アリスとテレスのまぼろし工場

アリスとテレスのまぼろし工場

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動画

あらすじ

この街は、
どこにも、気配がある
命のないものが、
息をする気配

製鉄所の爆発の日から、
この街は変わった
ぱっと見は同じに見えるのに、
山からも、
海からも、
この町から外へ出る手段は
全てふさがれ、
そして、月日まで

止まってしまった

いつか元に戻れるように
<変化は悪>とされ、
何も変えてはいけない
ルールができた
退屈な毎日
大人になる「あて」のない、
俺たち

菊入正宗、何度目かの14歳の冬、
菊入正宗は、髪が長い
女っぽいと言われるのは、
そんなに嫌いじゃない
女が好きだけど、
好きな女がいるわけじゃない
でも・・・・・・
嫌いな女なら、いる。

菊 入 正 宗 は 、
佐 上 睦 実 が
嫌 い

引用元: https://maboroshi.movie/
全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

妙な親子の話?
「現実」と「まぼろし」の違いが面白い発想だと思う。
でもある意味五実はお父さんのことを恋をしたってこと?
そう考えると微妙過ぎる…
榎木さん、上田さんと久野さんの演技本当に素晴らしい

全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

まとまっていて、内容も面白かった。
ネタバレにはならないと思うけど、アリスもテレスも出てきません。あと、いつみはIt's me.なんだと思う。

全体
とても良い
映像
良い
キャラクター
良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

・最初に断っておきますがこの映画、まだ1回見ただけで、細かいあらすじも世界設定もキャラの名前も理解があやしいです。ノベライズも他の方のレビューも全然読めてないです。何か誤認してたり見落としてたらすみません。ただ、頭はぐるぐるしていて、頭ぐるぐるする系映画は基本的に好物なので、見て良かった、と思ってます。ノベライズ読んだり2回目見たらまた感想変わるかもだけど、まずはファーストインプレッションです。

・岡田麿里監督作品をちゃんと見たのは「さよ朝」に次いで2回目です。世間の評判とか独断と偏見で、これまではなんとなくドロドロした情念の強い作風、という印象があったんですよね。実際さよ朝はその要素は強く感じましたし、本作の予告も「湿度高けぇ〜!」と思ってました。で、今回見て、確かに情念の強さ、思春期の少年少女の生々しい感情は予想通りでしたが、岡田監督はそこを超えてきたな、と感じました。いや、過去作見ればちゃんと前からあったのかもですが。ちょっと監督の印象変わりました。

・ハロワ民(映画『HELLO WORLD』同好の士)の方々から、ぜひ感想が聞きたいとか、作品世界の仕組みに興味持つならオススメとかの言葉を頂いてましたが、実際正しかったですね。世界の在り方を問う作品だということだけは察して、それ以外の前評判は一切遮断して臨みましたが、予想通りでした。こういうの、好きです。こういうのとは、要は現実と虚構に食い込む作品、第四の壁ぶち破る系作品です。

・これかなりSFですね。といっても自然科学のではなくて形而上学の。フィジックスではなくメタフィジックスの。スペキュレイティブ・フィクションとしてのSFかな。その意味では、アリストテレスさんは確かに出てこないんだけどかなりアリストテレスさんっぽいなー!というのは感じました。正直アリストテレスについては義務教育レベルしか知らないんですが、エーテルに満たされた永遠の世界だとか、何をもって「生きている」といえるのかとか(プシュケー、だっけ)とか。プシュケーの象徴かもしれない「匂い」や「痛み」が希薄な世界。「いたい」のダブルミーニングも出てきたけど、「痛み」とは何なのかとか、かなり哲学スレスレのことをやってる。

・TLでは『HELLO WORLD』との類似性を感じたという意見をよく見かけました。確かに似てます。「現実ではない世界」の住人視点の物語。ただ、方向性はかなり真逆な感じを受けました。現実も仮想もすべては等価であり優劣はないとする『HELLO WORLD』に対して、確実に「現実」が圧倒的に優位であり、善である。時がとまった見伏の街はただの「まぼろし」「まがい物」であり、しかも崩壊しようとしていて、主人公はそこから逃げたいと願う。自分は仮想世界の人間でも別にいいじゃんと思うし、現実になんて行きたくないなあと思っちゃうヘタレなので、ハロワ的世界観のほうが自分には合ってるし時宗派なのかもなんですが、まあ「痛みを伴いつつ生々しい現実に飛び込んで行く」ことが必要な場面は確かに人生結構あるんですよね。

