそうなんだが…

ふたかお…(win)双葉は新国立、(lose)香子は京都で世襲
ひかまひ…(win)まひるも新国立、(lose?)ひかりは…?
じゅんななな…(win)純那は…?、(lose)ばななはロンドンで舞台創造の道へ。まあ元々脚本やってたし(ロロロパンフより)普通に実質最強枠だからな…。
まやクロ…(win)クロちゃんは予定通りフランスへ、(lose)真矢は新国立。このレヴューだけ"次は…"って言ってるから痛み分け扱いというか二人勝ち扱いになってるのかも。
かれひか…(win)ひかりはまひるに負けてるけどこっちで勝ってるから特に何もなく他の面々と会いに放浪の旅へ?、(lose)愛城華恋は、次の舞台へ。

劇場版スタァライトは意図のあったりなかったりする示唆を無限にしてくるくせに、回答を明示しないことが多いのでオタクの怪文書考察が無限に出来てしまうバグがあるんですよね。この映画の構造そのものがSNS等で情報発信や共有がイージーになった現代文化にフィットしたモノになっている側面もある。



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