プリキュア史に残る名作回だと思う。
冒頭、ダルイゼンに「お前の中に俺をかくまってくれ」と請われるが逃走するグレース。
逃走の理由をラビリンに問われ、以前のようなつらい経験はもうしたくないと答えるのどか。それに対してパートナーであり、いちばんのどかを見てきたラビリンは「助けなくていいラビ。自分を犠牲にする義理も責任もないラビ。自分の気持ちも体も大事にしていいラビ。のどかが苦しまなければいけない理由はひとつもないラビ」とのどかを励ます。ダルイゼンをどうしたいかとラビリンに問われたのどかは「助けなきゃいけないとは思うけど…」と答えるが、どうしなきゃいけないかよりも自分がどうしたいかが大事とラビリンにたしなめられる。
メガパーツを取り込んで自らの延命をはかるダルイゼンだが、メガパーツの副作用のせいで自我が失われそうになる。助けてと再度グレースに懇願するダルイゼン。それに答えるグレースの長台詞がしびれる。
助けたら私はどうなるの?
いつまで?
あなたが元気になったらどうするの?
あなたは私達を、地球を二度と苦しめないの?
私はやっぱりあなたを助ける気にはなれない
あなたのせいで私がどれだけ苦しかったかあなたは全然わかってない
わかってたら地球を、たくさんの命を、蝕んで笑ったりしない
都合のいいときだけ私を利用しないで
私はあなたの道具じゃない
私の体も心も全部私のものなんだから
従来のプリキュアであれば優しき自己犠牲の精神で何がしかの救済をしてしまう話の流れになったであろう(プリキュアは幼児向け番組なので道徳的なのだ)が、ここまではっきり拒絶したのに驚いた。病気のメタファーであるビョーゲンズは絶対悪として描かれるのでここまで強く拒絶する描写が出来たんだろうなと思う。これが敵も人間であったなら相手の正義などがからんで来て話はそう単純にならない。
自分の力や論理や倫理ではどうしようもないものが世の中にはあるという、ある意味世間では目を背けてしまいがちな(時には「愛」を隠れ蓑にしてまで隠蔽しようとする)テーマをきちんと女児に伝える制作側の姿勢はすごい。
「自分のことしか考えていない」と非難されてしまう危険性があっても苦しくても自分の気持にきちんと向き合い、自分の気持ちに正直になるべき場面は誰の人生にもたくさんある。プリキュアとはいえひとりの弱い(そして強い)女の子なのどかがそれを達成したとき、その克己に僕たちは感動する。
ところで、「私の心と体は私のもの」って言い方はいかにも女性脚本家らしいし、病気を扱うヒープリの主題にもとても合っていると思う。男性なら「私は私」のようなマッチョなトートロジーを使いそう。