・あの閉塞感のある見伏の町は、もちろんこの令和日本の閉塞感とも重なるんですが、たぶん「現実」に対する「虚構」「フィクション」と捉えると腑に落ちる気はしました。いつものこちらの勝手なメタ妄想ですが。どれだけフィクションが現実に近くても、完全一致はやっぱり無理で、どうしても優劣ができてしまう。レトロな時代設定(いつ頃なんだろう…平成初期くらい?)もまるで永遠に繰り返すサザエさん的時空をどこか揶揄しているかのよう。そういや映画冒頭の縦書きオープニングクレジットも往年の日本映画っぽさありました。

・佐上衛というエキセントリックな工場長的なキャラがいて、なんかもうすべてがむかつくんですがw、このカリカチュア的な大げさな言動、こんなにわかりやすい嫌われ役いるかいってくらいのクセツヨなキャラ設定も、彼がこのフィクション世界の頂点だからなんですかね。フィクションの申し子みたいな。最初こいつだけあまりに非現実的なキャラで浮いててノレなかったんですが、非現実だからそりゃそうかっていう。あと「自分確認票」ってあれ完全に創作でよくやる「キャラの履歴書」じゃないですか。まぼろし世界だから、普通そうはならんやろってことでも許されてしまうのは強い。自分確認票という制度もそうだし、中学生が車運転してるのとか(これは何か説明があったような気もする)。

・でも最後、正宗達は「俺たちは生きている」という結論にたどり着く。フィクションのキャラだろうとNPCだろうと、彼らにとってはそこが現実であり彼らなりの自我がありプシュケーがあり生きてるんだと。ハロワと同じ地平にたどり着いたようにも見えるけどどうなんだろう。あの世界は永遠の冬から解放されて開闢みたいな感じになってるのだろうか。永遠の妊婦さんもちゃんと赤ちゃん産まれて欲しい。それともやっぱりループは変わらなくて、それでも彼らは精一杯あの町で「生きて」いくのだろうか。

・で、最後、いくら現実世界が優位とは言いつつも、正宗の心は睦実のもので、どれだけ五実が上位存在側だとしてもそれだけは勝てないんですよね。それが虚構の強さ。現実側は何もできない。現実にはすべてがあるけれど、正宗の心は絶対に五実のものにはならない。

・この、ハロワと類似しつつもベクトルが正反対な感じ、デレマスの「Spin-off!」という6分の短編アニメをちょっと思い出したりしてました。
https://www.youtube.com/watch?v=LKuUDHz13Jg
ハロワの武井Pの言葉を引用します。
https://twitter.com/takei_katsuhiro/status/1193727049271132160
《映画『HELLO WORLD』で描いた〈物語の功罪〉のテーマについて、どちらかと言えばポジティブな側面を描いたハロワとは逆に、きちんとネガティブな側面も描ければと思い設定を組んだらしく、ある種ハロワの“姉妹作”と言えそうな「Spin-off!」》
モチーフ的な類似点(花嫁をさらい現実へと逃がす、バンでの逃走劇、成長が止まったキャラ、壊れる世界を修復しようとする力)とかもありますが、物語の功罪のネガティブなほうを描いているところは共通している。ただ、特にデレマスのほうは「アイマス自体が持つアンコンシャスバイアス」みたいなものに斬り込んでるのに対し、まぼろし工場はとくに世界の在り方に疑問を投げかけてるわけじゃない。見伏の在り方自体は悪じゃない。ただその住人にとっては息苦しい世界だったことは確かで、それはやはり作り手側の暴力性(この映画の作り手、ではないです! これが「虚構」だとした場合の仮想的な作り手)、創作者が持つ神以上にタチが悪い側面なんだけど、それはもうしょうがないわけで。

