平沢進師匠が音楽を担当しているとのことで気になっていた作品
序盤は何が起こっているのか分からず戸惑ったが女優にインタビューしているって事を思い出したらすんなり世界に引き込まれていった
成田剣さんかと思っていた声が鈴置洋孝さんだった事に驚いてしまった…
千年女優
2024/01/27/21:00-2K上映 千年女優<特別興行>@チネチッタ
今敏監督作はPERFECT BLUEとパプリカに続いて3作目の鑑賞
見せ方が丁寧で観ててわかりやすいし(当社比)、シンプルにエンタメとして面白かった〜〜!90分で見やすいし!
「過去」と「映画」の入り交じる回想に「現在」の人間が介入していて、その切り替わりもシームレスに行われていて、時には過去や劇中の人間に対して現在から演じることで干渉すらもあり、何が虚像で何が本当に在った事実なのか、捉えどころのない話になりそうにも関わらず、確りとした話の根幹に関わる全体像はフワッと掴める作りになっていて、非常に興味深い。
主人公が女優で多種多様な役を演じている中、顔にトレードマークと言わんばかりについた『涙ボクロ』があるおかげでどのシーンにおいても観客はその一意性を確認する事が出来、そのシステムがあるからこそ後半の老婆のシーンが活きてくる。
また、主人公に限らず他のキャラクターも、「小太りのヒゲオヤジ」「関西弁のメガネ」「銃創のある敵」「マフラーを付けたCV山寺宏一(?)」と、特徴的な部分のわかり易さを非常に意識されてデザインされているように思う。
一方で、先輩お姉さん女優と監督の人は少女の頃から大人になって老いてゆくまでを表現するためか、かなりストーリーを通じて造形が変わっているように受け取れた。顔に記号的なものがないのもあるだろうか。
後半では、一度逢っただけの男に恋をして旅に出るという構図から自分は『すずめの戸締まり』をふと脳裏に思い出していた。
……思い出してはいたものの!新海誠による作品だった場合は、『辿り着いた場所で絵を発見し、探していた男に会えないと分かった』という所から更に後編が始まる位の展開を見せてくるはずなので、このまま映画が終わりに向かって「会えないままでも…」という終わり方がちょっと意外だった!
直近の地震の際にもこの映画を想起していた。良くも悪くも人の心に大きな爪痕を残す映画ではあると思う。
前半では「初心な純情」を見せていた少女の彼女が、14日目の月のような淡い希望に縋って女優の世界を脇見もせず追いかけて行った先で、最後には「追いかけてる私が好きだったから」とまで言えるようになったのは感慨深い。
人の別れを乗り越えた先の成長と取ることもできれば、女優/俳優の世界の軋轢によって生まれた歪みとも解釈できるのが個人的にとても良い。
手紙で居場所が分かった瞬間の走り出しのシーン、山場でめちゃくちゃ良かったね〜〜〜!!!
明治〜大正期、幾多の時代と幾多の場所、幾多の役を演じながら、追いかけて、走って、ぶつかって、転げて、それでも手が届かない。
そんな演出を何度も繰り返して、観客も丁度展開が読めてきそうなあたりであの見せ方が出てくるのがニクイね〜〜!
過去の道程を想起させつつ、今までの経験は全部無駄じゃなかったんだと思わされる。
自分は『うしおととら』に代表されるような、小さなストーリーで重ねてきた善行や設定が最後に上手く拾われる演出が大好きです。
時間という演出道具は不可逆なので、ロングパスが上手いほどその分の時間が積み重なって重みが生まれるからなのかなと思っている、とにかく好き。
これはうろ覚えなため記憶違いかもしれないが、家政婦のおばさんが2回目の現実シーン(薬飲む回)のあたりでなんかかなり苦い顔をしていたような気がしていて、もしかすると仕えつつも千代子に何らかの恨みがあり、日毎に毒なり何なりを飲ませて衰弱死を狙っていたのかな〜などと勝手に思った。でも悪意があったらわざわざ世話したりはせんよなあ……
最後にロケットで飛び立つ(という出演作品の)シーンで締めるの、良いですよね〜
ロケットなんて「旅立ち」をコレでもかと象徴するモチーフを使って新しい場所でもまた憧れの男を探しに………
ン゙!!?!!コレもしかして「千年女優は次の舞台へ」ってこと!?!?!また劇場版スタァライトの話してました!????!!
でも冷静に考えると、ドアを開けた瞬間次のカットで全然違う舞台設定のシーンに移行したりする演出とかは9割位スタァライトだと思うし古川知宏が千年女優(に限らない今敏監督作)に少なからずインスピレーションを得ているような気はするな……あの人のアンテナクッソ広いし……。
きっと小難しい話なんだろうなと思って(勝手に思い込んで)なかなか手を付けずにいたが、とっとと観れば良かった。
この作品の面白さを自分の語彙で説明するのは到底無理だが、あらためて「アニメーション」ってスゴイんだなと思った。
アニメ映画の中でもトップレベルの完成度。この構想を美麗な作画で実現している時点ですでに勝ち確。
平沢進の楽曲と映像のマッチングが凄い。
かつて大女優として一世を風靡した藤原千代子。彼女が語る「恋する少女」としての半生と「恋する女性を演じ続けた女優」としての半生。そこに映し出される実態の千代子と虚構の千代子は曖昧に溶け合い、「届かぬ恋を追い続ける感情」に囚われた千代子の内面に広がる盲目的な愛に陶酔した世界観を描き出す。
あの人を想っている限り、私の心は永遠にあの時の少女のまま。しかし、自分の心の外の実時間は一定の速さで過ぎ行く。いつまでも幼い恋心を追い続ける私とは対象的に、年相応に結婚が自分の周りを取り巻く。そうやって私の心は時の流れから取り残されて、自分の老いも、あの人がもういないことにも気付かない。
だけど、あの人との約束を追い続けている限り、そんな無情な時の流れを忘れられる。だから千代子は「だって私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの」という台詞を最後に残したのだと思う。
千代子は女優として様々な時代・舞台で一人の男を想い追う役を演じてきた。それと同じように「恋に恋すること」で、千代子は現実とは切り離された世界、もう居ないはずのあの人が何処かで待っている世界を生きることができる。あの人との「愛に生く」ことで、あの人に「会いに行く」ことができるのだ。
「女の子は恋をすると可愛くなる」というが、恋をすれば永遠の若さも、次元を超えた世界にトリップすることも現実にしてしまうのかもしれない。そんな「恋の魔力」ともいうべきものを、老いてなお美しさを覗かせるまさに魔女のようでもある藤原千代子という女性の走馬灯とも取れる回想に感じた。