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https://note.com/alltale2037/

サービス開始日: 2022-08-07 (868日目)

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良い
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良い

1回鑑賞した状態での感想。
少しもやもやした部分についても書くけど、かなり誤解や見方の浅さによるものだとは思う。申し訳ない。2回目観たらまた違うかもしれない。

まず、絵作りがめちゃくちゃスタイリッシュで超かっこいい。キービジュからも感じてはいたけど、それが動いて音が着くことの気持ちよさ。特にライティングの美しさが白眉だ。空気感、影の色の付け方。まさに空気遠近法とかもがっつり使ってて、なんというか、この作品全体がまるでMVみたいだ。MVのアニメって普通の商業アニメとは何か違う雰囲気を感じるんだけど、あのインディーズ的な感じが全編を貫いていて、それがこの作品のテーマとよく合っている。

特に良かったのはMV制作シーン。ポンポさんとかバクマン。(実写)とか思い出したよね。かっけー! あんな風に自在に作れたら、きっと気持ちがいいだろうなあ。何かを思いついて、うおおおってなってのめり込んで作っていく感じ。すごくわかる。

* * *

以下、物語についてつらつら考えたことを正直に書く。

自分はいわゆる「創作に打ち込む」系の作品は結構好きだ。それは、自分が創作に強い憧れを持ちつつ適性が全然ないというコンプレックスの裏返しでもあると思う。

本作も、創作に賭ける若者達の青春劇として、作り手の情熱は十二分に感じられたし、まさに創作を志す人たちへのエールになっているなと感じた。

でも、なぜか、「ああ、創作に対する姿勢は、自分とは少し違うな」と感じた。いい悪いとか正しい正しくないでは決してない。こういう向き合い方があるんだ、という気づき。それがすごく新鮮で、面白かった。

彼方も夕も、「自分の作ったモノで誰かの心を動かしたい」のがモチベになっている。特に夕はまず「先生の歌にMVをつけたい」がまずある。どんなMVか? はこの時点では浮かんでない。先生のこんなに素晴らしい曲を知って欲しいという想いがあるだけだ。

それをみて、ああMVの本質はエールなんだな、と思う。曲を聴いて何か強烈に表現したいことや映像が浮かんだ、という順番じゃない。あくまで「エール」が先で、自己実現や自己表現はおそらく二の次だ。そうだ創作にはこういう側面もあるんだとハッとした。応援動画、応援イラスト、そういった文化は確実に00年代以降のサブカルを牽引してきたし、その文化は誇るべきものだと思っている。ただ、これは完全に好みの問題だけど、自分はやっぱり何かを表現したいという強烈なエゴに突き動かされた創作者に惹かれる。自分がすごく利己的な人間である証左なんだと思う。

* * *

個人的には、すべての創作は、作者の手を離れたら完全に受け手に委ねられると思っている。受け手には解釈の自由、誤読の自由がある。だから、彼方が最初に「未明」を聴いて浮かんだ塔に挑む女の子のイメージは尊重されるべきだと思う。たとえどれだけ作者の意図と違うものを受け取られようとも、それは確かに彼方が「心を動かされた」結果であり、「夢を諦める」というビジョンを作者である夕は強要することはできない。解釈違いを出されたら「うん、そういう見方も面白いね。ありがとう」とにっこり笑って返すのが、たぶん良く出来たクリエイターの作法だ。

夕はそれができなかった。彼方と同じく夕もまた表現者として経験値が足りてないというのもあるけど、それだけ夕は彼方を信じてしまっていたのだろう。自分の鬱屈した感情を理解してもらえると思ってしまっていたのだろう。だけど「受け手の解釈の自由」に先に気づいたのは彼方のほうだった。友達のバンドのMVを作ることで、「違う見方」を示すのもまたMVの力だと気づく。そして夕のイメージに一見寄り添った動画を作りつつ、最後のメッセージは違うものにしてみせた。彼女へのエールだ。他者への応援と自己表現のせめぎ合いの中で見いだしたギリギリの解なんだろうと思う。スマートなクリエイターの理想形かもしれない。なるほど、すごいな。

でも自分はやっぱり、最初のMVも評価したいと思うし、ちゃんと見てみたい。そう思うのだ。

* * *

スマートといえば、彼方も夕もトノも、すごい才能とそれを形にするスキルがすでに備わっている。MV制作シーンで彼方が見せる才能とスキルは、自分にとってはもはや神だ。もちろん、そこに至るまでには大変な努力があったのだろう(トノのスケッチブックはそれを物語っている)。だけど、この作品はその過程にはあえて踏み込まず、すでに十分な実力を持ったクリエイター達が、外的要因で夢を諦めざるを得ないフェーズを描いている。

自分はそんな境地に立ったことがない。自分が知っているのは何も生み出せない苦しみだけだ。誰かの心を動かしたいなんてとんでもない、それでも、誰に見られなくとも何かを作りたい、いや作った気になりたい。そのレベルだけだ。だから彼らのような雲の上のクリエイターにもこんな悩みがあることもまた新鮮だった。自在に作品を作れるようになると人は他人の心を動かしたくなる、自分の作品で他人を応援したくなる、だけど自分にそれだけの力があるからこそ、それを手放さなければならないことへの苦悩。神の苦悩だ。でも彼らにとっては確かに身を切るような絶望なのだ。

* * *

個人的にモヤモヤしたのは、夕が夢と現実を二者択一で考えてることだ。プロのミュージシャンとしてやっていくか、音楽を諦めて教師として生きていくか、の二択なのだ。もちろん、教師をやりながら趣味や兼業で音楽を続けていく、みたいな選択肢に甘んじたくないという気持ちは若さの特権だし、理解はできる。だけど、夢を忘れた大人として野暮な発言をさせてもらえるなら、やっぱりある程度音楽で食べていく目処がつくまでは生活の安定は重要だし、いくら彼女の曲が好きでも「君は仕事をやめてミュージシャンになるべきだ」みたいな無責任なことは言えない。はっきり言って、なれない可能性が圧倒的に高いからだ。彼女なら仕事帰りに(教師なので本名で同じ市内で芸能活動するのはかなり無理ありそうだけど、割と放課後は暇っぽいので)ライブやるとかから始めて少しずつ売り出していったほうが……うん、野暮だな。野暮で無粋なことを言ってるのはわかってる。夢を諦めない姿勢が大事なのはわかる。彼方の気持ちもわかる。だけど、自分は彼女がこのまま突き進んでもうまくいかないと思えてしまうのだ。彼女には才能があるからこそ、もやもやしてしまう。

そして逆説的に、トノにも同じことを感じた。人知れずもがき続けるトノは主要メンバーの中で一番共感を覚えたキャラだ。彼も美大を諦め、スケッチブックを捨て、受験勉強を始める。高校生の狭い視野なら美大かそれ以外かの二者択一になってしまうのはよくわかる。その辺のリアリティはすごい。だけど自分としては、トノにはただの夢破れたキャラクターで終わってほしくない(彼方の最後のMVにも昇華されてはいたけど)。彼にも何らかの救いは欲しかったし(見落としてるだけかもだけど)、いくらでもそれは実現できる。受験終わったら絵を再開してほしいなあ。

とはいえ、彼らレベルになるともはや趣味で何かを作っているというのでは満足できないのだろう。彼らはもはや、作りたいから作るという次元をとっくに超えている。クリエイターのエゴを彼らは超越している。誰かの心を動かしたいから作る。そして実際に彼らはそれができるだけの実力があるのだ。夕の音楽は彼方を動かしたし、彼方のMVは夕を動かした。さて、誰かの心を動かす力を最大化するには、仕事の片手間になんかできない。本業として取り組む必要があるのだ。明快だ。その高みまで手を掛けられる彼らにしか見えない景色と苦悩がある。これはきっとそんな物語なのだろう。

* * *

最後に、金沢市と羽咋市が舞台になっていたことが印象的だった。恐らく偶然なのだろうとは思う。だけど本作はまさに、金沢市と羽咋市に対する確かなエールになっていると感じた。



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原作既読。原作発表当時、圧倒された人間なので、映画化と聞いたとき正直不安だった。でも2月に発表された30秒のムービーを観たときに思った。

ああ、漫画のコマとコマの合間にあったであろう何かを記述している、と。
貧乏ゆすり、息づかい、消しゴムで消すときの思い、鏡に映る顔。
観に行こう、と思った。

映画が封切られて、少し仕事が落ち着いてから見に行こうかなと思ったけど、特典に藤本タツキ先生のネームがつくと聞いて原作ファンとしては万難を排して観に行かざるをえなくなったw

凄かった。原作をほぼ忠実になぞりつつ映像でしかできない表現やカットがさりげなく追加されている。原作ファンって普通映像化に何か言いたくなるものだけど、もうこれは褒め言葉しか出ない。

冒頭は小4の藤野が漫画を描いてるシーンから始まる。原作になかったけどすごいと思った(漫画でこれをやると多分ツカミが弱くなるので映画だからこそできるやつだ)。背中がすべてを語っている。貧乏揺すり、描いては消し、構図を思い悩むことでさえ楽しい時間。思いついてペンを走らせる瞬間。このシーンがあるからこそ「5分で描いた」が嘘であることがわかるし、藤野が「嫌なヤツ」じゃなくなる。

動きがすごい。自分はアニメは疎いので押山監督のお名前も知らなかった。そんな素人でもこれが神作画であることはわかる。しかも全カット、全コマ。3DCGのモーションキャプチャベースでは出し得ない、アニメーションの緩急の快楽みたいなのを感じた。コマを並べてその間にあるものを想像させるのが漫画だとすれば、それを仮現運動で補完するのがアニメーションの本質だ。京本の漫画を見たときの藤野の表情の変化、藤野が初めて笑顔になった瞬間、雨に踊る藤野の足取り、美大に行くという京本に藤野が一瞬なにかを言いかけてやめるカット…(あのシーンは、逆光であおる構図とか木を挟んで二人が分断された構図とか、原作にないカットがいくつかあってそれが本当に素晴らしかった)。そういう何か一瞬の逡巡を捉えたカットがあちこちに散りばめられている。そこに涙が出そうな美しい背景美術と音楽が加わったらもう最強でしかない。