・虚構がもつ閉塞感と、時代が持つ閉塞感と、中学生くらいの閉塞感がすごく上手く絡み合ってる感じがしました。まだインターネットもない、家と学校が社会のすべてである時代。新しいことをやってはいけないという感覚。変化を恐れる気持ち。あの頃の自分はひたすらにアホで、自分で勝手にいろんなことのハードルを上げて、チャレンジする前から諦めてたんですよね。どうせ反対される、怒られる、馬鹿にされる、叶うわけがない、ならばやめておこう、もう忘れよう、みたいな。この世界がまぼろしでどこかに本当の世界があるんだ、みたいな陰謀論めいた厨二病にすら行き着かず、逃げ出したいとすら思わず惰性で生きてた。

・だからイラストレーターになりたい正宗、外の世界に憧れる正宗は自分にとってはまぶしい。内気そうな仙波ですら夢を持ってたし、園部や原だって想いを伝えた。そんな夢や勇気すら自分にはなかった。見伏の住人たちみたいなもんだ。ちょっと何かやりたいことができても、すぐに神機狼がそれを塞ぐ。そうやって自分で自分に勝手に呪縛をかけてた。最近ようやく「○○していいんだ」「○○があったっていい」みたいな境地に少しずつなってきたけど、たぶん死ぬまでこの呪縛は完全には解けないだろうな。

・そういう意味で、時宗や昭宗の生き方は興味深い。もちろん時宗も正宗のお母さんと新たな関係を築こうとがんばってるので、決して変化=悪と思ってるわけじゃない。ただ世界は1分1秒でも持続させようとしてて、まあ普通の大人の真っ当な考え方ではある。昭宗は描写が少なかったのでもう少し背景を知りたい気はする。あの日記とか。親から子への想いというのは「さよ朝」と近いものを感じた。主題歌にもある「未来へ君だけで行け」というメッセージ。それは正宗と睦実から五実への願いでもあったけど、昭宗から正宗への願いでもあったはずだ。いろんなものを見て、世界を知って、自分の知らないその先へ行って欲しいという願い。

・あとおじいちゃん列車動かすシーン、映画『バトルシップ』かと思ったw

・そして、1周見ただけではよくわからなくてもう一度ちゃんと見たいと思ったのが、現実世界のこと。あの、圧倒的に生に溢れた夏空と蝉時雨も強烈だったけど、現実では何か事故があったんだっけ? 正宗と睦実の娘はなんでまぼろしの世界に来ちゃったんだっけ…ノベライズ読めって話ですかね。娘を失った正宗と睦実サイドのことをもっと知りたい。こういうハロワB世界的なやつは好きなのですが、だけど今回は娘が行方不明という話なのでかなりつらい。現実では正宗はイラストレーターになれたのかとか、ラストシーンまでに何があったのかも気になるなあ(「彼女」、あそこまでにたぶん相当いろいろあったと思う)。このへんもう少し自分の理解が進むとまた違った感想出てきそうな気がする。

・もうひとつ、消えた人達どうなったん!? なんなのそのつらいシステム。現実世界との関係がどうなってるのかにもよるのかもだけど、さすがに心折れた状態で消滅してしまうのはつらすぎるので何らかの形でなんとかなってほしい。変わらぬ日常を維持するために、心に大きな変化があったら消すのだろうか。いやむしろ人が一人消えることのほうが日常の維持に破綻をきたすだろ…家族とかもショックで消えそう。入場者特典のポストカードで、正宗が仙波と園部の絵を描いてるやつ、映画観たあとに見てうわああってなった。正宗の中にあの二人の思い出が確かに、深く刻まれていることの証。でも彼らは戻ってこない…。それにしても正宗の趣味が絵というのは象徴的かもしれない。虚構の中の虚構。

・キャラについて。最初はヤバそうなやつだった睦実がだんだんごく普通の等身大の女の子になっていって。ある種のヤングケアラーだよな…。正宗のあの思春期特有の鬱々とした感情よくわかります。女子勢の心の機微はさすが岡田監督という感じ。といっても予想してたよりはエモーションを抑えめに描いてる感じはしました。自分的にはちょうどよい塩梅だった。主人公達ようやく最後に生を実感してたけど、自分からすると最初からしっかり生きて青春してるよ…鬱屈すらまぶしいよ!

