Annictサポーターになると広告を非表示にできます。
良い

バカが付くほど正直で真面目でまっすぐな黒川あかねちゃんに、恋愛リアリティショーというホントでウソなエンターテインメントは決定的に水と油なのかもしれない。丸っきりの虚構の役を演じるのでもなく、嘘の入ったり入らなかったりな自分自身を演じなければいけないそれ。

だけど、そんな実像と虚像に戸惑っていられる余地もない彼女は、正直者なりに精一杯の嘘をついてみようとするけれど、結局動きばかりはリアリティを飾り立てられても、心はまだ生身の黒川あかねのまま。「自分」を演じきれない彼女は、「自分」への罵詈雑言を切り離すことができなかった。


そんな陰鬱な正直さと嘘のコントラストの表象の一つが、黒川あかねとSNSユーザーたちのように映った。

黒川あかねは自分にも正直で他人にも正直、だからこその女優としてのストイックさだし、マネージャーのためにも...という思いや誹謗中傷にも真正面から向き合おうという姿勢にも繋がっているんだと思う。

一方で、SNSユーザーたちが書き連ねる中傷は、画面の向こうの見てないはず知らないはずの「黒川あかね像」の妄想。そして、見てない嘘を加速させた末に、彼らは画面に映る見まごう事なき端正な彼女の造形を「ブス」とまであげつらい、決定的な真実にまで嘘で叩く始末。

そんな展開を目の当たりにしていると、現実での話として、顔だけを見て役者を品評してる人ってなんて健全なのかと思わずにはいられなくなってしまった。なぜなら、彼らは役者の人間性やプライベートといった知らないこと見てないことへの妄想を膨らませて評価せずに、残酷かもしれないけれど、でも見たありのままのことだけで評価しているから。

そして、正直者が馬鹿を見るなんて言いたくないけれど、そんな悪辣なまでにその善性を貶める展開に、途中から共感や感情移入を拒絶してしまっていた。感動を拒否するというのも一つの感動の在り方なのかもしれないけれど、それをどう評価したらいいのか。これ程までの気持ち悪さはやはり受け入れざるべきなのか、あるいは素晴らしい展開と演出だと讃えるべきなのか。どこかこの作品を視聴者を試して、実はあなたも劇中の表面だけをなぞって罵詈雑言を叩きつけるSNSユーザーの一人のようではないかと暗に指摘するようにも思えた。



Loading...