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ぷーざ
@pooza

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良い

本日の朝実況。
物語の核心を明らかにした結果、テーマ性が浮かび上がってきたのと同時に、矛盾や問題点を生み出した様にもみえる評価の難しい回。

亜久里は何故、レジーナとの決着をつけなければいけなかったのか。
漠然と「宿命」と言っていたが、二者の「戦い」に世界の行く末を託そうと言ったのは確かに王女だった。魂を二つに分け、いずれが正しいかの審判を委ねるという意志はわかるとして、その方法は「戦い」に限定されるべきだったのか?
ここで道を誤っていたのは実は王女であり、亜久里はその意志に従ったに過ぎないのか?それとも、「戦い」というワードを使ってしまったのは脚本上のミスだったのか?

王女の真意が本当に、亜久里とレジーナを戦わせることによる審判だったとして。その意志が「レジーナとの和解路線」という、プリキュア間で既にあった合意と反しているのは当然としても。
レジーナに真実を告げ、レジーナ自身が雌雄を決しなければいけないと判断し、亜久里はその上で初めて決闘を始められたはず。クラウンのビジョンを先にレジーナに見せてから、決闘を始めるべきだったはず。本来はこのような段階を踏まなければいけなかったところ、亜久里の独断はプリキュアたちだけでなく王女の意志にも反していたことにならないか?

レジーナが悪ではないことからわかる様に。亜久里の判断が必ずしも善であるとは言えないことからもわかる様に。プシュケーを2分した要素は善と悪ではなく、利己と利他とでも言うべき関係なのだろうか。
いずれにせよ、二者の「戦い」によって審判を行うことが王女の意志だったとしても、それは問題の先送りに過ぎず、より本質的な解決が必要というキュアハートの立場がこの場では絶対的に正しい。そのキュアハートにも真の敵がまだ言語化できていないが、より真実に近いのはこの頼もしいリーダー。
皮肉なことにレジーナは真実を知った上で青目に戻り、操られているのではなく自らの意志でプリキュアと戦うことになってしまった。この救いのない戦いを、誰かが止めなければいけない。

些細ではあるけど、気になっていたことがあって。
王女が登場する回想では、キングジコチューへの態度は明らかに父に対するものではなく、敵意を以て「キングジコチュー」と呼んでいた。ぶっちゃけ後付け設定だからなんだろうけど、見返すと不自然と感じる部分。
「もうあなたを父とは呼ばない。今からあなたをキングジコチューと呼ぶ。お覚悟なさい、キングジコチュー!」的なセリフが、たとえ後付けでもあるべきではなかったのか?



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