・最後に主題歌の解像度すごかったですね…。とりあえずノベライズ読みます。

長げぇわw

全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

人の情動、その描き方、描かれるその生々しさ。
やはり岡田さんはそういったものを描くのが上手い。
見ているこちらの感情をえぐられてしまう。

そして、そんな脚本に応えるキャスト陣の熱演。
感情の振れ幅の大きな女性を演じきり、ここまで魅せられる上田麗奈さんはやはりすごい。
普通に話すときは普通だけれど、感情が前に出てきた時に引き付けられる榎木淳弥さんも素晴らしかった。

ここまでは予想通りだった。
ただ、この作品はそれで終わらなかった。
映画として、一つの作品として起承転結がしっかりしており、
この世界はどうなるのか、彼らはどうなるのか、どこへ向かうのか。
最後まで目が離せず、スタッフロールまで感情を持っていかれたままだった。

閉塞し、停滞した世界からの脱出を望む者。
変化を望まず、今を維持することを望む者。
どちらもわかるし、どちらにも気持ちを重ねてしまった。

SF的な、ファンタジーのような物語のからくりも好みだった。
閉塞した暗い世界。世界を修復する力。ひび割れの向こうに見える「現実」……
独特な世界観を描く映像、音も素晴らしかった。

結末は、問題は解決したわけではなく、ハッピーエンドではないと思う。
ただ、一つだけ、未来を守ることができて、少しだけ救いがあるけれど。
まぼろしである世界も、そこに住む彼らもいずれ消えてしまうのかもしれない。
でも、そんな結末も好き。
彼らは確かにそこで生きているわけだし。

全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
良い

アリスとテレスのまぼろし工場

2023/09/17 銀座ピカデリー
#まぼろし工場 #まぼろし工場見学
岡田麿里作品と聞いて観に来た!前情報ゼロだったので、例のように愛を感じる泣きアニメかと思いきやまさかの箱庭脱出系ジュブナイルSFが来てかなり驚いた!

以降若干ネタバレあり

今感想書くためにタイトル見直して思ったけどアリスとテレスってなんやったんや……?
アリストテレス(哲学者)要素は勿論、アリス(童話)要素もテレス(哲学者)要素もなかったような……。

ループ物(これループか?)でよくあるのは無限ループをかちぬくぞ!と抜け出すべき物語だけれど、今作ではクローズドに幽閉されて繰り返す日々を受け入れて、元に戻った時に変わらないようにと『変わっている自覚』がありながら『意図的に変わらない日々を過ごす』という人々の設定は非常に面白い切り口だと感じた。
そして『正確にはループモノではない』というのも面白く、普通に日常は変化もするし、皆の行動は日々変わっているし、人が死ぬことも起こり得るし翌日に生き返ることもなく、行動の蓄積がしっかりと行われている。なのにセカイからは隔離されたまま、季節もずっと冬のままというのがまたすごい。

…考えれば考えるほどコーナーケース的な抜け穴が無限に見つかりそうな気がしてウズウズしちゃうね〜〜!
場所の境目は?トンネルの先は?時間の境目は?一日の境でどの時点で戻っている?日の傾斜は?ラジオ番組は?食糧問題は?外と繋がったときに本当に齟齬は起きない?

個人的な性格と重ね合わせた感想になるが、自分は人生において過去の自分との同一性をかなり重視しているフシがあり、変化に対する怖れや、自己不変への意義などを表現している点は非常に共感できるものだった。
案外創作においてこういった『不変性』をポジティブに描かれることは少ない(変化することを美徳としがち)ため、最終的に未来へ五実というバトンを繋いだとはいえ閉鎖空間側は崩壊するかという結末を明示的に描かなかったのは思案の余地が残されて良い。
時が止まっているわけではない。同じ日を繰り返しているわけでもない。一日一日の変化は微細なものだけれど、一日が一週、一週が一月、一月が季節に変わり、そしてまた年を跨ぐ。
小さな変化は許容するのか、大きな変化はどこから生まれるのか。
それは少年少女達が夢見るような成長なのか、栄えた工場すらも廃墟にするような退化なのか。
本作の1つのテーマは変化への視点であったように自分は感じた。