実写でも3DCGでもなくひたすら手書きで作り上げられたこの映画は、それ自体がこの作品のテーマのメタな具現化であって、「絵を描くこと」への執念を強く感じさせる。

 * * *

『ルックバック』というタイトルには7重くらいの意味が込められてるように思う。
1:まず単純に、昔を振り返る、ということ。だからこの映画の基点は売れっ子漫画家になった藤野キョウなのだ。
2:『背中を見て』という京本の4コマのタイトル。作中作のタイトルが実は同じだっていう構造。「藤野先生、背中に凶器刺さっとるやないかーい!背中見ろー!」という、「志村、後ろ後ろー!」的な渾身のギャグだ。
3:『背中を見て』は藤野へのツッコミであると同時に、「ずっと藤野先生の背中を見てきました」という京本のファンレターでもある。あの世界線の京本は藤野と出会わなかったけど、藤野の漫画を全部スクラップ帳に貼るくらいのファンだった。ピンチの時に推し作家が急に現れて、シャークキックばりのキックで命を救ってくれたらそりゃあんな4コマも描きたくなるってものだ。「京本も私の背中みて成長するんだなー」京本は本当に大きく成長した。
4:藤野もまた京本の「背中を見」つづけてきた。見知らぬ京本の画力に打ちのめされ嫉妬しながら、彼女の背中を追い続けた。あれほどの猛勉強を彼女にさせるほどの、強烈な憧れを藤野は京本に持っていた。その推し絵師から「ファンです!サインください!天才です!」なんて言われたらそりゃ雨の中で小躍りもするってものだ。
5:どてらの「背中を見」ると、そこにはサインが書いてある。藤野と京本の原点であり、京本の部屋で喪服の藤野が「振り返っ」たときに目に入る印象的なシーンだ。
6:観客や読者もまた、ひたすら「背中を見る」。映画は漫画を描く藤野の背中で始まり、終わる。映画の1/10くらいは彼女の背中なんじゃないだろうかw 決して正面や横から写さない。ただ背中だけが描かれる(だから彼女の椅子には絶対に背もたれがない)。こうやって僕らも彼女の背中を、あるいは誰かの背中を見て、それに突き動かされて生きていくんだと思う。
7:作中での、(観客にとっての)一種の時間遡行の仕掛け。
あと原作で明確に示されていた「Don’t Look Back in Anger」への言及を入れると8つか。

 * * *

藤野は京本の画力に打ちのめされ、挫折感を味わう。でも、たぶん本人は気づいてないけど彼女のギャグセンスとプロットは天才的に巧い。『奇策士ミカ』とか、小学生でこれはヤバい。そんな類い稀な能力をもつのに、他人の画力に嫉妬するのだ。そこから必死に絵の勉強をして画力がめきめき上がっていく描写が本当に好きだ。小6で描いた『真実』はギャグセンスと画力どちらもとんでもないことになっている。何かに突き動かされてひたすら粛々と努力して限界を超えていくような作品が、自分は大好きなのだ。自分にできないから強烈に憧れがあるんだと思う。それでもスケッチブックの数は京本にはかなわない。SNSで可視化された「上には上がいる」という絶望。

 * * *

この作品で自分が好きな部分は、そういう創作賛歌もあるのだけど、さらにあと2つある。虚構が現実を救うということ。そしてそれをさらにメタなレイヤーで止揚している構造。原作でやはり明確に参照されていた、タランティーノの映画『Once Upon A Time in Hollywood』に対する鮮やかな返歌だ。

『ルックバック』原作が公開されたのは、7月19日だった。7月18日に起こった出来事を、自分はまだ心の中でうまく受け止めることができていない。以下、無神経なことを書いてしまっているかもしれない。申し訳ない。発表当時広く言われていたように、タランティーノもタツキ先生も、根っこにはかなり近いモチベーションがあるのではないかと思う。ハロワの武井Pの言葉を借りれば「フィクションによる救済」だ。ふたつのフィクションがぶつかった挙げ句の「映画(漫画)の勝利」であり、「負けない」というクリエイターの意思表示だ。

だけど『ルックバック』はさらにそこに一ひねり入れてくる。幸せな世界線から観客(読者)は現実に戻ってくる。でもドアの隙間をくぐり抜けた4コマが2つの世界をつないでいる。

自分はこういう「2つの隔絶された世界がほんの一瞬接続する(ように見える。でも本当のところはわからないし、当事者自身も気づかない)」という物語構造が本当に大好きなのだ。京本を外に連れ出した藤野の悔恨が詰まった「出ないで!」という切れ端が、京本を部屋に押しとどめる。そして逆に京本の一種のファンレターでもある4コマが、藤野の元に戻る。美しすぎる円環構造だ。

あの構造に『インターステラー』とか『あなたの人生の物語』(映画『メッセージ』)みたいなSF的構造を読み取る人も多いし、重度の映画フリークであるタツキ先生は当然これらを参照はしているだろう。ただ自分としては、ただ現実と虚構の枠組みでこれを受け止めたい。あの文字通りの「最高のハピエンif」は実在する別の世界線なのか? それはわからない。ただ、僕らから見れば藤野の「現実」でさえ、映画であり漫画であり虚構なのだ。だからif世界線も僕ら外側の人間にとっては「同程度に」虚構でしかない。裏を返せばきっと「同程度に真実」なのだ。京本がいない世界線といる世界線には何ら優劣はない。それが虚構の力だ。

藤野が突然現れて犯人をキックするあの場面は、(空手の伏線も見事だけど)明確にシャークキックの具現化であり、「フィクションのいいとこ全部乗せ」である。あのシーン、映画なのに唐突に漫画のような「コマ割り」がされてた気がする(気のせいかも)。つまり明確に「これは漫画なんです」「ほら、京本を救えるんです。漫画ならね!」みたいな意志を感じるのだ。

if世界線の京本から「ファンでした(過去形だ。藤野ちゃんに頼らないで夢に踏み出した京本の成長を感じる)」と言われたとき、藤野は彼女が京本だとまだ気づいていない。ただの美大生としか思っていない。でも「なんで漫画描くのやめちゃったんですか!?」のあと、藤野にフォーカスが移ってから、映画では明確に少し間がある。ここで確実に彼女は「やめたきっかけ=京本」を思い出しているはずだ。まさか目の前にいるのが本人とは思ってないだろうけど。そして、彼女の称賛は再び藤野の心に火をつけたのかもしれない。「最近また描き始めたよ!」は実はフェイクで、この瞬間に彼女は漫画を再開を決意したのかもしれないなとも思う。現実の構図がそうだったからだ。卒業式の日、どうして小6の途中で漫画をやめたのかを訊かれて、「漫画の賞に出す」「ステップアップするためにやめた」とその場で出任せを言いつつ、再び漫画を描きはじめたからだ。

「if世界線は、藤野があの一瞬で考えた想像なのだ」という解釈を読んだこともあって(たとえば https://note.com/_6161/n/nbeb703fdb30d )、これはこれで好きな解釈だ。この解釈では京本の漫画『背中を見て』の文字がどう見ても藤野の筆跡だったことから、この漫画自体が藤野の想像であると結論づけている。でも、今回見た映画では、「背中を見て」タイトルは藤野ではなく京本の書き文字のように見えた(一瞬だったので気のせいかもだけど)。だとすると少なくともあの漫画は京本が確かに描いて、藤野に確かに届いた、ということなのかもしれない。

本当に隔絶された世界の壁を超えて、ひとつの4コマが物理的に届いたのか。それとも「現実」の京本がたまたま描いて窓に貼っていたファンレター的な1枚が、たまたま風に吹かれてドアをくぐり抜けた、それだけのことなのか(窓に貼られた4コマの配置には、不自然な隙間がある)。どちらであってもそれは一種の救いになりうると思う。前者であればそんな奇跡こそ、僕らがフィクションに求めるものなのだ。そして後者だとしたら、京本が藤野と別れてからもずっと藤野先生を慕い続け、画風やギャグセンスまで完全に真似してあの作品を描いた証左があの4コマであり、それを見た藤野の脳内にあのハピエンif世界線が一瞬で構築されたのだとすれば、それこそが人のもつ想像力・創造力の発露だからだ。それは決して逃げでも現実逃避でもない。どちらであっても、それは藤野が京本のいない現実を生きていくための支えになる。

 * * *

今回、特典のネームを読んで、プロットもカット割りも完成版の漫画とほぼ同一であること、ただ登場人物の名前だけが違っていることに驚いた。藤野と京本——明らかに二人とも藤本タツキの分身であり、また「京」の文字をあてたことにも覚悟を感じる。

 * * *

さて、ここで恒例の自分語りなので適当にスルーしてほしい。この映画は、すごく共感性羞恥だとか自分のモチベだとかそういうものを再確認する作品でもあった。自分は藤野と京本の悪い所だけをくっつけたような人間だった。小4のとき、友達がノートにギャグ4コマを描いて周囲に見せていた。「自分ならもっと面白いものが描ける」そう思った自分は、ノートにギャグ4コマを十数本くらい描いて周りに見せた。ただの棒人間みたいな漫画で、別に藤野みたいに絶賛されたりもしてないけど、自分のほうが面白いという暗い情念みたいなものはあった(さっき黒歴史が詰まった段ボール見たらペン入れした原稿出てきて速攻しまった)。中学でも友達のアニメキャラのイラストを見てやっぱり「自分はもっとうまく描ける」と根拠なく思った。ちなみに今思うと自分はどう考えても平均以下で、その友達と同程度だ。とても「絵を描いてます」とか言えるレベルじゃない。でも近所の文房具屋でペン軸とペン先(丸ペンとGペン)と黒インキを買った。画材屋が放課後のお気に入りの場所になった。漫画は無理なので(ストーリーが作れない)、基本的には絵だけ描いていた。とはいえ、その頃にはもう人に見せるでもなく、デッサンやパースも何も勉強しなかったので永遠に落書きレベルに甘んじていた。結局、自分の思うような絵が描けなくてやめた。練習しないのだから当たり前だ。当時SNSがなくて良かったとほんとうに思う。

だから描いて描いて、めきめきと画力を上げていく藤野が本当に眩しかった。

今は何も描いてない。ペン軸とペン先はまだ実家にあるだろうか。

ただ、代わりに最近、まあいろいろあって、ネット上に時々クソ駄文を書くようになった。とはいえ別にクリエイターを気取るつもりは一切ない。自分はそっち側の人間にはなれないのだということは、とっくにわかっている。ただのごっこ遊びでしかない。藤野のような、上手くなる努力を何もしていないから、本来なら人様に見せるべきでないようなひどいクオリティのままだ。

だけど、きっかけのひとつに、何人かの方の背中があった。

追いつける気はしないし追いつこうとも思わない。でも彼らの「背中を見る」ことは確かに、自分のモチベーションのひとつになっている。

そして、ごくごくたまに、面白かった、と言ってくれる奇特な人が現れる(ありがとうございます)。その瞬間の自分の気持ちは、まさにあの卒業式の日、雨の中を小躍りしていた藤野そのものだ。いい年して、もう本当にあんな感じなのだ。なかでも、自分が背中を見続けていた人の一人からそれを言われたときにはもう死んでもいいと思った。

だから藤野も自分が憧れていた京本からのフィードバックに本当に救われたと思う。フィードバックは2度ある。卒業式の日の「ファンです」責め。そしてドアの隙間から出てきた『背中を見て』の4コマ。背中を見ていた人がこっちを見てくれた。一方向だったベクトルが一瞬双方向になった。しかも、2度目は言葉ではなく、互いの「作品」でそれをやってるのだ。本当にすごい構造で惚れ惚れする。

この作品をきっかけに、また誰かが彼らの背中を見て何かを作り続けてくれると良いなと思うし、自分も、僭越ながらも駄文を書き続けたいと思う。
「描き続ける」。キャッチコピーがそのまま、あのEDに凝縮されていると感じた。

 * * *

ちなみに映画館ふらふらと出て、少し悩んで、また戻って次の回のチケットその場で買ってもう一度見た。こういうことをやったのは2019年に『HELLO WORLD』を初めて見たとき以来だ。もっとも、普段は大体上映回数が減ってからレイトで観るのでやりたくてもできないというのが大きい。特典商法もたまには役に立つw

なお、タツキ先生の短編『さよなら絵梨』もすごいのでオススメです。
実はちょっとだけこの『ルックバック』に出てきた!!!
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-883167-1



