いやーいいオチだったわ。
男が掌返すのかと思ったがw
人の業の深さと強かさとままならない思いを感じた。
画像修正ソフトや整形手術で顔をイジる女性をグサグサと刺しながら、心の美しさを重視する男性アイドルというファンタジー要素で救済。
女の子の作画が整っていて良かった。のっぺらぼうにビビるまなの顔がなぜかギャグ調で可笑しかった。
性格のキツいファンの子は元々美人だし、きららだって顔の作りに難ありというより表情に難ありだと思った。それでも手術に依存してしまう業の深さ。
最後にやっぱりずんべらに頼ってしまうきららというスッキリしない終わり方も良い。
最後のオチがブラックだという意見が多いようですが、いやいや、全然黒くないと思いますよ。今回のテーマはズバリ「持つ者と持たざる者」です。
今年大評判となった映画『グレイテスト・ショーマン』で、白人男性フィリップが有色人種の女性・アンに恋をし、住む世界が違うと嘆くアンにただ「そんなの俺は気にしない」と連呼する、というシーンがあったんですが、いやいやそういう問題じゃないんです。当時のアメリカにおいて絶対に迫害されない白人男性が彼女に「身分の違いがあっても気にしない!」と言っても説得力はゼロで、その違いのせいで彼女は命も危ないんです(実際、サーカスは放火されました)。受けている苦しみを理解しようともしないまま甘い言葉を吐くフィリップと主人公バーナムのせいで、この映画は正直褒められたものじゃありませんでした。年間ワースト候補です。
今回の鬼太郎でも、ユウスケがいくら「君は心が綺麗だ」と言っても、それがきららの救いになるかと言えばそうとは限らないし、これまでのフィクションはそうなる展開を書きすぎたと思います。きららが受ける悲惨過ぎるいじめや扱いは、見た目の美しさより心の美しさ、みたいな美談だけで解決できるものじゃないですよ。宅急便の男のあのリアクションとか失礼にも程がある。持たざる者だった故に悲惨な目にあったきららの呪いは、持つ者であるユウスケは勿論、まなにも、そして大人の事情で持つ者へと改造させられた(←ここ重要!)猫姐さんにも解けるものではなかったのです。
俺は決して、整形手術を受ける人を馬鹿にしたりは出来ません。元が不細工だろうがそうでなかろうが、より美しくなりたいという願いは絶対に否定されてはいけないのだから。
イケメン若手俳優?の「顔よりも心がキレイなのが一番」という親身ある説得や鬼太郎の忠告。
それらを最終的にははねのけて、霊形手術で容姿を変える選択をしたロリィタさん最高では。
薄皮一枚という表層こそがすべて。
死人の顔でもいいからイケメンになりたい(ぇ
一瞬意外とも思えるオチ、まぁ最初から可愛く見られることに全力だったので当然の流れだったか。
バクシャンで画像修正に熱心だった彼女が化粧すらしなかったのは不自然さを感じたが、改めて考えると、顔は彼女にとって単なる欠陥という認識だったのだろうな。顔がコンプレックスなら顔を隠すし目立たないように引きこもるが、彼女は違った。顔さえどうにかなれば自分は完璧になれる。その結果としてのオチ。見た目より心というのは多様な価値観のひとつでしかないと。ハッピーエンドも一つではないと。
それはともかく犬の糞と他人の顔を並べて例えるのはどうかと思うよ、まな。そういう残念なところが可愛いが。
きららのフォトショのスキルはガチ
ずんべらはすぐわかったけど、きららはよく似た人かと思ったら本人でした。
死人の顔は怖いけど、生体だと惨事なので、むしろ良心。
きららの取った行動業の深さなのか、覚悟を決めたからなのかは議論の余地ありかと。
ただ、本作の一番はねこ娘なので、その他はコップの中の嵐。