後半で工場を稼働するシーンで「10年ぶりに動かすなんて〜」みたいなセリフがあったから皆変わらないように行動していたものの体感ではおよそ10年近く同じ日々を過ごしていたのか……そりゃあ成長もするわね……精神年齢20歳だもんな……

そんな世界の中で一人、最初から最後まで一貫していたガキ大将的立場にある笹倉、彼の存在も興味深い。
彼が変わっていないのは今という彼なりの現実に満足しているからか、あるいは早熟からの諦念により、かの工場長と同じく楽しむ事に振り切ったが故なのかは判らないが。

ヒールとして描かれている工場長?のキャラが立っていて本当にイラッとした💢魅力的だね〜!
妄言と利権から留めようとする行動の数多で住民(と視聴者)を振り回すのに、コイツは全貌を把握しているわけではない(割とマジで勝手に思い込んでテキトー言って神機狼に頼ってただけっぽい)からコイツを倒したところで何一つ解決しないというのがイヤらしい構造だと思う。
集会の「リラ〜ックス🙏」発言とか信者的な村人が着いてくるやつを見て、TRICK(ドラマ)に出てくる隔離村の霊能力者みてえだなと思った。自分には能力がないことを自覚しながら住民に暴動を起こさせない秩序を保つための滑稽な道化としてのムーブ。

愛と情について。岡田麿里作品といえばあの花やさよ朝に代表されるような、徐々に育まれる関係から生まれる情による愛の描き方を期待していた。
正宗も睦実も互いに嫌い合っていて、でもそこが上手く言えなくて…それが反転して好意になって……『裏返ったッッ!!!!』てなるねェ!!!二人共お似合いだと思ってるぜ
逆に五実の方は愛を与えられていたけれどそれは恋愛の情ではなく親愛の情でまだ理解が進んでいなかったが、「好きとは『いたい』ことである」と知らされ、雪の降る路上で感じた痛みを好意だと理解するあの瞬間もまた成長の形として美しく描かれていた。

最後の別れのところで睦実が態と憎まれ役を買って出るところもまた1つの愛だと思う。実際言ってる譲れないという強情なところは半分以上本心だと思うが…

五実が未来で滅んだ廃工場に来るシーンで終わるが、現実に戻った五実は幼女の身体に戻ったのか育った状態で戻ったのかも気になるところ。まあそこは主題ではないため描かないこともまた1つの答えになっている。
現実に帰った時点の状態はさして重要ではなく、将来的に成長した五実が育った場所に戻ってきたという『点』としての事実が在るということを描くことが重要ということ。

演出面の話になるが、MAPPA参加しとるんか〜い!というのも驚いた(本当に前情報ゼロで行った)
チェンソーマンのときも思ってたんだけど、マジでMAPPAの映像作画が本当に良い!特に廃工場や列車、トンネルに見られるような、無機物的な造形に有機的な空気を感じさせるような質感の描き方が本当にすごいなと感じさせられる。

雨や雪が降る空間の割れ目から晴れ間が覗いたり、澄んだ空気から花火が見える演出を見て「なめらかな世界と、その敵 / 伴名練」について思いを馳せていた。(読んでない人は読んでみてね)

神機狼と罅の細かい設定が気になるところ。(パンフ買ったので後日読む予定)

  • 神機狼って結局マジで何だったの?

    案外本当に工場長の信仰に応えて発生した存在で、この世界を(それこそ一番いい形で)維持するためだけにある存在かも

  • なんで神機狼が罅を治めることが出来るのか?
  • 変わりたいという自覚が芽生えた人間にもヒビが入るのはなぜ?
    • またそれらの人々を神機狼が食うような煙で消してしまうのはなぜ?
  • 神機狼の煙に消されたり罅の先の現実世界に長くいるなどして消えてしまうとどうなる?無?

