アリスとテレスのまぼろし工場
2023/09/17 銀座ピカデリー
#まぼろし工場 #まぼろし工場見学
岡田麿里作品と聞いて観に来た!前情報ゼロだったので、例のように愛を感じる泣きアニメかと思いきやまさかの箱庭脱出系ジュブナイルSFが来てかなり驚いた!
以降若干ネタバレあり
今感想書くためにタイトル見直して思ったけどアリスとテレスってなんやったんや……?
アリストテレス(哲学者)要素は勿論、アリス(童話)要素もテレス(哲学者)要素もなかったような……。
ループ物(これループか?)でよくあるのは無限ループをかちぬくぞ!と抜け出すべき物語だけれど、今作ではクローズドに幽閉されて繰り返す日々を受け入れて、元に戻った時に変わらないようにと『変わっている自覚』がありながら『意図的に変わらない日々を過ごす』という人々の設定は非常に面白い切り口だと感じた。
そして『正確にはループモノではない』というのも面白く、普通に日常は変化もするし、皆の行動は日々変わっているし、人が死ぬことも起こり得るし翌日に生き返ることもなく、行動の蓄積がしっかりと行われている。なのにセカイからは隔離されたまま、季節もずっと冬のままというのがまたすごい。
…考えれば考えるほどコーナーケース的な抜け穴が無限に見つかりそうな気がしてウズウズしちゃうね〜〜!
場所の境目は?トンネルの先は?時間の境目は?一日の境でどの時点で戻っている?日の傾斜は?ラジオ番組は?食糧問題は?外と繋がったときに本当に齟齬は起きない?
個人的な性格と重ね合わせた感想になるが、自分は人生において過去の自分との同一性をかなり重視しているフシがあり、変化に対する怖れや、自己不変への意義などを表現している点は非常に共感できるものだった。
案外創作においてこういった『不変性』をポジティブに描かれることは少ない(変化することを美徳としがち)ため、最終的に未来へ五実というバトンを繋いだとはいえ閉鎖空間側は崩壊するかという結末を明示的に描かなかったのは思案の余地が残されて良い。
時が止まっているわけではない。同じ日を繰り返しているわけでもない。一日一日の変化は微細なものだけれど、一日が一週、一週が一月、一月が季節に変わり、そしてまた年を跨ぐ。
小さな変化は許容するのか、大きな変化はどこから生まれるのか。
それは少年少女達が夢見るような成長なのか、栄えた工場すらも廃墟にするような退化なのか。
本作の1つのテーマは変化への視点であったように自分は感じた。
後半で工場を稼働するシーンで「10年ぶりに動かすなんて〜」みたいなセリフがあったから皆変わらないように行動していたものの体感ではおよそ10年近く同じ日々を過ごしていたのか……そりゃあ成長もするわね……精神年齢20歳だもんな……
そんな世界の中で一人、最初から最後まで一貫していたガキ大将的立場にある笹倉、彼の存在も興味深い。
彼が変わっていないのは今という彼なりの現実に満足しているからか、あるいは早熟からの諦念により、かの工場長と同じく楽しむ事に振り切ったが故なのかは判らないが。
ヒールとして描かれている工場長?のキャラが立っていて本当にイラッとした💢魅力的だね〜!
妄言と利権から留めようとする行動の数多で住民(と視聴者)を振り回すのに、コイツは全貌を把握しているわけではない(割とマジで勝手に思い込んでテキトー言って神機狼に頼ってただけっぽい)からコイツを倒したところで何一つ解決しないというのがイヤらしい構造だと思う。
集会の「リラ〜ックス🙏」発言とか信者的な村人が着いてくるやつを見て、TRICK(ドラマ)に出てくる隔離村の霊能力者みてえだなと思った。自分には能力がないことを自覚しながら住民に暴動を起こさせない秩序を保つための滑稽な道化としてのムーブ。
愛と情について。岡田麿里作品といえばあの花やさよ朝に代表されるような、徐々に育まれる関係から生まれる情による愛の描き方を期待していた。
正宗も睦実も互いに嫌い合っていて、でもそこが上手く言えなくて…それが反転して好意になって……『裏返ったッッ!!!!』てなるねェ!!!二人共お似合いだと思ってるぜ
逆に五実の方は愛を与えられていたけれどそれは恋愛の情ではなく親愛の情でまだ理解が進んでいなかったが、「好きとは『いたい』ことである」と知らされ、雪の降る路上で感じた痛みを好意だと理解するあの瞬間もまた成長の形として美しく描かれていた。
最後の別れのところで睦実が態と憎まれ役を買って出るところもまた1つの愛だと思う。実際言ってる譲れないという強情なところは半分以上本心だと思うが…
五実が未来で滅んだ廃工場に来るシーンで終わるが、現実に戻った五実は幼女の身体に戻ったのか育った状態で戻ったのかも気になるところ。まあそこは主題ではないため描かないこともまた1つの答えになっている。
現実に帰った時点の状態はさして重要ではなく、将来的に成長した五実が育った場所に戻ってきたという『点』としての事実が在るということを描くことが重要ということ。
演出面の話になるが、MAPPA参加しとるんか〜い!というのも驚いた(本当に前情報ゼロで行った)
チェンソーマンのときも思ってたんだけど、マジでMAPPAの映像作画が本当に良い!特に廃工場や列車、トンネルに見られるような、無機物的な造形に有機的な空気を感じさせるような質感の描き方が本当にすごいなと感じさせられる。
雨や雪が降る空間の割れ目から晴れ間が覗いたり、澄んだ空気から花火が見える演出を見て「なめらかな世界と、その敵 / 伴名練」について思いを馳せていた。(読んでない人は読んでみてね)
神機狼と罅の細かい設定が気になるところ。(パンフ買ったので後日読む予定)
案外本当に工場長の信仰に応えて発生した存在で、この世界を(それこそ一番いい形で)維持するためだけにある存在かも
(むしろ今の存在自体が造られた架空の物でそれが消えるだけだから影響はないのかも…)
あとシンプルに中島みゆきがテーマソング歌ってるのも驚いたね!
中島みゆきってもう自分のような平成チルドレンからすると『昭和・レジェンド・歌姫』的な立ち位置の人間なので、とっくに引退?してるのかと思ってたし、なんなら今回のも「風立ちぬ」でいうひこうき雲みたいに昔の曲をリファインした感じかと思っていたら普通に新曲でヒエ〜となったわ!バリ歌うめえし
鑑賞後すぐには思い至らなかったが、帰路にて「本来なら既に滅びていた世界に取り残された人々の終わりのない平穏」という要素を拾った時に、FFXにおける「夢のザナルカンド」という概念がかなり的確にコレを表現しているように思う。
現実世界が実際にどうあれ、夢(=架空世界サイド)の人間からすると今生きている世界こそが現実で、その世界の中での幸せを希求したり、或いは退屈を感じて消えると分かっていても藻掻いてみたり。