ローワンの言う通り、茉里を刺し貫くことで光は現れた。しかし、それはララ自身が本当に望んでいたものではなかった。
結局「本当の愛」を見つけ、人魚の世界に光をもたらすことは、ララにとって周囲から勝手に期待された役割に過ぎず、本当の願いは「茉里のいる世界にいたい」ということだったのだろう。
つまるところ、『さよならララ』とは、周囲からの勝手な期待から抜け出し、自分が生きたい明日を選ぶ、エゴの物語だったと言っていいのかもしれない。
この作品を見ていると、「本当の愛」とは何なのかを考えてしまう。
実際、自分も「本当の愛」は単なる恋愛ではなく、もっと大きな意味での、すべてを包み込むような愛なのだと予想していた。
なんなら第8話の感想で書いたように、本当の愛にたどり着けば物理的に存在しなくなり、人魚の世界を照らす光となって、人魚の世界を愛し、命を与え、守る。そんな存在へと進化するのではないか、とまで考えていた。
しかし、視聴者としてそういった「本当の愛」の在り方を想像すること自体、愛とはこういうものであるべきだと、ララに押し付けることだったのかもしれない。
ララ個人の選択には納得できる。
一方で、ローワンたちは徐々に光を取り戻しつつあるとはいえ、元の人魚の世界は復活せず、ローワンの人間に対する考えも変わらない。結局、人魚の世界が抱えている問題は先延ばしになっただけ、とも受け取れる。
これはララが自分の望むものを選択した以上、当然の帰結なのだろう。現実的な決着と言えばそれまでだが、少し物足りなさを感じてしまうのも正直なところだ。
茉里が大事なのはもちろん、家族も、出会った人々も大事。人魚も人間も関係なく、すべてを選びたい。
そんな欲張りなエゴがあってもよかったのではないか、と思ってしまう。