    (むしろ今の存在自体が造られた架空の物でそれが消えるだけだから影響はないのかも…)

  • 結局今いる世界の存在は何?
  • 何故列車に乗っていたイツミだけこの世界に来れた?

あとシンプルに中島みゆきがテーマソング歌ってるのも驚いたね!
中島みゆきってもう自分のような平成チルドレンからすると『昭和・レジェンド・歌姫』的な立ち位置の人間なので、とっくに引退?してるのかと思ってたし、なんなら今回のも「風立ちぬ」でいうひこうき雲みたいに昔の曲をリファインした感じかと思っていたら普通に新曲でヒエ〜となったわ!バリ歌うめえし

鑑賞後すぐには思い至らなかったが、帰路にて「本来なら既に滅びていた世界に取り残された人々の終わりのない平穏」という要素を拾った時に、FFXにおける「夢のザナルカンド」という概念がかなり的確にコレを表現しているように思う。
現実世界が実際にどうあれ、夢(=架空世界サイド)の人間からすると今生きている世界こそが現実で、その世界の中での幸せを希求したり、或いは退屈を感じて消えると分かっていても藻掻いてみたり。

全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
良い
音楽
良い

心の弱さの逃げ場がまぼろしであり、ムラ社会であって

この物語の舞台となる見伏市、そこは所謂「ムラ」だった。製鉄工場の事故をきっかけに外へ出る手段を失い、閉鎖感と停滞感だけで満たされた世界。そんな街の異常は神なる山を削った罰であり、変わらない世界と同じように人々は自分たちもまた変わってはいけないという、ある種の戒律に支配されていた。

この「ムラ」的な空気感は、人の心の弱さが滲み出たものとして感じられた。それは例えるならば、田舎の偏屈な親にとって、自分の子どもなんてものはいくつになってもただの子どもに過ぎず、いつまでも未熟で何もできない存在として扱うような、そういった類の精神が滲出したもののように見えていた。

そして、そういった種類のめくるめく変化し続ける現実に対応できない大人は、「オトナ」と「コドモ」とか「オンナ」と「オトコ」といった誰でも理解できる単純な固定観念に頼りながら、自分の生きる世界を自分の理解とコントロールが及ぶ小さな範囲に縛り付けようとした。その結果がこの見伏というムラであり、後に明らかになるような姿のまぼろし世界なのだと思う。それ故に、佐上の父がやたらと五実のことを「オンナ」とか「神の子」と呼ぶのも、五実という個の存在の複雑さ・難解さを嫌って、単純な概念で理解を済ませようとする「ムラ」の精神性をまさに表しているように見えていた。

さらに、付け加えるならば、佐上の父が見伏神社の当主として祀る神というのも、概して「ムラ社会」のアイデンティティを支える象徴となるものである。そして、古来からのこととして、自然世界の不条理に直面した人類が弱気な心のままに世界を単純化した概念が「神」であることを思うと、佐上の父がこの「まぼろしのムラ」、「人の弱き心の具現化であるこの世界」を守ろうとする中心人物であることにも、より納得がいくように思える。

変わりたい心、でも変われない心

しかし、人というのは、そんなムラ人たちが考えるような単純なものではなく、それぞれに個別の心があり、中には変わりたいと願う者も少なくない。正宗たちが外に出たいと思ったり、モヤモヤとしながらも睦実に対する恋心を芽生えさせたりするのも、まさにそういった変化の意思である。

しかし、人の心はアンビバレントに複雑でもある。例えば、園部は正宗に恋心を抱いていたが、それがみんなにバレてしまった時に、園部の心の反応は恥ずかしくて誤魔化したいという感情として表れた。最初は正宗との関係を進めたいと思っていたのに、恥ずかしいし隠したいという後ろ向きな感情に変わってしまった。それは、このまぼろし世界の文脈に則っていえば、変わりたいという気持ちが変わりたくないという気持ちに翻ってしまったということ。そして、そんなアンビバレントな心の葛藤の果てに園部の心はひび割れてしまい、その果てに神機狼に飲み込まれてしまったのだと思う。