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この作品については映画館で予告編だけ見て「あ、絵がいいな」と思って興味持ってました。その時は、ぱっと見では黒髪の子がいいなと思ったんですよね。あと、王道アイドルものなのかなっていう第一印象。トラペジウムかー、オリオン大星雲の生まれたての青く若い四つ星か、なるほど、いいタイトルだな、と。

その後、上映が始まってなんか「主人公がヤバい」みたいな感想をよく見かけるようになって、ふーんアイドルの闇とかを描いた作品なのかな?とも思ったんですが、どうヤバいのかとかの前情報は一切シャットアウトして、たまたま機会があったので観に行きました。

で、第一印象なんですが、いや全然登場人物ヤバくないやん!めちゃくちゃ真っ当でどストレートな王道青春映画やん!という感想を持ちました。

誤解を恐れずに言いますが、自分は主人公にすごく共感したし、自分もある種こうありたいと思わされた部分がありました。自分の感情に照らして既視感を感じるというか、すごく解像度が高い、リアリティのある物語だなという感覚を持ちました(もちろん自分はアイドルはまったく無縁なので、別の何か追い求める物に対してですが)。

(はい、以下延々と自分語りするので適当にスルーしてください)

確かに彼女の言動はすごく独りよがりで自分勝手で、人の心がなくて、周囲の人たちを傷つけまくっている。それが人としてあかんやろ、とはもちろん思います。ただ、彼女の感覚はすごくリアルだった。きれいごとじゃない、等身大の15歳の強烈な自我をすごい解像度で描いてるな、と。決してサイコパスではない。理解できる。というのは、この身勝手さ、人の心のなさ、打算的な思考は確実に自分にあるものだったからです。自分もわりとこういう考え方をしがちな人間だな、と。特に10代のころはそれが先鋭化しがちだな、と。大人になってだいぶ学習はして少しは擬態ができるようにはなりましたが、たぶんまだ心の底にはこういう思考が普通に残っている。

もちろん、アイドルになりたいと思ったことは一度もありませんし、むしろ頼まれてもなりたくないほうです。人前に立つことは絶対に嫌です。かつて一度だけ一瞬TVに出たことがあるのですが、正直トラウマです(なのでTV出演のシーンではPTSD気味になってましたw)。そういう部分はくるみにすごく近くて、彼女にもすごく感情移入しながら観てました。

ただ……アイドルとか目立つこととかではなくても、何か自分のやりたいことに対して、手段を選ばず周囲を利用してまでそこに到達したい、という強烈なエゴはやっぱり自分にあるんだな、と思い知らされた次第。そしてたぶん自分は彼女のように、知らないうちに暴走して周囲の人を悲しませたり怒らせたりしてきたのだろう。彼女は終盤でちゃんと気づいて、関係性を修復することができた。でも自分はきっと気づけずに失ったものがきっとたくさんあるのだろう…うわあ…ってそういう共感性羞恥を持たせる作品ですね。東西南北を集めるとかいう発想は常軌を逸してますが、10代ってだいたいこういう意味不明なこと考えてたりするものです。ヒリつく場面はさすがに「お前…もう少し人として擬態しろよ…心で思っても口に出すなよ…」と思いましたが、それすらも若さゆえの痛い過ちとしての解像度が高い。

そんな風に人でなしな部分が自分と似てる東ゆうなのですが、自分と決定的に違うのが行動力と意志の強さです。自分の場合、ドロドロしたエゴはあってもそれをうじうじと反芻しているだけで具現化していく勇気も甲斐性もない。他人を気にしすぎて勝手にハードルを上げて、動き出す前に勝手に諦めて、自分の境遇を逆恨みする。最悪じゃないですか。それにくらべたら東ゆうは100万倍えらいと思うわけです。やり方はいろいろ問題あったし人を人と思ってないけど、それでもエゴを貫くふてぶてしさがある。それは弱みにも強みにもなりうる。

だから自分にとっては彼女がまぶしかったですね。こんな風に好きを貫いて、周囲を踏み台にして夢を叶える彼女がどこかうらやましかった。その行動力だけは見習いたい。夢なんてものを本気で叶えようと思ったら、多少の強引さは必要なんじゃないか。「自由にやっちゃえよ」ってことで。勝手にくすぶっていないで、周りからどう思われようとも、自分のやりたいことを少なくとも主張はしていったほうがよいんじゃないだろうか。みたいなことを考えました。ただし彼女の過ちは継承しない方向で!

そんなわけで、夢を叶えようと本気でもがく若者のリアルがよく表現された作品だな、と思いました。観てよかったです!

・OP が星街すいせいさん feat. でびっくり!

・作中で何度も映るオリオン座、見間違いだったらすみませんがなんかちょっと歪んでませんか? しかも歪みが大きくなっていく。なんかオリオン座のつづみの形、変だな?って思ってました。最後にはわりとまともな形に戻ってて、何かを表してるのかなとか勝手に深読み。

・C++とJavaなのかー。ロボコンの解像度個人的にもう少しほしかったですが、まあロボコンアニメじゃないのでw くるみ、ただでさえ孤立してるのに独自行動しちゃって部活の人間関係的に大丈夫だったんだろうか?

・東西南北の4人のアイドルにかける温度差が全員バラバラなのがよいですね。そりゃ分裂するだろっていう。そこがまたリアルで、アイドルに限らず温度差の違う複数人でひとつのことをやるのやっぱ互いに大変だよなと。

・予告編では美嘉かわいいなと思ってたんだけど、ちょっと思ってた感じと違った! 彼氏と別れさせられたのは気の毒としかいいようがない。蘭子、意外とアイドル活動にノリノリなのが癒やしでした。

・真司、いいキャラですね。星が好きで写真が好きで、別に東ゆうにぐいぐい来るわけじゃなくて、でも東ゆうの野望をただ一人知っていて、あくまでもフラットに彼女を支える関係として、殺伐としたストーリーを中和してくれてました。ちょっと都合よすぎキャラな気もしますが、でも最後に彼もまた夢を叶えているのはとてもよかった。

・サチも最後に伏線ほしかったかな。

・ボランティアやSNSの利用の仕方、決して先鋭思考とかじゃなくてガクチカみたいなものじゃないですか。アイドルじゃなくてもたぶん就活とかその後のいい人生をつかむためのあれやこれやで、あれくらいのことはやってきてる気がする。ていうかアイドルデビューを目指す活動と就活って似てるな。自分を売り込む。

・「なりたいじぶん」の曲、いいですね!らったった〜のところ好きだ。

・吉祥寺の啓文堂だ!



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以下、「僕街」の実写映画と原作漫画も履修したうえで書きます。実写映画・原作漫画・アニメで「違うところがある」ということまでは書きますが、どこがどう違うかについてはネタバレを防ぐため触れません。

「僕街」は実は以前、実写映画版だけは見たことがありました。また、違う部分があるらしい、というところまでは把握してましたが、どう違うのかまでは把握せずに視聴しました。で、共通部分も改変部分も含めてめちゃくちゃハマって原作も一気読みした、という状況です。
また伊藤監督の『HELLO WORLD』『富豪刑事』は大好きで、特に本作は『富豪刑事』とスタッフがかなり重なってることもあり、非常に期待して臨んだのですが期待以上でした!

そもそも時間モノというだけでもう好みなんですが、リバイバルという概念の面白さ、サスペンスの巧みさが素晴らしかったです。大人の主人公と子どもの主人公が出てくる点、ものすごいどんでん返しがある点、伏線がめちゃくちゃうまく張られてる点…自分の好きな要素しかないし、先の読めなさが最高でした。映画であらすじは知っているけど続きが気になって仕方なかったので、初見だったらどれだけ翻弄されただろうw

原作を読んだうえであらためて思い起こすと、映像化のお手本というか、12話というシリーズ構成に実にうまくはめ込んだなあと。1話の引きからして最高でしたが毎回引きが本当にすごくてですね…。

キャラクターが本当に魅力的ですよね。雛月がけなげで、どんどん笑顔が増えてくると本当にうれしくて、彼女の作文とか佐知子さんの朝食を見て涙していたところとか本当に胸が詰まって、心の底から守りたくなる。恋愛感情とはちょっと違うんですよね。人として、救いたくなる。佐知子さんもなんかもう理想のお母さんというか妖怪というか完全にヒーローで、だからこそ死んでほしくないって思える。愛梨の「信じたい」という言葉…いい子すぎる。八代すら実に魅力的なサイコパスに描かれてるんですよね…。胸糞悪いのになぜか惹き込まれてしまう悪。そしてケンヤの頭が切れすぎるw あれもミスリードのひとつなんでしょうが、そのキレッキレのケンヤが本気で友情を育んでいく姿がすごく印象的でした。

そして、あの問題の11話のOPなんですが、ほんとに「うわあああ」って変な声出ました…そういうことか、僕だけがいない街ってそういうことか…って。で、まさかの現実。なんという鮮やかな転換。人生を奪われたのは雛月でも佐知子さんでも愛梨でもなくて悟だったという逆転。こういうの好きです。佐知子さんやケンヤや雛月やヒロミの15年の人生を考える。西園の15年を考える。考えてしまう。それだけの妄想の余地がここにある…

ラスト、よかったです。尺の都合もありかなり切り詰めたところはありますが、西園の弱さというかヘタレと悟へのクソデカ感情。そして、そんなものをもはや恨んですらいない悟にはかけがえのない仲間たちがいる。文句のつけようのないハッピーエンド。愛梨とのピザ屋での日々は失われてしまったけど、新たな思い出を作っていってほしいな、新しい世界で。

結局、雛月が殺された世界は悟の夢だったのかなんだったのかですが、自分的には最初の世界(雛月と佐知子さんが殺される)も、1回目のリバイバルの世界(阻止したと思ったけど雛月が殺される)も、悟にとっては現実だったのだろうなという気がしています。悟が意識不明になる世界で、悟は明らかに知るはずのないことを知っていた。「上野へは電車一本で行ける」なんてことを言った(この伏線本当に好きすぎる)。雛月やヒロミや彩が殺されるかもなんて、何も知らない子どもが思いつけるわけがない。白鳥家に石を投げ込んだりなんて思わない。15年経って目覚めても、絵があんなに上手いなんてありえない。ケンヤはまだぎりぎりものすごく勘がいい子どもで済むけど(それでもこいつもリバイバルしてるレベル)、確実に最初の失敗した世界線からの因果が悟にはあると思ってます。

映像的には、シネスコとビスタで違う時間軸を表す手法、リバイバルを映画のフィルムになぞらえた表現、最後の晩餐の絵で裏切りを示すやり方、タイトルフォントの変化、カット割りとカメラワーク、映像力学…BGMの使い方のうまさともあいまって、最高の演出でした。蜘蛛の糸は気づかなかった!!

