夢佳がバスケを辞めた理由について、怪我でもしたのかな、家庭の事情でもあったのかな、といろいろ考えていた。
でも、子どもにバスケを教えているシーンもあったし、もっと内面的なところに理由があるんだろうなと思った。
本当にバスケそのものが嫌いになったというより、バスケを続ける自分を支えきれなくなってしまったのかもしれない。
千夏にとって夢佳は、子どもの頃からずっと先を走る存在だった。
才能があって、ボールを自在に扱えて、周囲からも認められている。
そんな夢佳に追いつきたくて、千夏は朝練を重ね、ボールに触れ続けた。
けれど、夢佳の側から見れば、努力し続けられる千夏がまぶしかった。
夢佳の「努力できる力には憧れる」という言葉は、きっと本音だったんだろうな。
才能のある夢佳に憧れる千夏。
努力を続けられる千夏に憧れる夢佳。
お互いに、自分にはない輝きを見ていたんだね。
そして、そこに大喜が入ってくる。
夢佳から見た大喜は、まだ「やめる言い訳を探していない側」の人間なんだと思う。
上には上がいる。
進路はどうする。
これだけ努力して、いったい何になれるのか。
努力が必ず報われるわけでもない。
そんな現実があることは、大喜だってわかっている。
それでも「だからやらない」とはならない。
その姿勢が、今の夢佳にはまぶしくもあり、痛くもあったのかもしれない。
夢佳はいつからか、「やりたいかどうか」よりも「続ける理由があるかどうか」を考え始めてしまったのだろうか。
もしそうなら、やめる言い訳を探し始めた時点で、終わりの始まりだったのかもしれない。
それにしても、正論をぶつけたら物理(掌)が返ってきたのはちょっと笑った。(笑うところではないが)
でも、夢佳の「客観的に見ればいくらだって正論が言える」という言葉は重かった。
確かに、外から見ればいくらでも正論は言える。
SNSなんかでもよくあることだと思う。
ただ、その人がその時、どんな思いでそこに立っていたのかまでは、外側からは見えない。
大喜の言っていることは間違っていない。
けれど、夢佳の抱えているものも、そんな正論ひとつで片付けられるほど単純ではなかった。
あの平手打ちは、単に正論が気に入らなかったというより、自分の中の痛いところに触れられた反応だったのかもしれないね。
そして大喜も、夢佳の問題を簡単にわかった気になってはいけないと気づいた。
「夢佳がなぜ辞めたのか」が明かされる前に、まずそのことを描いたのが印象的だった。
今回のタイトル「憧れ」。
夢佳がまぶしく映る千夏。
千夏がまぶしく映る夢佳。
千夏を追いかける大喜。
そして夢佳にとっても、今の大喜は「自分がかつて持っていたものを、まだ持ち続けている人」として、まぶしく映っていたのかもしれない。
誰かに憧れる人もまた、別の誰かにとっての憧れになっている。
その輝きが前へ進む力になることもあれば、時には自分を苦しめることもある。
そんな「憧れ」の両面を描いた回だったのかな、と思った。