1年ぶりに再び映画館で...
暁美ほむらの全てはまどかのため。自分が生きる意味も何もかもを捧げられる。
だから、全ての魔法少女を絶望の輪廻から救うために鹿目まどかがいなくなった世界は虚空で無為。その隙間を透き通るように綺麗で、おぞましい程に禍々しいが感情が満たしていく。もし世界の定義がその想いに反するのならば、宇宙の理ごと変えてしまうだけ。
正義の理屈も悪の倫理も「愛」で煮詰めれば全て曖昧に溶け合う。
だから、あなたを救うために私はあなたとの永遠の離別を選ぶことができる。せっかく手に入れた偽りの甘い夢。あなたと一緒にいられる、分かち合えるこの希望の世界を再び絶望の淵に捧げることができる。
だけど、円環の理《鹿目まどか》に認知されない世界の中は絶望と後悔の輪廻。でも、その苦しみこそがまどかの幸せのためであり、私の幸せとなる。自分の首に当てた手をきつくきつく締めずにはいられない。それでもあなたは助けに来てくれて、私の中の「会いたい」という気持ちをもう躊躇わなくても良いと言ってくれる。
全てはあなたへの「愛」がそうさせる。希望は絶望へと、絶望は希望へと転化する。「愛」に煮詰められて希望も絶望も溶け合い、善も悪も曖昧になる。
希望の魔法少女に絶望の魔女が触れた瞬間、「愛の悪魔」が降誕する。
ほむらは「円環の理」から《鹿目まどか》を引き剥がす。もうインキュベータの手に渡さない、もう誰の手にも渡さない、もう世界からあなたという存在を奪ってしまう。「もうあなたを離さない」─だからあなたを私だけのものにする。
それが愛を募らせた魔の所業。愛ゆえに正しくあれない己を躊躇する理性ももうない。あなたをこの手の中に閉じ込めておくためなら、どんな悪にだって手を染められる、あなたの敵にだってなれる。だけど、その矛盾し歪んだ感情はどこまでも純粋なのだ。自分の欲望になりふり構わず素直であり、どこまでも人らしい。彼女のこの愛欲を誰が否定できるのだろうか、共感し得ないのだろうか。
そんな最後にほむらがまどかにリボンを返して「やっぱりあなたの方が似合うわね」と涙を浮かべる場面。その涙に映るのは、まどかを愛し求める限り自分は正しくあれない「愛という呪い」を憂う悪魔の少女の姿だった。そしてそれはどこまでも美しくどこまでも醜く、何よりも幸せで何よりも苦しい……。そんなこの愛の物語を象徴するシーンだった。
そんな風に考えると、なんだかこの「叛逆の物語」は「リズと青い鳥」と同じで真逆という印象が湧いてくる。