いろいろな要素が伊藤監督の後続の作品である映画『HELLO WORLD』に引き継がれている気がしました(HELLO WORLDのネタバレになるので詳しくは語りませんが)。

・「声に出てた」シリーズと「しっかりしろ29歳」シリーズが好きでしたw
・犯人のミスリードが上手すぎる!先生怪しいんだけど他のブラフも秀逸すぎて。
・悟の部屋の本棚、時間モノが多くていいねいいねって感じ
・美里、はてしない物語読んでた!美里も本の世界に逃避するしかなかったのかもしれないな…
・キャラデザ、原作よりもわかりやすい感じにはなってましたね。
・苫小牧、行ったことがあるんですが、本当にあの映像の通りで良い所です。科学センターも本当におすすめです(あのレベルの展示が入場無料なところが、苫小牧市の底力を感じさせる)。
・白い鳥と黒い鳥の対比、好きだ。
・OPとED神ですね…アジカンのOP、タイトルも歌詞もてっきり書き下ろしかと思うくらいのマッチ度だし、カット割りが最高だし、不穏さでさらに視聴者をゆさぶってくるし(あの水はそういうことか…!)。スタイリッシュED、モノクロームの木と雪山が死ぬほど好きだ。自分の北海道の心象風景そのものと思う。
・バカなの?って言われたいです!!!!



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ヘブバンから来ました!

いやー、去年のヘブバンAB!コラボではAB!未履修でイベスト読んで、みゆきちの話にもうめちゃくちゃ泣いて(ヘブバン本編以上に泣いて)、プレイアブルなゆりっぺとかなでとみゆきちがものすごく強いので戦闘で常用するなどしてました。で、今回コラボ第2弾が来まして、なんかガルデモの話っぽいなということで一気見することにしたんです。フォロワーさんに背中を押されたというのもありました。

めちゃくちゃ良かったです。

自分は麻枝さん作品はこれまでヘブバンしか知らなかったんですが、AB!はヘブバンの原点というか、ヘブバンにも出てくる麻枝さん的な要素がすべてこの頃には完成していたんだな、という印象です。さらに他の作品を見たらもっとわかるのかもしれませんが。自分がヘブバンで好きだと思っていた要素が全部AB!にも詰まっている。好きにならないわけないじゃないですか。

全員のキャラ立ちがすごい。あの大人数がきちんと描き分けられてるバランスは見事というほかない。繰り出される天丼ギャグ(麻枝さんのギャグセンスは完全に自分のツボです)。ダレ回のない圧倒的な情報量。圧巻のライブと麻枝サウンド。明かされる世界と巧妙な伏線。学園×ミリタリ×バンド。悔しいくらいに泣かされるエピソードの巧さ。重い過去エピと軽い日常の絶妙なバランス。香る小室サウンドと村上春樹。
それらがもうこのAB!で全部完成していたのか…ってなりました。恐れ入りました!!(決して、よく似てるとか同じような作品と言いたいわけではなくて、完全に違う作品だと受け取りましたが、その根底に流れるものに共通性を感じました)

世界設定が良いです。青春に未練を残して死んだ者たちのための学園。未練があるからもう全力で青春やってんですよね。野球したりバンドしたり試験でめちゃくちゃやったり釣りしたり。もう本当に楽しそうで楽しそうで。最初はあんな大人数の名前覚えられないと思ってたのに、いつの間にかクラスの仲間みたいな愛着が湧いてきたと思った頃には別れが来る。自分の高校時代はこんな楽しい思い出がないのでうらやましいw でも生前の彼らに比べればよっぽど幸せな人生だったと思うんで、自分が死んでもここには来れないんだろうな。

NPCにもちゃんと心があり彼らは彼らで青春を楽しんでいるのが良いですよね。彼らももしかしたら、生前にあまり学校が楽しくなかった人の魂の一部かもしれない。せめてNPCになりたいなあ。

Angel Player。世界を改変できるデバイスって好きなんですよね。ハートだらけになったときちょっと笑いましたが、でも確かにあんな楽しい学園にずっといたくなってしまうのわかります。でも前に進まなきゃいけない。卒業しなきゃいけない。

音無、めちゃくちゃ良い奴ですよね。全編見終わって、音が無い=鼓動(Beats)がない、ってのに気づいてうおおってなりました。初めての音(生きる意味)をもたらしてくれたのが初音だし、音無の音を継承して奏でていくのがかなでなのか。

かなでマジ天使でした。ヘブバンコラボの時からしゃべり方が好きだったんですが、だんだん人間味が出てくる所最高だしガードスキルがかっちょいい。天然ボケが快い。ゆりっぺ、ベレーかぶってオペレーション発動してるときがかっこよくてよきよきでした。日向とゆい…こいつらめっちゃ仲いいなあと思って微笑ましく眺めてましたが、ありゃ反則ですわ…。どこかで幸せに暮らしていてほしい。直井、緒方さんの演技が本当にすごかった。憎めない神。ガルデモのメンバー、あまり掘り下げられてなくて意外でした。ヘブバンで大活躍のみゆきちも出番少なくて驚いた。それだけに、みゆきちが画面の端でうろうろしてるの見るたびに、ヘブバンイベスト思い出して一人で泣きそうになってました。

卒業式、良かったです。どんなに楽しい学園生活もいつかは終わりが来て、誰でも人は新しい世界に踏み出さなきゃ行けない。せめてそこに幸いがあるように。満足して次のステージに進めるように。すべての死別もこんなふうであってほしい。自分の卒業式をぼんやりと思い出して、過ぎ去った日々のかけがえのなさに今頃ようやく気づきました。小中高大、あまり楽しい思い出がなかったと思い込んでいただけで、なんだかんだで楽しいこともあったよなと。もうあの日々は帰ってこない。ということは、死んだ後はやっぱりそういう気持ちになるのかもしれないですね。ていうか、そういう風に思えるような人生にしていければな…

ラスト…愛してくれてありがとうって言って消えていくやつ……!!あ〜〜〜〜!!!つらい、つらすぎる。あの後、Cパート(転生後?)までに音無はどうしたのだろうか…初音に続いてかなでまでも、ありがとうって言われて失ってしまって、どうやって生きて(いや、生きてないのか)いったんだろう。未練がなくて死後の世界に来ているイレギュラーだから、一歩間違えたらAngel Playerの開発者と同じだし。どうやって抜けたんだろう。

それにしても、去年のヘブバンイベストの元ネタが全部わかって感動してました。次回予告、ギルド、犬のぬいぐるみ、野球…もう一度読み返したくなってきたな。そもそも、イベントのBGMや背景画自体も、AB!で使われてたやつだったんですね…。みゆきちのしんどいシーンのBGM流れてきてうわあああって思ってしまった。本当に丁寧に作られたイベントストーリーだったんだなと実感しましたね。さすがKey。

おかげさまでヘブバンの理解が高まったし、今後もヘブバンの副読本的な感じで反芻していきたい。ただ、決してヘブバンありきで評価してるわけではないです。この作品をもし放映当時知っていたら間違いなくぶっ刺さっていたと思います。純粋にひとつのアニメとして、忘れられない作品に出会えました。もっともっと彼らとバカ騒ぎしてたかった。未練たらたらです。自分はまだまだ卒業できなさそうな気がしますw

AB!履修して最強になったところで、満を持してひさ子イベに挑んできます!



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「窓ぎわのトットちゃん」、原作はそれこそ小学生の頃に読んだような記憶があります。読んで子供心に、こいつやべえなと。おてんばな女の子はフィクションではよくあるけれど、これがあのテレビに出ている黒柳徹子さんの実話だったのかと思うと、すごい小学生がいたもんだなと。自分はすでに完全に陰キャまっしぐらだったので、こんな風に破天荒なトットちゃんも自由すぎる学校も、うらやましかったような記憶がかすかにある。ただ、細かいエピソードなんかは完全に忘れてました。

だから今回映画を見て、想像以上に戦争の色が濃いことに驚きました。もちろん映画独自の脚色はかなりあるだろうけど、思ったより重いな、と。でも決して子どもが楽しめない作品じゃない。むしろ、子どもの頃しか見えないあの毎日のなんかキラキラした感じがすごく出ていて、戦争もあくまで子ども目線で淡々と描かれていて、これは親子で楽しめるし、お子さんが大きくなったときに「ああ、そうか」って気づけるタイプの作品だなと思いました。

最近のアニメ映画の戦中戦後の解像度がすごいなと常々思ってました。もちろんそんな時代を経験したことはないわけなんですが、なんかこれまでのいわゆる戦争モノとは違う、肌感覚で感じる何か。「この世界の片隅に」しかり、「鬼太郎誕生」しかり。この作品も確実にその系譜に連なると思います。そして何より、言い方悪いですが「原作がご存命である」というのがすごく大きいです。実話の圧倒的な強さ。

戦前の山の手の上流階級の豊かな暮らし。さすが東急が作った町。ああ、自由が丘の駅前のあの通りだし、大井町線も大井町線だ。全然あんな超上流じゃないけど祖母もこの世界を生きていたのかな、と。鬼太郎の水木に祖父を、トットちゃんに祖母を勝手に重ね合わせて連続性を感じようとする作業。

トモエ学園が超絶楽しそうで、なんかもう夢の学校ですよねあれ。絵のタッチが変わるところ、どれもすごくよかった。自分も夢想癖があったから電車の教室のシーンは本当に楽しかったし、プールのシーンは多分原作のいわさきちひろさんの画風のオマージュですよね。悪夢のシーンは米国南部の綿花畑で。

泰明ちゃんが良いですね。自分はあんな出来の良い人間では全然ないけど、お泊まりのことを親に言い出せず黙ってしまうのがすごく共感した。自分で勝手に諦めてハードル上げちゃうやつ。それで自分も、こんないい年こいて未だに、Twitterの友人達に手を引っ張られて木の上に上げてもらって、見えなかった景色を見せてもらってる自覚がある。だから本当に嬉しかっただろうなってすごくわかりますね…

泰明ちゃんが中川翔子さんの祖母の従兄弟で、徹子の部屋でそれを知った徹子さんが涙されたというエピソードを知って、なんか一気にこの現実世界と映画がつながった気がした。フィクションじゃない者の持つ圧倒的な説得力。物理を学びたいって言ってた泰ちゃんも、その後物理学者になっておられるらしいんですよね。一人一人ちゃんとモデルがいて、確かにあのとき自由が丘に彼らは生きていたんだと不思議な気持ちになる。

高らかに反戦を謳うのではなく、無言で粛々とセカイが変わっていくことを示す演出の数々。駅員さんは女性に変わり、犬が消え、服装も変化し、キラキラしていた豊かな生活がだんだん変わっていく。ああ、戦争ってこういう風にやってくるんだなっていう。数年でこんなにも変わるものかなと思うけど、なんかここ数年の現代の世界の変わりよう(良くも悪くも)を見てると、実際あんなもんなんだなとわかる気はする。徹子さん、よくぞ生き抜いて大事なものを伝えてくれたな、と思う。

ちょっと戦前の絵本の挿画みたいなキャラデザ、良いですね。静止画だとわからないんですが、動き出すとすごい。パンフレットが完全に子ども向けじゃないガチ仕様で情報量が多くて素晴らしかったですw

個人的にすごく良いなと思ったのが、泰明ちゃんのお姉さんがイギリスで聞いてきたというテレビジョンのエピソード。これ、もし実話だとしたら人生の伏線としてすごいし、映画独自の創作だとしても、こういう手つきのネタの入れ方、好きなんですよね。日本のテレビ放送開始初日からテレビに出演し、ギネスに載るほどの記録を打ち立てて世界を平和にする存在になるんだってことを、このときのトットちゃんはまだ知らない。いや、なんか、最高じゃないですか。



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最初に断っておきますが、自分は過去の鬼太郎作品はアニメの主要キャラとか技をざっくり知ってる程度で、アニメも漫画も基本怖くてちゃんと見てないです。水木しげる先生作品は、鬼太郎じゃない何か短編ホラー集と、あとラバウル戦記の一部を読んだ程度。

