原作の時点でそうだけど、個人的にかなり今の自分に刺さった回。
いつまでも自分の好きな幻海でいてほしかったと願い、変わり果てた幻海を見ていられなくなってしまった戸愚呂。
「本当に変わってないよ。あんたの頭の中は闘いだけだ。
あの時からずっとそうだ」
"強さ"がすべてで、それが無ければ生きている価値など無いという戸愚呂の考え方(仲間が全員化物にぶち殺されたという事情はあるが)は、
自分の好きだった部分がほとんど消え失せて(見えなくなって)しまった声優に対して、
興味をほとんど持たなくなった今の自分にも刺さる部分があった。
「お前は幻海じゃない。骨と皮の、ただのガラクタだ」
とまで言っている。
これに対する幻海の考え方は、
「あんたが歳を取ればあたしも歳を取る。それでいいじゃないか」
と、自分/他人が変わっていくことを受け入れるべきだという。
それが出来る人間と出来ない人間がいるということなんだと思う。
僕も出来なかったし、今、声優を見ているのも正直つらいので。
だから幻海を殺した戸愚呂が(戸愚呂がこうなってしまった背景が説明される前の)この時点ですらも完全なる悪魔のような存在という風にはどうしても見えない。
この戸愚呂の行動もまた人間らしさであるように見える。人間らしさがないとわざわざ幻海を殺すことにこんなこだわりなど持たないと思う。
妖怪になっても普通に人間らしい感情はそのまま残っていたのだと思うし、大会が終わった後の霊界でのセリフも納得がいくというか。
戸愚呂が最終的に幻海の弟子である幽助にぶち殺されるというのは本当にスッキリするし良い流れだと思う。
全体的にこの回の戦闘アニメーションめちゃくちゃかっこ良かった(コンテ新房回だった)。
見ながらもしやと思ってたらやはり新房昭之さんが絵コンテと演出を担当してる回だった。今までの回とは違うテイストの映画みたいなキャラ描写だった。しかし戸愚呂がどアップで不敵な笑みを浮かべるカットはちょっと笑ってしまう…w
幻海師範の考え方は、いいよね。私の嫌いなやつに悪人が多いだけ、とか。人間は時間と戦う、とか。