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良い

シビュラシステムとビフロストの対決、軍配が上がったのはシビュラシステムの方だった。また、それは同時にゲームの勝ち負けという二者択一の価値観ではなく、善悪という多面的で多様な価値観の勝利でもあった。

だから、梓澤はシビュラシステムに拒否された。最も正しくありたい、この世で最も崇高な神になりたいと願った彼のその理想はあっさりと残酷にNoを突き付けられた。

彼は神が優れているから、自分自身もそうなりたいと願った。そして、自らの能力の優秀さを示そうとした。だが、それ自体が間違いであった。正負の二分法の価値観で存在を測り、二者択一の道という独善的な梓澤のやり方は、シビュラシステムの価値観とは真っ向から対するものだった。

シビュラシステムが真に求めるのは、正負を超越した多面的な判断の価値観であり、それはまた慎導であった。彼が免罪体質であることはもちろんその要件であるが、それと同時に犯罪者を梓澤すら殺さずに償わせるというその価値観こそがシビュラシステムに求められる理由だったようにも映る。

自分自身の価値観で正義を切り拓く、その生き方こそが正義に適うと。価値観を自ら規定しようということこそが正しい価値観となるといったように。

彼はまたシビュラシステムの一部となる資格を持ちながら、そうなることを拒否もした。なぜなら、シビュラシステムとしてではなく、慎導灼として正義を規定し、正義を執行するためだから。そんな風に彼の姿は見えていた。



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