いやー、凄い(文字通りの凄い)ものを観たなという感じでした。

PG12でポスターも怖いので、どれだけ凄惨なスプラッタかと覚悟してたのですが、個人的には意外と大丈夫でした(進撃の巨人とかのほうがよほどグロい気がする)。いわゆるテンプレ因習村なので、スケキヨさんとか津山の事件とかに怖がってた子供の頃と比べたら余裕で観れた気がする…! でもそうはいってもフラッシュバックしがちな方とかは慎重になったほうがよいかもです。あと人を怖がらせるのが目的のホラーではないので。血よりスプラッタより妖怪より、よほど人の業が刺さる。怖いというより、哀しい。

なんか、ものすごく「昭和中期の映画感」を感じさせてそれがすごく良かったです。古風で早口なセリフ回し、何かと煙草を吸う主人公、往年の社会派ミステリ映画とかを彷彿とさせるような演出と絵作り。普通にモノクロ実写でレンタルビデオ屋とかにありそうな…。だからなんか、アニメを観たという感じがしないんです。妖怪バトルは確実に鬼太郎なのに。

いろいろな見方はあると思いますが、自分はこれを、広い意味での戦争(太平洋戦争だけでなく、「戦後」も含め今に至るまで)に斬り込んだ話として受け止めました。

戦後10年という時代感。あの頃の映画や小説って、初代ゴジラとかもそうですが、ほんとに戦争から地続きで、なんだかハッとさせられるんですよね。ちょうど今僕らが震災から10年後にすずめの戸締まりを受け止めているような、そんな距離感で戦争の痕跡がまだあちこちに燻ってて、そこら辺の誰もがついこないだの記憶として捉えているけど風化しつつある、そんなあの頃の映画と同じ匂いを確実に継承してました。自分はあの戦争はもう伝聞ですら聞いていなくて、伝聞の伝聞か、あるいはフィクションでしか知らない。もう直接戦争の話をほぼ聞けなくなったこの時代に、このゲ謎とか、この世界の片隅にとか、もしかしたらトットちゃん(未見)もそうかもですけど、せめてフィクションの形で少しでも語り継いで行こうという思いのようなものを感じるんですよね。もうこれから先は、フィクションの強大な力を借りるしかない。

こういう感想は、自分が戦争の話を直接聞けていないことへの残念さとかから来ているのかもしれません。水木達が生きてた時代はたしかに自分の祖父母たちがいきいきと過ごしていた時代で、ただ自分はあまり当時や戦時の話を聞かないまま祖父母を見送ってしまった。だからせめてこういうフィクションの中に彼らの生きた時代の空気を探そうとしてしまうのかもしれない。特に、祖父がかつて書いた文章を最近たまたま読む機会があったせいか、南方戦線を経て戦後モーレツサラリーマンとして戦後を生き抜いた祖父の姿を、水木に勝手に重ねて見ている自分がいました。昭和は遠くなりにけり。

水木しげる先生のラバウル戦記(一部しか読めてませんが)がとても衝撃的だったので、単なる伝奇ホラーではなく戦争の思い出を絡めていく本作の姿勢に真摯なものを感じました。村人や幽霊族や沙代、時弥までも利用する龍賀家の狂ったロジックはそのまま戦線での上官のロジックに、そして戦争というシステム全体のロジックにそのまま直結する。すごい怨念の塊みたいな妖怪が大量に出てきましたが、戦争中に無念に死んでいった人達とどうしても重なってみえる。水木の背後に大勢の兵士が見えたみたいに。そして戦争は実は終わってない。日本人は血液製剤で24時間モーレツに働き、その慣習だけは未だに尾を曳いてるのにもはや誰も豊かにならない。未来は明るくなんてない。今の令和の世だって、もちろん世界情勢的にも戦争と言っていい状況になってしまっていますが、軍事面じゃない僕らの社会生活だって結局まだ一種の戦争で、その怨念が日本中に漂ってる。「戦後」、そしてそこから今の令和まで続くこの日本社会は、そんな無数の怨念できっと出来ている。それもふまえてのあの展開なのかな。因習村はあくまでただの縮図や比喩であって。

それでも、子供たちがいるからこそ僕らは世界を終わらせるわけにはいかないのだ。時弥君の思いを受け継いで、次の世代の鬼太郎に託すために。救いのない世界で、それでも救いを見いだして人は生きていく。

なんとなくポスターから水木とゲゲ郎のバディものなんだろうなーとは想像できて、戦争帰りという設定が強みにも弱みにもなる水木と、飄々としてるけどめっちゃ愛妻家のゲゲ郎、という組み合わせは確かにバディとしては鉄板ですね。人と共に生きた鬼太郎のお母さん、かっこよかったな。

妖怪の造形、ちょっと江戸時代とかの妖怪草紙的な塗りになってませんでした? EDのタッチも原作っぽいし、とにかく丁寧に作られてる感じありました。昭和30年代を変に美化せず描いているのよかったです。よくここまで描いたなあという……妖怪ではなく、明治以降の日本社会の原罪みたいなのを。

前半の伝奇ミステリは小物のお約束テンプレ感がかえって安心感をもたらしてくれてましたが、ミスリードや伏線がうまくて、ミステリとして普通にすごくよくできてるんですよね。決して陰鬱なだけの話じゃない。社会派ミステリとエンタメ活劇とのバランスが見事でした。
しかし時貞の胸糞悪さはヤバかったw もうほんとに胸糞時貞に比べれば妖怪なんて全然怖くないですね。人が一番怖いです。CV石田彰な糸目もあれ一種のテンプレじゃないのかw ねずみ男っぽいやつよかったですよね。

あと狂言回しとしての現代のジャーナリストも、冒頭の胡散臭さが最後に大化けして大役を与えられて良かった。そう、これは、あの頃から70年経った今、記録し語り継いでいくべき物語なんだと思う。

パンフも売り切れてたし、もう一度見たいなあ。



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お勧め頂いて、見てきましたー!
Webアニメのほう一応ざっと履修済みだったんですが、未見でも全然大丈夫な作りになってたと思います。

ダンスやべえですね。人体の美というかなんというか、語彙力がなくて説明できないのですが、何か見たことのないものを見た感だけは確実にあります。普通にポールダンス、オリンピック種目とかにすればよいんでは。Webアニメと違ってフルで見れたのでよかったです。ポールダンスをアニメにするのはなるほどなーという着眼点で、今ならモーションキャプチャと3DCGで完璧に描写できるし、ダブルスという種目は百合好きな人は楽しめるし、意外性もある。で、モーションキャプチャ動画観て、あの動きが現実にやれているのみてマジでたまげました。

ミオのコスチューム、あれなにげにダンスの難易度高くないですか? スカート部分がタイトなので足を広げられない。あれであれだけ踊れるの実はすごいんじゃないか。あと、歌いながら踊ってるんですがそんなことできるもんなんですか!?(それとも口パクなのか?)

星をモチーフにした、女子高生が青春に打ち込む系ストーリー、バンドリとかプロセカとかでも王道なやつなので安心して観れます。

見てて自分やっぱチームプレー無理だなと思いましたw 大会の前にみんな自信なくしてお互いに励まし合うじゃないですか。私達がいるから大丈夫、みたいな。あ、この励まし方されると自分は余計プレッシャー感じるやつだなと思いました。スバルがポール離して落っこちかけるところ、あれミオに捕まえてもらってうおおおってなるんですが、自分だったらずっと引きずるなあ。あと審査員も、落ちかけて相方にリカバリしてもらったのは多分テクニカルポイント的なやつ減点しますよね。逆にいえばギャラクシープリンセスのみんなはそれだけ強い心を手にいれたんだなっていう。かつての、体操やってたスバルなら自分と同じ思考に陥ってたかもしれない。それはヒナノも同じで、自分なら舞台の上でチームのみんなが見てるのに気づいたら固まりますw 何回かステージに立ったことあるのでわかるんですが、ステージの上って照明で客席とかが一切見えなくなるから集中できるみたいなところがある。だから、自分が到達しえない境地に達したギャラクシープリンセスのみんながほんとにまぶしいんです。

熊本、八代なんですねー。地区予選が九州だし、高台から見える工場群もちょっと某映画の大分とか思い出してどこなんだろと思ってたので。小さい頃に同じ発表会に出てたということはユカリさん同郷だと思うんですが、予選にいなかったので引っ越したんですかね。

エルダンジュの3人良かったです。ポスターでは全然わかってなかったんですがもう大丈夫ですw サナ姫、なんかよいな。アズミ先生もやっぱ良いですね。くぎゅ、狐面、ぶちかませあたりで反応してたハロワ脳でした



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ポールダンスが普通にすごい。なんかエロダンス的なイメージしか持ってなかったけど、ダンスやバレエのすごいのを見た時みたいな人体の美しさを感じる。思わず画面に見入ってしまう。モーションキャプチャのすごく良い使い方。
お話は映画の前日譚みたいな感じなのかな。先生良いな。北極星の「ポール」とポールダンスの「ポール」、星の円周運動・自転軸と1本のポールをめぐるダンスを掛けてるのが上手いなあ。プラネタリウムでポールダンス!?って思ったけど、ヒナノのあの絵を出したかったんだろうなと思ったらすごく腑に落ちました。映画も気になってきましたー!



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咲太の物語、だった。

これまで麻衣さんはじめ、周りの女の子達が思春期症候群、というよりその名を借りた思春期ならではの悩みに向き合い、それを乗り越えていく話が続いていたと思う。その中で咲太は常に、うらやましいくらいのイケメンムーブで彼女達を支えてきた。こちらも安心して見ていられるくらいに咲太は人間ができていた。

本作も咲太の人間力の高さは変わらない。いや、むしろ拍車かかってるかもしれない。だけど、それでもなお、咲太には乗り越えるべき何かがあって、これまでも伏線はあったけどようやく正面切ってそこに切り込んだ作品と感じた。

前作までに咲太が見せてきた人間力の高さ、人としてのイケメン度、それは天性のものとつい思ってしまいがちだけど、そうじゃなかった。飄々として見えるけどその陰には彼の孤独ながんばりがあった。きっとかつては咲太も、親に年相応の反抗心を持った、どこにでもいる男子学生だったんだろうと思う。可能性の世界で、お母さんがお礼を言われておどろいてたことからもわかる。それが、妹と母親がおかしくなって、家族バラバラになって、料理も洗濯も後天的に身につけたのだ。生活していくために。お兄ちゃんとして、妹を守るために。すごいと思う。自分にはとてもできないと思う。

歪な形の家族環境で、咲太は自分が妹の保護者であろうとするあまり、父と母のいない状態をデフォルトとしてきたのかもしれない。誰だって、自分の母親の心が壊れてしまったとしたら、そんな状態を直視したくないし受け入れたくないものだろう。多感な時期ならなおさらだ。それでも咲太はそこでグレたりしないでお兄ちゃんとしての責務を全うしてるわけでほんとにすごいんだけど、その過程で母親を正面から見れなくなってしまったのかもしれない。母親に認めてもらいたい、愛されたいという根源的な気持ちすら抑制していたんじゃないか。だから誰からも認識されなくなったのかもしれないな。

