一作目を見た際、衛宮家に留まる桜の存在は士郎にとって暖かい家の比喩的存在になっていると感じたのだけど、桜にとっても衛宮家の存在は寄る辺となっていたようで
筆舌に尽くし難い過去を持ち、現在進行系で自身が危うい存在となりつつあることを自覚していた桜。そんな彼女に士郎は何でもない穏やかな顔で接してくれて、あまつさえ家の鍵を預けてくれた。桜にとって衛宮家で過ごす時間は心を温めるような時間だったのだろうな
でも、本作はそんな甘っちょろい穏やかさを許すような作品ではなくて。明かされるのは桜が既に侵食された存在であるということ。普通に笑っていられるだけでも奇跡のような時間であり、いつ自分や自分の周囲が壊れてしまうかあやふやな身体で居たということ
それを考えれば彼女が士郎の傍から消えようとしたのは周囲を守るためなんだよね。だというのに士郎は「俺が守る」なんて言っちゃうんだもんなぁ…
それは桜からすれば奇跡の継続であり、同時に壊してはいけないものが増えてしまった瞬間でもある
桜に忍び寄る侵食。本作では桜を中心として様々なものが侵食されていく様子が描かれている
有るべき姿を無くしていく聖杯戦争、士郎に移植されたアーチャーの片腕、衛宮家に次々とやってくる少女達、凛も共有していた士郎との思い出、
その状況は桜を追い詰めたのだろうなと推測される。変わってしまった片腕は目に見える異変であり、見えぬ異変は近づいていく凛と士郎の関係。元々身体が限界だったのも有るのだろうけど、桜を大胆な行動に走らせたのは自分と士郎で構成されていた衛宮家が侵食されたからなのだろうね
そんな彼女を力強く受け入れた士郎がとても格好いい
このHFという作品に対して士郎が掲げる正義の味方という精神は非常に適っている。
囚われた心を持ち自分は悪い人になると考え、自身が他人に与える恐怖に怯える桜。そんな彼女を前にして彼女が恐れながらも最も欲している言葉を何の迷いもなく言い放てる士郎の姿は正に正義の味方としか言いようがない
だというのに本作は一方で士郎が掲げる正義を試すような展開に進む
間桐臓硯が悪であり、彼を倒せば桜の平穏な日常は手に入る。それが理想的な正義の物語だったけど、本作はそんな生温い事許してくれない。
大を救うために小を切り捨てる。切嗣はこれをやって行き詰まった。そして切嗣を目指して正義を志した士郎に突きつけられるのは全を救うために桜一人を切り捨てなければならいという現実
一方で有る種哀れに思えてしまったのが慎二の存在
彼は間桐を継ぐ者であった筈が持つものを持っていなかったために桜に負けて、弓道で士郎に負けて、預けられたライダーも自分のものとはならなかった。誰からも期待されず、本物になれない偽物の魔術師
そういった環境に居たとなれば彼が少しずつ追い詰められていったことは容易に察せられる
彼が桜にしたことは到底許されるものではないけれど、それでも彼を哀れに思う気持ちは止められない
士郎と過ごした日常を侵食から守るために自分を押さえつけていた桜の背を押してしまったのは、別の侵食される日常の中で生きてきた慎二。そして姿を表す全ての歪みの元凶
誰がどう考えても望まれる正義なんて一つしか見つけられ無い状況で桜だけの正義の味方になると誓った士郎に一体何が出来るのだろうか