「怪人とは言っても、役目を終えてそれで終わりというのはどうなんだろう?」 という黒井津さんが触れていた問題。
作品タイトルである怪人開発を特撮パロディだけではなく、怪人の多様性として描いてきたのが今回だろう。
黒井津さんが今まで少し触れていた怪人開発における怪人の「多様性」(戦いだけの機能から日常生活等、基本的な機能まで拡張してあげたいという考え)。
今回はこれが怪人とは、本来は戦う為に作られてるので、人間社会に置いて身体機能(発声など)は足りていない等、自分の成りたい物を目指す上でぶつかる壁なんだと言及している。
その上で、怪人ながらアイドルに憧れ、直向きに努力していく者を描くのである。
そして、その夢を追う者を応援する者、そこからアイドルという夢に向かい、そのステージに立つ怪人ちゃん。
一見グロテスクとも言える怪人開発だが、その人の手によって生み出され戦うことが意味である怪人という存在に、当たり前にあるべき生きること、特撮の伝統的な文脈としてヒーローに倒され爆散する怪人を、こういったある種の二次創作的な形で救済的に描けるというのは、本作の強みと言えるのではないだろうか。
「万能の怪人が人間の仕事を奪うべきではない」との言及もあり、それをアイドルという文化で描くのだ。
そして、そのナイーブな面を浮き彫りにし、ラストのメギストスさんのギャグで落とすという構成、これがまた凄く良かった。
ここまで真面目なことを書いたが、基本的にこの作品はシリアスなトーンというよりはギャグとして軽いノリで描かれているし、怪人開発についてシリアスに掘り下げているとも思わない。
雑感。
この作品のパロディとして扱う特撮像というのは昭和特撮だと思うのだが、所謂パロディとしてメタに踏み込みやすい形式化されたパブリックイメージに基づいた特撮像とも言える。
そう。お約束として、「変身パートがー」「怪人と茶番めいた応酬を繰り広げる」といった風に、視聴者がイメージしやすいだろう。
要は古典化された、わかりやすく誰もがイメージしやすいからギャグとして受け入れやすいし、楽しく見れるのだ。
ここで話しておきたいのは、昭和特撮よりは平成ライダーの方になる。
二次創作(に限りなく近い形)で怪人を救済的に描いていたのが今回と言ったが、昭和特撮に基づいた描き方として非常に良かったのは確かだ。しかし、平成ライダーにおけるアギトやファイズと言った、テンプレート的な勧善懲悪の図式から逸脱した作品群もあるのだ。
例えば、主人公が怪人だったり、そもそも登場人物の半数が怪人だったりという風に、怪人になってしまった人物達を当たり前のものして描いているのだ。