1回鑑賞した状態での感想。
少しもやもやした部分についても書くけど、かなり誤解や見方の浅さによるものだとは思う。申し訳ない。2回目観たらまた違うかもしれない。
まず、絵作りがめちゃくちゃスタイリッシュで超かっこいい。キービジュからも感じてはいたけど、それが動いて音が着くことの気持ちよさ。特にライティングの美しさが白眉だ。空気感、影の色の付け方。まさに空気遠近法とかもがっつり使ってて、なんというか、この作品全体がまるでMVみたいだ。MVのアニメって普通の商業アニメとは何か違う雰囲気を感じるんだけど、あのインディーズ的な感じが全編を貫いていて、それがこの作品のテーマとよく合っている。
特に良かったのはMV制作シーン。ポンポさんとかバクマン。(実写)とか思い出したよね。かっけー! あんな風に自在に作れたら、きっと気持ちがいいだろうなあ。何かを思いついて、うおおおってなってのめり込んで作っていく感じ。すごくわかる。
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以下、物語についてつらつら考えたことを正直に書く。
自分はいわゆる「創作に打ち込む」系の作品は結構好きだ。それは、自分が創作に強い憧れを持ちつつ適性が全然ないというコンプレックスの裏返しでもあると思う。
本作も、創作に賭ける若者達の青春劇として、作り手の情熱は十二分に感じられたし、まさに創作を志す人たちへのエールになっているなと感じた。
でも、なぜか、「ああ、創作に対する姿勢は、自分とは少し違うな」と感じた。いい悪いとか正しい正しくないでは決してない。こういう向き合い方があるんだ、という気づき。それがすごく新鮮で、面白かった。
彼方も夕も、「自分の作ったモノで誰かの心を動かしたい」のがモチベになっている。特に夕はまず「先生の歌にMVをつけたい」がまずある。どんなMVか? はこの時点では浮かんでない。先生のこんなに素晴らしい曲を知って欲しいという想いがあるだけだ。
それをみて、ああMVの本質はエールなんだな、と思う。曲を聴いて何か強烈に表現したいことや映像が浮かんだ、という順番じゃない。あくまで「エール」が先で、自己実現や自己表現はおそらく二の次だ。そうだ創作にはこういう側面もあるんだとハッとした。応援動画、応援イラスト、そういった文化は確実に00年代以降のサブカルを牽引してきたし、その文化は誇るべきものだと思っている。ただ、これは完全に好みの問題だけど、自分はやっぱり何かを表現したいという強烈なエゴに突き動かされた創作者に惹かれる。自分がすごく利己的な人間である証左なんだと思う。
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個人的には、すべての創作は、作者の手を離れたら完全に受け手に委ねられると思っている。受け手には解釈の自由、誤読の自由がある。だから、彼方が最初に「未明」を聴いて浮かんだ塔に挑む女の子のイメージは尊重されるべきだと思う。たとえどれだけ作者の意図と違うものを受け取られようとも、それは確かに彼方が「心を動かされた」結果であり、「夢を諦める」というビジョンを作者である夕は強要することはできない。解釈違いを出されたら「うん、そういう見方も面白いね。ありがとう」とにっこり笑って返すのが、たぶん良く出来たクリエイターの作法だ。
夕はそれができなかった。彼方と同じく夕もまた表現者として経験値が足りてないというのもあるけど、それだけ夕は彼方を信じてしまっていたのだろう。自分の鬱屈した感情を理解してもらえると思ってしまっていたのだろう。だけど「受け手の解釈の自由」に先に気づいたのは彼方のほうだった。友達のバンドのMVを作ることで、「違う見方」を示すのもまたMVの力だと気づく。そして夕のイメージに一見寄り添った動画を作りつつ、最後のメッセージは違うものにしてみせた。彼女へのエールだ。他者への応援と自己表現のせめぎ合いの中で見いだしたギリギリの解なんだろうと思う。スマートなクリエイターの理想形かもしれない。なるほど、すごいな。
でも自分はやっぱり、最初のMVも評価したいと思うし、ちゃんと見てみたい。そう思うのだ。