そんなスーパーできる男咲太にも見ないようにしてきたところがあって、でもそれは咲太が頑張るあまりの代償なんだけど、それでもショックを受ける咲太が辛かった。そこでそれに気づいて悩むところはやっぱり咲太だ。

誰にも見えなくなった咲太がお母さんの病室に入って、ここでずっと一人で頑張ってたんだって気づくシーン。この時急にお母さんというキャラが一人の人間として存在感を放ち始めた気がした。今まで奇妙なくらいに作品内で描かれてこなかった母親。それはきっと故意の演出であって、咲太が考えないようにしていたから咲太視点の物語では無視されていたお母さん。だけどお母さんにもお母さんのきっと壮絶な物語があって、苦しみもがいていて。一人でノートにただ思いを吐き出すしかなくて。よく、家族の存在感がまったくないジュブナイル作品って結構多いと思うんですが、それを逆手にとってここで始めて母親と向き合わせるの、すごいと思った。

母親は最初から母親だったわけではない。母親になったのだ。だけどそんなこと、子供の頃には想像もつかない。母親は絶対的な存在だと思い込んでしまっている。母親をただのごく普通の一人の人間として見ること。ちょっとしたことで心が折れてしまう繊細な、だけど必死に「母親になろう」としている、一人の女性として相対化してとらえること。といっても決して他人扱いするということではなく、苦楽をともにする存在として尊重し、大事にすること。それが、大人になった、ということなんだと思う。だから麻衣さんにそう言われて、咲太は泣いたんだろう。母親から離れ、同時に一人の女性と生涯を生きていく決意をすること。思春期の終り。ノート、「保証」、校庭。バニーガール編のモチーフを全部なぞりながら、そこに到達するラスト。「高校生編」の終幕としてこれ以上ない美しい結末だったと思います(まあ咲太はまだ高校生だけど)。

咲太も頑張ってたし、お母さんもこの上なく頑張ってた。花楓も、お父さんも頑張ってた。みんな見えない所で本当に頑張ってたんだよな。家族がそのことを共有できた。それだけでもう、ああこの家族はもう大丈夫だなって思えたし、そんな咲太を真っ正面から受け止めて、誰にも見えなくなっても一人だけ見えてる麻衣さんはもう完全に咲太と新しい家族を築いていけるなと思った。

それにしても「大人になった」ら、今後のシリーズで思春期症候群はどうなってしまうんだろうな。思春期症候群って、なんかちょっと不思議現象、SFぽい感じ出してるけど、あれって実質的にあの頃誰もが感じる心の在り方を強調したものだと思うので。自意識溢れ出すあれ。

マーロウのプリンだ! 花楓・かえでがプリン好きなの、大好きなお母さんが好きだったからなんだね…。きっと大船や茅ヶ崎(なくなった)でおっきなビーカープリンを買って一家四人で食べるのが小さい時の幸せな時間だったんだろうなあ。今後もうプリンのシーンも涙なしには見られない。お母さんの住んでる家は新横浜か小机あたりかなあ。日産スタジアムが見えたから。わざわざ横浜駅で途中下車してまで買っていったんだろう。特に花楓はずっとお母さんに対して自責の念を感じていただろうから……よかった。本当によかった。

今回の思春期症候群はちょっと僕愛君愛みがある感じの出方で、「一家四人が楽しく暮らしている世界」に行ってしまった。この上なく優しい、都合のいい世界を、だけど咲太は離れて元の世界と向き合おうとする。ランドセルガールが小学生の姿だったのも、大人と子供の対比とかがあるのかもなあ。咲太がもう「大人」に足を踏み入れているからなのかな。

理央さん、「いい女」度が増してる気がしました。やっぱ理央さんすげーかっこいい。理想の友人。理央の教室に咲太が入るシーン、黒板でプランク定数の説明してて笑いましたw しかし高2でプランク定数までやってるあの高校ヤバいな。

安易に家族の存在感の希薄さとか家族不全を出すんじゃなくて、それにきちんと向き合ったこの作品の姿勢に敬意を表したい。結末も決してまた4人で楽しく暮らしましためでたしめでたしじゃなくて、これからも4人はもがきながら最良の形を探していくのだろう。バラバラに暮らしていても今作で確かに彼らは家族になれたし、とてもリアルな家族の形という気はした。家族の問題は誰にでも起こりうるからこそ、多くの人に刺さる作品になったんじゃないかと思う。自分もそうで、自分と家族との向き合い方というものを考えさせられました。咲太だけでなく花楓や母親、父親まで、真摯な人生を細やかに描き、彼らの幸せを願う制作陣の想いのようなものを感じた。

麻衣さんと咲太はもう熟年の夫婦みたいな安心感で、今回もことあるごとに咲太を支え、また支えられているのを見て、ほんとに良い伴侶に出会えて良かったなあ、と心から思った。保障じゃなくて保証しなよ! 大学生編、楽しみです!



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・最初に断っておきますがこの映画、まだ1回見ただけで、細かいあらすじも世界設定もキャラの名前も理解があやしいです。ノベライズも他の方のレビューも全然読めてないです。何か誤認してたり見落としてたらすみません。ただ、頭はぐるぐるしていて、頭ぐるぐるする系映画は基本的に好物なので、見て良かった、と思ってます。ノベライズ読んだり2回目見たらまた感想変わるかもだけど、まずはファーストインプレッションです。

・岡田麿里監督作品をちゃんと見たのは「さよ朝」に次いで2回目です。世間の評判とか独断と偏見で、これまではなんとなくドロドロした情念の強い作風、という印象があったんですよね。実際さよ朝はその要素は強く感じましたし、本作の予告も「湿度高けぇ〜!」と思ってました。で、今回見て、確かに情念の強さ、思春期の少年少女の生々しい感情は予想通りでしたが、岡田監督はそこを超えてきたな、と感じました。いや、過去作見ればちゃんと前からあったのかもですが。ちょっと監督の印象変わりました。

・ハロワ民(映画『HELLO WORLD』同好の士)の方々から、ぜひ感想が聞きたいとか、作品世界の仕組みに興味持つならオススメとかの言葉を頂いてましたが、実際正しかったですね。世界の在り方を問う作品だということだけは察して、それ以外の前評判は一切遮断して臨みましたが、予想通りでした。こういうの、好きです。こういうのとは、要は現実と虚構に食い込む作品、第四の壁ぶち破る系作品です。

・これかなりSFですね。といっても自然科学のではなくて形而上学の。フィジックスではなくメタフィジックスの。スペキュレイティブ・フィクションとしてのSFかな。その意味では、アリストテレスさんは確かに出てこないんだけどかなりアリストテレスさんっぽいなー!というのは感じました。正直アリストテレスについては義務教育レベルしか知らないんですが、エーテルに満たされた永遠の世界だとか、何をもって「生きている」といえるのかとか(プシュケー、だっけ)とか。プシュケーの象徴かもしれない「匂い」や「痛み」が希薄な世界。「いたい」のダブルミーニングも出てきたけど、「痛み」とは何なのかとか、かなり哲学スレスレのことをやってる。

・TLでは『HELLO WORLD』との類似性を感じたという意見をよく見かけました。確かに似てます。「現実ではない世界」の住人視点の物語。ただ、方向性はかなり真逆な感じを受けました。現実も仮想もすべては等価であり優劣はないとする『HELLO WORLD』に対して、確実に「現実」が圧倒的に優位であり、善である。時がとまった見伏の街はただの「まぼろし」「まがい物」であり、しかも崩壊しようとしていて、主人公はそこから逃げたいと願う。自分は仮想世界の人間でも別にいいじゃんと思うし、現実になんて行きたくないなあと思っちゃうヘタレなので、ハロワ的世界観のほうが自分には合ってるし時宗派なのかもなんですが、まあ「痛みを伴いつつ生々しい現実に飛び込んで行く」ことが必要な場面は確かに人生結構あるんですよね。

・あの閉塞感のある見伏の町は、もちろんこの令和日本の閉塞感とも重なるんですが、たぶん「現実」に対する「虚構」「フィクション」と捉えると腑に落ちる気はしました。いつものこちらの勝手なメタ妄想ですが。どれだけフィクションが現実に近くても、完全一致はやっぱり無理で、どうしても優劣ができてしまう。レトロな時代設定(いつ頃なんだろう…平成初期くらい?)もまるで永遠に繰り返すサザエさん的時空をどこか揶揄しているかのよう。そういや映画冒頭の縦書きオープニングクレジットも往年の日本映画っぽさありました。

・佐上衛というエキセントリックな工場長的なキャラがいて、なんかもうすべてがむかつくんですがw、このカリカチュア的な大げさな言動、こんなにわかりやすい嫌われ役いるかいってくらいのクセツヨなキャラ設定も、彼がこのフィクション世界の頂点だからなんですかね。フィクションの申し子みたいな。最初こいつだけあまりに非現実的なキャラで浮いててノレなかったんですが、非現実だからそりゃそうかっていう。あと「自分確認票」ってあれ完全に創作でよくやる「キャラの履歴書」じゃないですか。まぼろし世界だから、普通そうはならんやろってことでも許されてしまうのは強い。自分確認票という制度もそうだし、中学生が車運転してるのとか(これは何か説明があったような気もする)。

・でも最後、正宗達は「俺たちは生きている」という結論にたどり着く。フィクションのキャラだろうとNPCだろうと、彼らにとってはそこが現実であり彼らなりの自我がありプシュケーがあり生きてるんだと。ハロワと同じ地平にたどり着いたようにも見えるけどどうなんだろう。あの世界は永遠の冬から解放されて開闢みたいな感じになってるのだろうか。永遠の妊婦さんもちゃんと赤ちゃん産まれて欲しい。それともやっぱりループは変わらなくて、それでも彼らは精一杯あの町で「生きて」いくのだろうか。

・で、最後、いくら現実世界が優位とは言いつつも、正宗の心は睦実のもので、どれだけ五実が上位存在側だとしてもそれだけは勝てないんですよね。それが虚構の強さ。現実側は何もできない。現実にはすべてがあるけれど、正宗の心は絶対に五実のものにはならない。

・この、ハロワと類似しつつもベクトルが正反対な感じ、デレマスの「Spin-off!」という6分の短編アニメをちょっと思い出したりしてました。
https://www.youtube.com/watch?v=LKuUDHz13Jg
ハロワの武井Pの言葉を引用します。
https://twitter.com/takei_katsuhiro/status/1193727049271132160
《映画『HELLO WORLD』で描いた〈物語の功罪〉のテーマについて、どちらかと言えばポジティブな側面を描いたハロワとは逆に、きちんとネガティブな側面も描ければと思い設定を組んだらしく、ある種ハロワの“姉妹作”と言えそうな「Spin-off!」》
モチーフ的な類似点(花嫁をさらい現実へと逃がす、バンでの逃走劇、成長が止まったキャラ、壊れる世界を修復しようとする力)とかもありますが、物語の功罪のネガティブなほうを描いているところは共通している。ただ、特にデレマスのほうは「アイマス自体が持つアンコンシャスバイアス」みたいなものに斬り込んでるのに対し、まぼろし工場はとくに世界の在り方に疑問を投げかけてるわけじゃない。見伏の在り方自体は悪じゃない。ただその住人にとっては息苦しい世界だったことは確かで、それはやはり作り手側の暴力性(この映画の作り手、ではないです! これが「虚構」だとした場合の仮想的な作り手)、創作者が持つ神以上にタチが悪い側面なんだけど、それはもうしょうがないわけで。