でも、もう、想いは止まらない

それでも、正宗は変化を求めた。そして、その思いを貫いた末に、彼はまぼろし世界の外側に現実の世界が広がっていることに気付き、そして、その向こう側の世界には自分が睦実と結ばれて夫婦となった未来があるという現実を垣間見てしまう。さらに、兼ねてからの五実と睦実の容姿が似ているという疑問が、この瞬間に五実は自分と睦実との子どもであるという勘付きに結び付いた。

そして、そんな風に自分が変化を求めた果ての結果を知ったことで、正宗の中でますます変わりたいという思い、すなわち睦実との関係を変えたい進めたいという気持ちは加速していった。

その結果が、正宗から睦実への好きの告白だったように思う。それは、幻のように実体のない心の中の感情を現実の行動に起こしたということであり、そんな内なる好きを表に出した告白というのは、この物語の世界観の上では、まぼろし世界の中から外の現実世界へ飛び出そうとすることという意味合いを携える。だから、その告白の途端に、まぼろし世界と現実世界の間のひび割れは一気に広がっていったのだと思う。

現実の痛みは、いたいからイタイ

しかし、その一方で、五実は正宗と睦実の二人を見ながら「イタイ」と涙を流す。なんだかそれは自分の親の馴れ初めを聞かされたり、自分が生まれた時の父と母の交わり合いを見てしまったりした時のような感覚だった。そして、そんな現実の事実として何も間違ってはないことを、ありのままの心では直視できないという共感を五実に抱いた。

そして、この場面を見ていると、ここまで恋を通じて描写されてきた「現実」、すなわちアンビバレントな葛藤を伴う変化に拒否反応を起こす五実は、まるで人の心そのものを表した存在に思えてくるようだった。さらに、五実が現実世界からこのまぼろし世界に送られてきたという事実が明らかになると、耐え切れない現実から逃避した弱き人の心のシンボルとしての五実というキャラクターがいっそう鮮明になってきていた。

人の無垢な心への共感

物語は展開を進め、正宗は亡き父の言葉を受けて、五実をまぼろし世界から現実世界に帰し、このまぼろしからすれば未来の時空にいる父母となった正宗と睦実の下へ彼女を送り届けることを決意する。そして、それは心を現実に追いつかせるということ、弱気で後ろ向きな心を未来という現実に向けて前進させることだった。

それでも、このまぼろし世界に留まりたがる五実であったが、確かにその気持ちも共感できる。「イタイ」が「一緒にいたい」を意味するのなら、変化は恐れて当然で自然なものであるし、そんな五実を正宗から攫った原の「その気持ち分かるよ」という呟きにもとめどなく感情移入できてしまうのだ。

だからこそ、男勝りに見えても実は乙女な心を持つ彼女が、新田に想いを寄せる様子には、好きだからこそ今の関係が変わるのが怖いという心理がありありと映し出されているように見えていた。原のこの恋心を実らせるには行動にしなくちゃいけないけれど、それでフラれてしまうくらいならば、うじうじと片想いを続けた方がずっといいというような姿は、矛盾せずにはいられない「人の心」の全部を説明しているようだった。

すると、「恋する衝動が世界を壊す」というこの作品のキャッチコピーも、そういった何かを叶えたい気持ちが、かえってその願いを現実にしようとする行動を阻むといった意味で解釈できるような気がしてくる。さらに言えば、「恋に始まる心の感情が現実世界を崩してまぼろし世界を作り上げてしまう」というような形で、この物語の展開そのものを言い表してるようにも思えてくる。

恋する衝動が世界を壊し、広がっていく

でも、一緒にいたいのなら、原と新田が最後には好きを言い合ったように、心の内の想いは現実に繋げなくてはいけない。うじうじしたまま想ってただけで終わってしまう恋のように、いずれ終わるまぼろし世界の中にいつまでもいてはいけない。そして、そう決意した心そのものを表すキャラクターが、五実を現実へ送り出そうとする正宗と睦実なのだと思う。二人は現実の世界には出られないけれど、現実に向けて変わりたいという自身の願いをやがて子となる五実に乗せていくことで、彼らはまぼろしの世界の中でも生の実感という現実の感覚を得られるのだと思う。

