この能きのエピソード、原作だともっと前にやっていなかった…?原作でちらっと見た能きの字と扱い、身体に沿った能きが美しいという繰り返される描写、これが猿楽を能にしていくのだろうか。農作業で鍬を振り下ろす動作が人の身体に沿った能きなのかは正直よくわからないが…まぁ長い時代をかけてあの形になったということは、身体とリソース制約から到達した最大限自然な姿は確かにそうなのだろう。能は、機能的な美をベースにしているものなのか?人間の環境的・知的変化が大きすぎて、身体がそもそも適した動作を、やりたいことに最大限沿った機能的動作は乖離しているように思うのだが…どう扱っていくのだろうか。実際の能は、こうした身体に根差した動作を抽象化しつつ、そこから芸能として美を感じさせる型や動作へと洗練させていった、ということらしいが、抽象化すればするほど芸として面白くなるわけでもない。このあたりをどう能の成立と結びつけていくのかは気になるところ。いずれにせよ、鬼夜叉の発見や試行と能や世阿弥の芸能論を結びつける描写の片鱗にはなっていた点を評価したい。
花の御所は烏丸・室町今出川にあり、新熊野神社は東大路の七条南にあったのか。どっちも最近行ったが、結構遠い。あの距離で相互に離れているのなら、鬼夜叉の動きが観世座と連動していないのはわからなくはない。あそこが花の御所だから、花がフィーチャーされているのだろうか。そして逃げ若でさんざん見た南北朝の動乱、最終的にこの後義満が治めるのだな。この時代はまだ動乱の最中であることを考えると、新座の動きもある程度は理解できる。