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スマートといえば、彼方も夕もトノも、すごい才能とそれを形にするスキルがすでに備わっている。MV制作シーンで彼方が見せる才能とスキルは、自分にとってはもはや神だ。もちろん、そこに至るまでには大変な努力があったのだろう(トノのスケッチブックはそれを物語っている)。だけど、この作品はその過程にはあえて踏み込まず、すでに十分な実力を持ったクリエイター達が、外的要因で夢を諦めざるを得ないフェーズを描いている。
自分はそんな境地に立ったことがない。自分が知っているのは何も生み出せない苦しみだけだ。誰かの心を動かしたいなんてとんでもない、それでも、誰に見られなくとも何かを作りたい、いや作った気になりたい。そのレベルだけだ。だから彼らのような雲の上のクリエイターにもこんな悩みがあることもまた新鮮だった。自在に作品を作れるようになると人は他人の心を動かしたくなる、自分の作品で他人を応援したくなる、だけど自分にそれだけの力があるからこそ、それを手放さなければならないことへの苦悩。神の苦悩だ。でも彼らにとっては確かに身を切るような絶望なのだ。
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個人的にモヤモヤしたのは、夕が夢と現実を二者択一で考えてることだ。プロのミュージシャンとしてやっていくか、音楽を諦めて教師として生きていくか、の二択なのだ。もちろん、教師をやりながら趣味や兼業で音楽を続けていく、みたいな選択肢に甘んじたくないという気持ちは若さの特権だし、理解はできる。だけど、夢を忘れた大人として野暮な発言をさせてもらえるなら、やっぱりある程度音楽で食べていく目処がつくまでは生活の安定は重要だし、いくら彼女の曲が好きでも「君は仕事をやめてミュージシャンになるべきだ」みたいな無責任なことは言えない。はっきり言って、なれない可能性が圧倒的に高いからだ。彼女なら仕事帰りに(教師なので本名で同じ市内で芸能活動するのはかなり無理ありそうだけど、割と放課後は暇っぽいので)ライブやるとかから始めて少しずつ売り出していったほうが……うん、野暮だな。野暮で無粋なことを言ってるのはわかってる。夢を諦めない姿勢が大事なのはわかる。彼方の気持ちもわかる。だけど、自分は彼女がこのまま突き進んでもうまくいかないと思えてしまうのだ。彼女には才能があるからこそ、もやもやしてしまう。
そして逆説的に、トノにも同じことを感じた。人知れずもがき続けるトノは主要メンバーの中で一番共感を覚えたキャラだ。彼も美大を諦め、スケッチブックを捨て、受験勉強を始める。高校生の狭い視野なら美大かそれ以外かの二者択一になってしまうのはよくわかる。その辺のリアリティはすごい。だけど自分としては、トノにはただの夢破れたキャラクターで終わってほしくない(彼方の最後のMVにも昇華されてはいたけど)。彼にも何らかの救いは欲しかったし(見落としてるだけかもだけど)、いくらでもそれは実現できる。受験終わったら絵を再開してほしいなあ。
とはいえ、彼らレベルになるともはや趣味で何かを作っているというのでは満足できないのだろう。彼らはもはや、作りたいから作るという次元をとっくに超えている。クリエイターのエゴを彼らは超越している。誰かの心を動かしたいから作る。そして実際に彼らはそれができるだけの実力があるのだ。夕の音楽は彼方を動かしたし、彼方のMVは夕を動かした。さて、誰かの心を動かす力を最大化するには、仕事の片手間になんかできない。本業として取り組む必要があるのだ。明快だ。その高みまで手を掛けられる彼らにしか見えない景色と苦悩がある。これはきっとそんな物語なのだろう。
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最後に、金沢市と羽咋市が舞台になっていたことが印象的だった。恐らく偶然なのだろうとは思う。だけど本作はまさに、金沢市と羽咋市に対する確かなエールになっていると感じた。