すごく素晴らしかった。それはそうと言いたいことがまとまらない さよならララって流動の話をしていると思ってて、確固として存在する固体(誤字ではない)たるものは存在せず、ただ流体だけがある、コミュニケーションとは自己そのものが咀嚼される、つまり固体と思われるものが液体化する過程(=流動)であり、重要なのはその過程における意志(ここの意志とは意志という物質というか持てるものという捉え方ではなく、そのもの、行為、ing性を重視する)で、それが「光」としての可能性(=ダイナミズム)であるって感じなのかもしれない、新天地論でも脱出論でもない、いま、ここというものでも安住でもない、行為性(=流動性)そのものの話だったかなって気がする