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「SSSS.GRIDMAN」─甘くて不安定なアカネの世界の意味─ 感想と考察
https://llxyo.github.io/post/gridman/

不安定・青春エッセンス

新条アカネの心という狭いセカイの中で、彼女自身の存在がいっぱいいっぱいに肥大化していた。彼女の怒りやストレス、ナイーブさや未熟さ、自己中心さやわがままさといった自己と世界が分離できてないセカイの捉え方を、愛おしさたっぷりに言えば青春と呼び、はっきり言えば幼さとか子どもっぽさと呼ぶ。

そんな彼女の自尊心と自我が膨らみ続ければ、やがて15歳か16歳の小さな器では収まりきらなくなって、次第に自己と世界の間から整合性が失われてしまう。あるいは、その器・彼女自身が孤独に傷つけられて欠けてしまうと、自分自身という中身を器の中に保てなくなってしまう。

新条アカネは前者の素養もあるけれど、同時に孤独といった形で後者の原因もあったように思う。そして、自分の意思と現実世界が折り合いを付けられなくなって、彼女は自己と世界が分離されないセカイを、彼女自身の内側に作り出してしまったのだ。

そこは全てが思いのままのセカイ、みんな私を好きになる。そして、本来あるべき姿、あって欲しかった日々、ただただ楽しいだけで良いという幼さの詰まったセカイは、まさにアカネに幼い視野を表象であり、「日常」と呼ぶのだと思う。


第9話「夢・想」:幻と現に引き裂かれる私

裕太や六花たちは不思議な世界に迷い込む。アカネといつも以上に親密な日常をだらだらと過ごすだけの日々。うっとりとした熱にほだされてしまいそうになりながら、甘い夢に酩酊していく。

そう、はっと気づけば、これは夢なのだ。そして、裕太たちが覚醒して、現実へ帰らなくちゃと駆け出す。

だけど、束の間の夢は覚めてしまえば、アカネにはひたすら孤独で、空虚で、空しく届かないものが詰まった現実を目の当たりにさせられてしまう。

そんな夢が夢だと突きつけられた中で、この夢が現実であって欲しいと焦がれて固執し続けたせいで、アカネは却ってその夢の中から帰ってこれなくなってしまった。夢を現実だと自分に言い聞かせ続けて、夢を現実にするために不都合な事実を跳ねのけようとする。

「六花は私のこと嫌いになれないよ、私が六花のことそう設定したから」

自分がそう仕組んだのだからアカネ自身が一番その事実を良く知っているはずなのに、六花たちがこの世界が偽物だと気づいてもなお、アカネだけがこの世界で一緒にずっと楽しい日々を過ごそうよとせがみ続ける。

本当に救うべきなのは、この偽りの夢の世界に囚われた者たちではなく、理想と現実の狭間で溺れている新条アカネなのだ。


第10話「崩・壊」:3人の子どもたち

ヒーロー・裕太、人間・アンチ、そして怪獣・アカネという3人の幼さや子どもっぽさの象徴たる存在。

アンチの当初の何もなさや動物のような振る舞いはまるで自我のない赤ん坊のようだった。しかし、赤ん坊はやがて育っていく。そして、いつしか人の心を読んで人に合わせる、そんな優しさを育んでいた。怪獣として生まれた彼にとって、それは失敗作かもしれない。だけど、人間に近づきすぎたそれは既に人間の命を持っていた。

気付けば記憶喪失だった裕太は、世界の危機を前に「自分にだけできること」を追い求め、グリッドマンと一体になって戦い始めた。自分自身をヒーローに重ねるのは、何とも典型的な子どもの姿のようで微笑ましさすらある。自分を特別な存在だと信じ、大きな力で世界を変えてやると意気込む。稚拙だが、一方で果てしなく健全な姿である。

アカネの稚拙さは言うまでもない。その結果が、この作り物の世界。そして、その果てに、彼女は存在するだけで人の日常を奪ってしまう怪獣を生み出すことに終局する。不都合な現実をなかったことにするのだ。そして、それは他人の日常だけでなく、自らの日常すらも蝕む。他人との繫がりをも破壊して、孤独に孤独を重ねる。そうやって日常を壊すままに、彼女は裕太を刺してしまう。


第11話「決・戦」:たった一つ、信じるのは友達

だけど、人間には、人間だから、怪獣となったアカネのズタズタに切り裂かれた心の痛みも分かるんだ...。

だから、孤独の中で何も信じられなくなってしまったアカネを六花は追う。

そんな六花のことをアカネは関係ないと突き放そうとするけれど、六花は「私は友達だと思ってる、だから全然関係なくない。」と迫る。そこでアカネは言い放つ「六花は私の友達として設定されたんだ」という言葉は、六花へ向けた言葉以上に、自分に対して突き刺す言葉だった。自分が作った世界の中ですら、私は本質的には孤独な存在なんだという言葉の自傷のよう。