・虚構がもつ閉塞感と、時代が持つ閉塞感と、中学生くらいの閉塞感がすごく上手く絡み合ってる感じがしました。まだインターネットもない、家と学校が社会のすべてである時代。新しいことをやってはいけないという感覚。変化を恐れる気持ち。あの頃の自分はひたすらにアホで、自分で勝手にいろんなことのハードルを上げて、チャレンジする前から諦めてたんですよね。どうせ反対される、怒られる、馬鹿にされる、叶うわけがない、ならばやめておこう、もう忘れよう、みたいな。この世界がまぼろしでどこかに本当の世界があるんだ、みたいな陰謀論めいた厨二病にすら行き着かず、逃げ出したいとすら思わず惰性で生きてた。

・だからイラストレーターになりたい正宗、外の世界に憧れる正宗は自分にとってはまぶしい。内気そうな仙波ですら夢を持ってたし、園部や原だって想いを伝えた。そんな夢や勇気すら自分にはなかった。見伏の住人たちみたいなもんだ。ちょっと何かやりたいことができても、すぐに神機狼がそれを塞ぐ。そうやって自分で自分に勝手に呪縛をかけてた。最近ようやく「○○していいんだ」「○○があったっていい」みたいな境地に少しずつなってきたけど、たぶん死ぬまでこの呪縛は完全には解けないだろうな。

・そういう意味で、時宗や昭宗の生き方は興味深い。もちろん時宗も正宗のお母さんと新たな関係を築こうとがんばってるので、決して変化=悪と思ってるわけじゃない。ただ世界は1分1秒でも持続させようとしてて、まあ普通の大人の真っ当な考え方ではある。昭宗は描写が少なかったのでもう少し背景を知りたい気はする。あの日記とか。親から子への想いというのは「さよ朝」と近いものを感じた。主題歌にもある「未来へ君だけで行け」というメッセージ。それは正宗と睦実から五実への願いでもあったけど、昭宗から正宗への願いでもあったはずだ。いろんなものを見て、世界を知って、自分の知らないその先へ行って欲しいという願い。

・あとおじいちゃん列車動かすシーン、映画『バトルシップ』かと思ったw

・そして、1周見ただけではよくわからなくてもう一度ちゃんと見たいと思ったのが、現実世界のこと。あの、圧倒的に生に溢れた夏空と蝉時雨も強烈だったけど、現実では何か事故があったんだっけ? 正宗と睦実の娘はなんでまぼろしの世界に来ちゃったんだっけ…ノベライズ読めって話ですかね。娘を失った正宗と睦実サイドのことをもっと知りたい。こういうハロワB世界的なやつは好きなのですが、だけど今回は娘が行方不明という話なのでかなりつらい。現実では正宗はイラストレーターになれたのかとか、ラストシーンまでに何があったのかも気になるなあ(「彼女」、あそこまでにたぶん相当いろいろあったと思う)。このへんもう少し自分の理解が進むとまた違った感想出てきそうな気がする。

・もうひとつ、消えた人達どうなったん!? なんなのそのつらいシステム。現実世界との関係がどうなってるのかにもよるのかもだけど、さすがに心折れた状態で消滅してしまうのはつらすぎるので何らかの形でなんとかなってほしい。変わらぬ日常を維持するために、心に大きな変化があったら消すのだろうか。いやむしろ人が一人消えることのほうが日常の維持に破綻をきたすだろ…家族とかもショックで消えそう。入場者特典のポストカードで、正宗が仙波と園部の絵を描いてるやつ、映画観たあとに見てうわああってなった。正宗の中にあの二人の思い出が確かに、深く刻まれていることの証。でも彼らは戻ってこない…。それにしても正宗の趣味が絵というのは象徴的かもしれない。虚構の中の虚構。

・キャラについて。最初はヤバそうなやつだった睦実がだんだんごく普通の等身大の女の子になっていって。ある種のヤングケアラーだよな…。正宗のあの思春期特有の鬱々とした感情よくわかります。女子勢の心の機微はさすが岡田監督という感じ。といっても予想してたよりはエモーションを抑えめに描いてる感じはしました。自分的にはちょうどよい塩梅だった。主人公達ようやく最後に生を実感してたけど、自分からすると最初からしっかり生きて青春してるよ…鬱屈すらまぶしいよ!

・最後に主題歌の解像度すごかったですね…。とりあえずノベライズ読みます。

長げぇわw



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・とても良かったです…。ゆめみる少女とは対照的な作り。あちらがフルコースならこちらはさしずめ丁寧に出汁をとった和食のような、それでいて結構重めのテーマをすごく丁寧にじっくりと描写している。前作とは違ってほとんど思春期症候群は出てこなかったけど、花楓にとっては人生の一大事の物語。

・前作は物語構造の複雑さに力を入れていたけど今作はシンプルな作りで、その分、これまでのアニメ版ならカットされそうな日常のエピソードまでちゃんとすくい上げることで、すごくリッチな情感の映画になってる。ただ、やはりTVシリーズ履修前提という感じはした。

・TVでさんざんかえでに愛着を持ってしまっていたので、かえでのことを思い出すシーンはやっぱりちょっと泣きたくなったけど、この映画で花楓が決してぽっと出のキャラとかではなく、ある意味かえで以上に悩み苦しみながらそれでも前に進もうとする姿に、全力で応援したくなった。

・受験って十代にとっては本当に人生最大の山場で、人生のすべてが決まってしまうような錯覚がある。大人になって思い返すと全然そんなことないしいろんな進路もありうるけど、見えている世界がすごく狭いんだよな。周囲の数少ないサンプルがそのままロールモデルになってしまう。そしてすぐに周囲に流されるし、自分の希望ではなく他人の期待に応えようとしてしまう。

・だから花楓に麻衣さんやのどか、卯月やその母親から話を聞く機会があったのは本当に良かったと思う。峰ヶ原以外にものどかの高校や通信制などいろんな選択肢が実感を持って感じられるし、何より世界が広がるので。自分の受験のときは通信制なんて考えもしなかったよ。

・さすがKADOKAWA、N高のPRっぽさもあったw ただ花楓はSNSのいじめで不登校になったはずなのでネットが中心となる通信制はちょっと不安もあるけど、トラウマができてしまった峰ヶ原に通うよりはいいかもしれない。

・花楓、勉強すごくがんばっていて、ひたすら心の中で応援してた。登場人物が何かの目標に向かってひたすら勉強頑張る姿って好きなんですよね。自分もがんばろうと思えるので。ていうか2年ブランクあって普通に峰ヶ原受験できるまでスパートかけられるのすごくないか。

・でも花楓の「私もがんばるから」はつらかったなあ…ずっとあのかえでノートを持ち歩いてるのも。2年間の記憶がない花楓はめちゃくちゃ不安だったはずで、2年の空白を埋める拠り所があのノートしかなくて、かえでがすごく頑張っていたこと、かえでのおかげで今の自分と兄がいることをわかってるからこそ、かえでに縛られてしまっている。パンダのぬいぐるみやキーホルダーも、かえでのことを意識しすぎてしまってるのかもしれない。かえでの夢をかなえたいという思いがあったからこそあんなに勉強がんばれたというのはあるだろうけど。

・ただでさえ中学の頃って不安しかないのに加えて元々の外出恐怖もあるから、願書出しに行くときの不安げな感じとか勇気を振り絞ってる感じが、見ていてこっちもなんかすごく緊張してしまうくらいだった。観客は何もできず見守ることしかできない。

・だから咲太が頼もしかったなあ。こっそり通信制の説明会に出るけど、決してそれを押しつけずに花楓の希望を最大限に尊重し続け、つかず離れずそっと見守っている。過度に期待やプレッシャーをかけず、本人が納得のいくように選択をさせて、だけどその選択肢を広げてやる努力、万が一の場合にも救いを用意しておいてやる陰の努力は惜しまない。なんかもう、理想の保護者じゃん…。受験日の朝ご飯を作る丁寧な描写から伝わってくる心情とか。

・保健室のシーンはとてもつらかった。自分だったら立ち直れない。完全に人生終わった気分になると思うし、「もう一人の私のほうがよかったんでしょ」って言われる咲太もショックだっただろう。あれは観客に向けた台詞でもあったかもしれない。かえでのことが忘れられない自分に対しての。だからショックだったし、あれでぐっと花楓がいとおしくなってしまった。巧いなあ。作者が。

・結局峰ヶ原も定員割れで合格になったけど花楓は通信制を選んだ。どちらが最適解かとかはわからないけど、でも花楓が自分の意思で選んだ意義は大きい。それは決してかえでを否定する行為ではない。かえでの夢をなぞって生きようとしなくていい。ゆめみる少女で描かれた自己犠牲を本作は優しく否定している。他人のために生きるのも美しいけど、万事がそれではいけないんだよっていう。

・自我が確立してないころって自分の欲求と他人の欲求があいまいで、親や先生や周囲の期待がそのまま自分の夢になってしまう。○○高校に行って欲しいという周囲の「空気を読んで」、それが自分のやりたいことだと錯覚してしまう。周囲も喜ぶし、ラクなんだよな。だけど自分を押し殺して行動原理を外部に求めてしまうと、後々けっこうそれをひきずることになる。そして行き詰まった時には他責思考になるし、結果すべてうまくいったとしても自分で選べなかったという無力感だけはいつまでも残る。自分がそうだった。だから花楓は、自分で自分のやりたいほうを選べたということに自信をもっていい。なかなかできないよ、あれ。

・忘れていた受験の頃の心理をなんか少し思い出したなあ。そして当時はまったく見えていなかったし自分だけががんばったように思えていたけど、いかに周囲に「受験生を見守る視線」が溢れていたのかようやくわかった。咲太はもちろん、お父さん、麻衣さん、のどか、卯月とお母さん、カウンセラーの先生、峰ヶ原の先生や事務の人までも、そっと応援してくれていて、進路という正解のない問いに対して向き合ってくれていたんだなあと。

・今回TVシリーズから1ヶ月かけて一気に見たわけですが、多くの人は前作と今作の間に数年があるわけで、だいぶ感慨違うだろうな。ランドセルガールも気になりすぎるので公開が楽しみです。



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・すごい。いや、すごい。すごいものを見た。あのハイクオリティのTVシリーズすら軽々超えてきた気がします。フォロワーが口を揃えて「いいからとにかく見ろ!!!!!!」と言ってた理由わかりましたわ……。はい、自分こういうの大好物ですわ……。世界線を何重にも編み上げた、すごく良く出来たSFミステリ。何度もどんでん返しをお出しされて翻弄される感じ、鑑賞後「????」って頭と情緒がめちゃくちゃになる感じ。最後にすべてがつながって、2周目以降見え方が変わるやつ。記憶と観測と消えゆく存在と託す想い。自分の好きな要素が全部入っていて「は???」ってなりました。

・序盤で、実は翔子さんがもう死んでいるか死期が迫っていて、大人翔子さんはすべてを知ってる存在なのだろうなーというのは気づいたけど、甘かった。まさかそこから咲太が死に、麻衣さんが死に、さらにそれが阻止されて、予想もつかない結末になるとは…。TVシリーズ通してキャラへの愛着が高まったところでおもむろにこれ出してくるの、完全に制作陣の手のひらで踊らされてる。

・原作の時点でめちゃくちゃ良く考えられてますね。1回見ただけだと、ちゃんと理解できてる自信がまったくないので、全然違うこと書いてたら指摘してください(ハロワも5回くらい見て解説読まないと理解が追いつかなかった老害バカ野郎なので)。たぶん2割くらいしか理解できてないな。

・今回、思春期症候群が強すぎてLV99くらいになってる。古賀回と似てると思ってよいのかな。すべては翔子ちゃんのシミュレーションだった?? ただしそのシミュレーションの中では、未来から来た云々は起こっている? バニー咲太(語弊)が咲太を突き飛ばしてるってことはそこで因果律が破られてるしある意味夢の中では何でもありというか……いっちょんわからん……。この作品、わりとそれぞれの語り手の言ってることが信頼できなくて、言葉と想いが一致しないので…。何か見逃してるかな。原作読んだほうがいい??

