神回にも程がある。しびれた。何という聖杯戦争の収束。いや知ってたけど、それでもすごい。
エクスカリバーも無限の剣製も、セイバーもギルガメッシュもアーチャーも散り際がかっこよすぎた。
偽物が本物を凌駕する、自分の存在が偽物でも理想を抱くことは否定され得ない、という士郎の結論は、サルトルの実存主義「実存は本質に先立つ」に似ていると思う。この実存主義は、人間は本質(意味や目的)を定義した上で生まれてくるものではなく、まず生まれた本人(実存)が生きていく中で、自己存在の本質や生きる意味を作っていくものだという考え方で、衛宮士郎が偽物であっても理想を持ち続けていくことを肯定するのとほぼ同じだと思う。
サルトルが「人間は本来無であって、無の中から立ち現れてくるのが人間である」と言ったことと、士郎が「あの炎の中で切嗣に助けられた時、俺には何も無かった」と言ったことはリンクすると思う。そこから士郎がいかに自己形成してきたか、それがこれまでは切嗣から借りた借り物の理想だったわけだけど、その借り物はもう士郎自身のものになっていると言っていい段階にあると思う。