それに、そうやって想いを叶えるために後先考えずに行動してしまうことこそが、この物語における正しい意味での「恋する衝動が世界を壊す」なのだと思う。そして、だからこそ、そんな夢に焦がれるような衝動が、無垢な少年や少女が生まれ育った偏屈な田舎町の価値観を跳ねのけて、広がり開けた都会で新たな未来を形作っていく種になっていくということを、この物語は描いていたんだと私は感じ取った。

全体
とても良い

言葉にも記録にもしたくない、と思いました。
私にとって感想はどれほど私的なものだったとしても記録で、だから感想が書けないと思いましたが、しばらく時間が空いてそれでもやっぱり何かを残したいと思ったので残すことにしました。
人が何事かの事象を認識するとき、その正しい形を認識して、そこから正しく応じる方法を正しい理解の過程を通って選択する、という形で選択することができません。そのようにできると考えられる事象はすでに記録の領分に入ってしまっています。そして、記録の領分に入ってしまっていると考える事象でも一個人の選択に限られた時、その人生において記録の領分に入りきることはないのでしょう(そんなことよりキスが…、本当に、本当にとてもよかった…と書いた方がいいんだろうなと思いながら書いています。キスが本当に、本当にとてもよくて、よかったです。すごく幸せで、…それでもやっぱり幸せだけが残りました)。
きっとだから、誰それの行動はよかったとか、誰それの行動は間違っていたとか、好きだったとか嫌いだったとか、そういう領分で考えたくないと思いました。

全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

未来へ君だけで行け、なんすよね

全体
とても良い

園部マジ?(完全に正宗視点)とかそんなキスするんか?とか途中まで意外に経っている年数に追い付けないところがあったが、学生カーチェイスが始まったりオープンカー神主が登場したあたりで最高にぶちアガり「正宗は渡さない」がまた素晴らしかった。Dグレのアルマカルマ篇が大好きなので女のこういうところが描かれると最高にloveだ。
独特の泥臭さというか山場を純度100%!にしないようなところがあるのでやや人を選びそうだが、岡田麿里の親子的なテーマ性が好きなので個人的には満足した。
睦実は愛したくても愛せない親だ。睦実には愛する今がある。現実には子を優先するのが「常識」なのだが、幻の中であるからこそ(建前でも)「大嫌い」が許される。なかなか良くできている。
まぁ「アリスとテレス」は謎のままなのだが。

全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

ネタバレ:アリスもテレスも出てこない!

それはさておき。
見ながら何度も心を揺さぶられました。一度最後まで見ていろいろわかった上で、もう一度最初から見てみたい。きっと同じシーンでも感じ方が変わるはず。

自分にとっての岡田麿里さん脚本の魅力である、猥雑で生々しさを感じさせる人物描写を、本作でも存分に堪能できました。相反する面を平気で同居させることができる、多面性を持った人間。

バカじゃないのかと言いたくなるくらい単純でありながら、同時になぜそこでと言いたくなるようなところで捻くれている。自分でもわけのわからない苛立ちがいつも心のどこかにある。映画を見ているとそんな思春期の頃の自分が心の中に蘇るようでした。

芝居も映像表現も、劇場作品に相応しいとても見応えのあるものでした。影の主役と言っていい製鉄所をはじめとする美術も素晴らしかったです。駐車場で雪が雨に変わるシーンとラストカットが特に心に残りました。

全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

@ブルク13 5番

物語の最後の決断、五実を送り出す決断を行うことが監督の描きたい物語だったのかな。その決断に葛藤を持たせるための人間関係と環境と……良い物語を魅せてもらいました。
印象に残った点としては物語の最序盤に提示されたラジオパーソナリティの人のラジオかな。思えばその放送の時点で物語の全てが表されていたような。正宗がラジオの人にある種やり返したと言っても良い、車内の叫びは上手く言えないけれど勢いもあってすごく良いシーンだったな……

最後に、物語本筋や映像とは全く関係ないのだが、劇場パンフレットの監督インタビューにニコニコ動画のred big shitaコメントみたいな文字間の空白を空けるのはちょっと痛いので止めてほしかった……パンフも含めて、宣伝方法もうちょっとどうにかならんかったんだろうか……

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