・ただ、たぶん確実なのは、これまで咲太の前に現れた大人翔子さんの経験を翔子ちゃんは夢と認識していて、だから大人翔子さんとそれを経験したICU内の翔子ちゃんはすべてを知っていた、のかな。だからこれまであんなに達観してたのかな。

・ありがとう、がんばったね、だいすきという3つの言葉、咲太は翔子さんから教えてもらったけど翔子さんは咲太から教えてもらった?? だとしたらこういう円環好き。循環参照。

・特殊相対性理論が出てくるけどここがよくわかってない。大人になるのを拒んだから周囲の時間がゆっくりになったのか、それとも大人になることを望んだから大人になったのか。周囲がゆっくりになったらむしろ浦島太郎的に幼い姿のまま未来に行きそうな気もするので…。いや、違うか、中学生翔子ちゃんが浦島太郎的に先に未来に行ったから未来を知っているのか。どっちにしても片瀬江ノ島駅の駅舎が竜宮城なこととの絡め方がうますぎませんかね。

・量子複製不可能定理的な、二人の同一人物が同時に存在できないやつって物語の選択の一回性と相性いいよな

・咲太さあ…なんで麻衣さんと生きていくと決心したのに、また翔子ちゃんのために交通事故に自分から遭いにいくんだよ……残される麻衣さんのことを考えろよ……翔子さんだってそんな未来を望んでないからこそ過去を変えに来たんだよ……。誰も喜ばないよ。何やってんだよ……。このへんちょっと咲太の行動が冷静さを欠きすぎていてぐぬぬってなるんだけど、でもその迷いも愚行も含めて、咲太の優しさであり弱さなんだよなあと思った。これまでわりと出来過ぎ超人だった咲太の等身大の弱さ。

・咲太が死んで心臓が翔子さんに移植される未来、それを阻止しようと麻衣さんが死んで心臓が移植される未来、そしてそれを阻止しようと咲太が咲太を突き飛ばし翔子さんは移植を待たずに死ぬ未来って……なんという鬼畜な選択肢だよ。これを選ばせるのかよ。咲太が廃人同然になってる一連のシーンがかなりつらかった…

・麻衣さんの心臓を持つ翔子さんは、それまで出てきた咲太の心臓を持つ翔子さんとは別なのかな。麻衣さんが死ぬことで生じた分岐先の翔子さん?? まあ、どちらの翔子さんにとっても自分が生きながらえたその世界線こそが正史なのに、それを捻じ曲げて、優しい両親を悲しませてまで、自分が消えてまで、咲太を少しでも「麻衣さんルート」に近づけようとする。きっと、よほどつらい思いをしてきたのだろうな。結果論であるとはいえ、好きな人の命を、あるいは好きな人の生きる希望を奪って自分が生きながらえていることが、許せなかったのだろう。

・咲太も翔子さんも麻衣さんも自己犠牲しすぎるんだよ……自分の命で誰かを救えるのならそうしたいという気持ちはわかる。わかるんだけど残された方とそれで命を救われた方は地獄なんだよな…

・過去の自分が物分かり悪くて説得しようとしても反発されるパターン、過去と未来の自分が戦う構造、好きですね…。麻衣さんが死ぬことをちゃんと伝えれば考え直してくれそうな気もしたけど、そこはまあ、その後の劇的な突き飛ばしへのつなぎということで…

・全てを忘れて咲太と翔太が出会わない世界をやり直すやつに弱い……。開闢…。結局ラストの咲太は夢の中でしか翔子さんと会ってないけど、夢で会えたからあの高校に入学できたのか。

・ラスト、そこには元気に走り回る翔子ちゃんの姿が……!(テレビ特捜部)なんだよ全員救ってるじゃねーかよ…翔子ちゃんは結局移植を受けられたということなのかな。

・全員がハピエンの大団円、のように見えて実はラスト翔子ちゃんに心臓を提供したドナーがいる(たぶん)、という事実が楔のように心に刺さっている。もちろんドナーはドナーカードで自ら臓器提供の意思を示しているはずだし、決して「翔子ちゃんのために犠牲になった」わけではない。ご家族も納得はしたうえでの提供なのだろう。——だけど、同じ境遇に遭い、一人残された咲太の抜け殻のような姿を見たすぐ後だと、そこにどうしても割り切れないものを感じる。語られてないだけでドナーと周囲の人々にもきっと咲太に負けない深い物語があり、それぞれの想いがあったわけで、彼らは咲太たちのように運命を変えることはできなかったんだよな……。難しいな。臓器移植について回る永遠の課題ですね。なのでやっぱり早く人工心臓か自分の細胞から心臓作るやつが早く実用化して欲しいです。

・あとやり直した小4の翔子ちゃんはそれまでのことを全部覚えているのか? だとしたらあの年であれだけの人生経験積んで達観している小4つよすぎる…幸せになれよ…

・花楓、髪を切ったということはおでかけシスターのあれは花楓なのか…まあそうだよな…かえでに会えないのは寂しいけど花楓もがんばってるな

・双葉出てくるとなんか安心する。恋愛とかそんなものを超えた二人の関係性が好きだ。

・結局全員がゆめみる少女であって、しかもその「夢を見ない」って深いな…。トロイメライ。元は電気羊のオマージュだろうけど青春ブタ野郎は〇〇の夢を見ないということは、夢ではない=現実であるということと、夢すら見ない=観測せず実在しないということを両義的に表してる気もする。でも嘘も現実も真実。

・花丸、かえでのときも出てきて泣いたけど今回も出てきて泣いた。翔子ちゃん、がんばったね……

・これ、たぶんかがみの孤城か好きな人は気にいるんじゃないかと思う。あと君愛。あとすずめの戸締まり。どれも因果の構造がよく似ている。要はこういうの好きですわ

・毎回鳩サブレー出てくるのいい。森戸海岸もちょっと胸熱だった。

・とにかく原作読みますわ。たぶんよくわからなかったところが書いてあるんだと思う



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かえで……!!!! こんなん泣くやん……! かえで編、すごかったです……

・かえでの過去ずっと気になってたんだけど、まさか記憶を失っていたとは……ずっとお兄ちゃんにですます調で話すのも、お兄ちゃんをあんなに慕うのも、パンダが好きでちょっと子供っぽいのも、「そういうキャラ」なんじゃなくて、すべて理由があったとは。すごい、なんだこのすごすぎるプロット。一種の叙述トリックじゃん。2周目からもう完全にかえでシーンの見え方変わってくるやんか。1話からのかえでシーン全部泣く自信ある。

・今回の思春期症候群はいつにも増して双葉的解釈は弱めで、咲太にも「また観測かよ」みたいなことを言わせていて、現実に起こりうるギリギリのところを攻めている。全編通して、本作のこのスタンスが好きだ。すべてを量子力学でガチガチに説明してやろうなんて野暮なことはしない。思春期の肥大する自意識が引き起こす「気のせい」なのか、不可思議なファンタジーなのか、科学的にありうる事象なのかははっきりとは語られず、だけど本人たちにとっては紛れもない現実で、主観が紛れもなく現実世界を形作る、それができてしまうのが思春期という時代なんだと思う。それにしても麻衣さんにも相談できないことを相談できる双葉、本当にいい友達を持ったな咲太。

・かえではもちろん、花楓も、咲太も、父親と母親も、壮絶な体験をしてきていたのだな……。母親が壊れてしまうのも、その母親を案じて父親が別居してるのも、ただの都合よいラノベ設定じゃなかった。重い。そこであんな風に翔子さんに優しくされたらヤバい。翔子さん名言連発しすぎる。「見える世界は人の数だけ存在している」

・かえでという人格、いきなり記憶喪失で生まれて、周囲はみんな花楓のことを見ていて、かえで自身はわからないことばかりなのに自分が望まれていないことだけはわかって、不安でつらかっただろうな。咲太だけが「かえで」のことを見てくれて、受け入れてくれた。引きこもっているのも「花楓」の世界に向き合うことが怖かったからなのかな……

・花楓の記憶が戻った朝の演じ分け、鳥肌立った。視聴者はずっとかえでのことしか知らなかったから、もうかえでには二度と会えないという事実は胸が締め付けられた。雨の中の咲太の慟哭がひたすらつらかった。こんなのってあるかよ。別居していた父親はこのつらさわからないだろうな…。

・自分がいつか消えてしまうことを知っていたから、時間がないとわかっていたから、だからあんなに性急に、目標を立てたんだ。自分が消えたら咲太が自分自身を責めるとわかっていたからこそ、外に出る恐怖をぐっと我慢してまで、咲太の後悔が少しでも軽くなるように思い出を作ったのか。健気すぎる。かえでの日記ガチ泣きするやつだけど、あの日記こそが、かえでが確実に存在した証。かえでの2年間の軌跡が詰まったノート。ダメだ、こういうのに弱い。麻衣さんや双葉やのどかとの出会いのエピソードがかえで視点でフラッシュバックするの、TVシリーズの総仕上げとして完璧すぎるだろ……。1−3話の麻衣さん編でも忘れられゆく存在とノートの日記が重要な役割を果たすから、最後にまた円環が戻ってきた感ある。天才か。

・新幹線で金沢行く咲太エピソード良すぎる。かえでエピだけでお腹一杯なのに、ちゃんと咲太と麻衣さんの王道展開も描写するの、どうやったらこんな完璧な最終回が作れるんだよ。

・かえでは消えて花楓が戻ってきたけど、花楓も元気に見えてやっぱり学校が怖くて、それでも学校に行こうと決心しているところは花楓もかえでも同じで、そして花楓がそう思えるようになったのは確実にかえでの日記を読んで、自分が一人じゃないことを確信できたからなんだろうな。かえでは花楓のことも救ってくれた。花楓には咲太がいて、中学の友達もいて、麻衣さんやのどかも彼女のことを応援してくれていて、きっと花楓はもう大丈夫。大丈夫にしてくれたのはかえでなんだ。

・だけどやっぱり、またかえでに会いたいと思ってしまっている自分がいる。

・最終回のEDの入り方神すぎた。

・いやあ、すごいアニメでした。原作自体がおそらくめちゃくちゃよくできてるんだけど(読むつもり)、それを1クールに過不足なくまとめたシリーズ構成と脚本が神だと思った。横谷昌宏さんという方なんですね。すごい。こんな完璧なTVシリーズ見たことないです。

・翔子さんの謎はゆめみる少女で明かされるのか……? そしておでかけシスターのポスターにいるのは……どっちなんだ……めちゃくちゃ気になる。



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