何でもネガティブに捉えてしまい、すぐ謝罪行動に移る利津と満を手玉に取る紫呉が本当に鬼
紫呉から離れてしまえば、そんな鬼の所業から逃れられるんだろうけど紫呉は離れられない状況を作ってからイジっているんだよなぁ……
その癖、何の文句も言わず原稿を書き直したり満を気遣って利津に送らせたりと配慮もしているのだから尚の事厄介なのだけど
そういう訳で利津登場回。怒涛の謝罪芸はある意味キャラクターが立っていると見るべきか。
そういや、こういう中性的キャラクターって一昔前は女性声優が演じるものだったけど、今は普通に男性の河西健吾さんが演じてるんだね
過度な謝罪癖は自己否定や他人へ与えるネガティブな影響に感性が敏感である事が原因かなと思っているんだけど、利津はその傾向が強いのかな?
物の怪憑きである自己の在り方を否定するかのように女装しつつも、同時に女装する自分を恥ずかしいと思っている。原稿を汚した際には、原稿を担当さんにとって命より大事と言い自分の命で償おうとする
そんな利津が欲しているのは自分を恥ずかしいと思わない自分なんだよね。でも、そう考えてしまうことが現状の自分の否定でも有り……
利津に捧げられた透の言葉が素敵だね
利津が現状の自分を完成されたものでありこれ以上変化しようがないものとして扱ったのに対して、透は利津の在り方を生きている、藻掻いている途中のものだとして扱う。変化の可能性を滲ませる
利津に言葉を投げかける中で透は足を滑らせ落ちかける。しかし、みっともない姿になっても屋根の縁に留まった。そこから自分の力で立ち上がり言葉を続けた
その透の言葉を裏付けるような一生懸命に藻掻く姿勢は利津の心に響く。そして今の利津を肯定し、これからの利津の在り方に目を向けさせる言葉に利津は同調できる。
その同調は利津だけでなく、利津と同じようにネガティブに自分を否定していた満にも届く。二人の気が合っていく
一人だったら大変な自己改革も二人なら実行できる。特にその先に同じ望みが有るのなら
謝罪芸持ちの二人が気分を入れ替え、未来へ目を向ける様子が優しさに溢れた情景で描かれた回だったように思う