それでも、六花の「私はアカネの友達、それ以外に生まれてきた意味なんていらないよ」という返答と「アカネはどう思ってるの?」という問いがアカネが目を背けていたもう一つの事実を直視させる。空虚な偽物の世界かもしれないけど、それでも確かに六花たちとの満ち足りた記憶の断片もあって…、それで充分じゃんという思い。

だけど、そんな真人間みたいな感情、アレクシスは許さない。そして、今度はアカネ自身を怪獣にする。もう怪獣は作れない、もう誰かの日常を壊せないと言う彼女自身を、怪獣という日常を破壊する存在そのものに変えてしまう。

もう人ではないソレは永遠の孤独の存在に成り果ててしまう。EDで描かれるような六花と二人隣り合った日常は手に入らない。君と同じ景色も見れない、君の隣にもいられない、最後までこの世界にかろうじて私を繋ぎ止めてくれていた六花との繋がりも失ってしまう……。


第12話「覚醒」:少女は人間に羽化する

怪獣が人間に戻る方法、幼い夢から覚める方法。

アカネ自身が神様として君臨する偽りの世界、イマジナリーな街はその心に収まってしまうほど狭いものにすぎない。そんな小さな理想の街は何もかもが自分の意のままで退屈だけど、狭い中でごちゃごちゃで自らコントロールもできない。そんなアカネだけの世界が、世界を破壊して、アカネ自身も壊してしまうアカネという怪獣を生んだのだ。

でも、だから、アカネは自分自身を飛び出した世界に、みんなのいる世界に羽ばたかなくちゃいけない。そして何よりも彼女の友達たちがこっちへ来いと手を引いてくれる。六花や裕太や内海が呼んでいるから、必要としてくれるからアカネは一緒に行かなくちゃいけない。

それに、大人も子どもも誰だって一人一人の存在だけど一人じゃない。だから、誰かが必要としてくれれば、二人の世界は繋がって、アカネの世界も広がっていく。そして、六花たち三人はアカネが設定して生み出した存在だからこそ、アカネが救われることを願っているのだ。

そして、そのためのグリッドマン同盟であり、アカネも含めた友だちという4人の繋がり。自分の心に収まらないような広い外側の世界、それは確かにままならなくて怖くなってしまう。だけど、その広い世界を生きていくための友達という存在であり、その友達と繋がるために広い世界に踏み出すのだ。

それに、自分が一方的に頼るだけじゃなくて、自分も誰かに頼られる。アカネの世界で言えば、「私のことを好きになってくれる」のだ。そんな繋がり合える世界こそが、アカネにとっての本当の居場所であり、退屈さとは無縁のままならないからこそ刺激的な日常が待っている。

怪獣と人間

怪獣と化したアレクシスケリヴとグリッドマンたちの戦い。それは怪獣と人間のせめぎ合いの最たる象徴として映り、また人間という存在の価値を浮き彫りにさせた。

限りない命を持つ怪獣が、その強大な力を持って人々の繋がりを断ち切り破壊する。その一方で、いつかは死んでしまう人間は弱い命を持っている。だからこそ、繋がりを求めることができて、破壊するのではなく、何かを生み出したり修復したりすることができる。

不完全な僕たちは自分たちの世界─それは自分自身の人生や、自分を取り巻く友達や仲間たちの存在─と繋がり合って、助け合って修復し合って生きていく。そんな人間の生き様を象徴した存在、僕らの友情の力を真価を教えてくれるのが、合体超人・グリッドマンだったのだ。

アカネは六花で、六花はアカネ

私たちはアカネという一つの心の中に生まれた二人、だから傍から見れば、同じ存在。そして、いつまでもどこまでも一緒で、互いに支え合って存在しているのだ。

だから、六花のアカネとずっと一緒にいたいという願いは、ずっと一緒にいるために叶ってはいけないのだ。アカネがきちんとこの世界から旅立って、現実のアカネに戻る。そうすることで、大きなアカネの中から小さなアカネは消え、大きなアカネの中で六花が生き続ける。二人が別々の存在ではなくて、二人が一人としていつまでも一緒に存在し続けられる。

一人が二人のままではいけない。この矛盾と同時にイマジナリーな世界を終わらせた時、アカネは夢から目を覚ませる。



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