13歳の少女を背後から抱きしめて「放して!」と言われるおっさん(クライ)……事案だw
「これが私のなりたい野乃はなだ!」は痺れた。それこそが内なるコアを持った自己の形成、確立。傍観者たるクライにはそれがなく、だから厭世観に浸り理想を否定し、自ら悲観的な夢想に溺れていることに気づかない。「すべて消え去れ!おろかな人間達!」というセリフにクライの当事者意識の無さが集約されていた。ペシミストには当事者意識がなく、自分では何もせず世界を傍観する内に絶望を見出す。
そして、老若男女、人類皆プリキュア……そう、プリキュアはそれぞれが「なりたい自分になる」、あやふやでも不安定でもない、確固たる自己形成による希望の象徴。
そして、最後にクライに寄り添い彼の魂の底に眠る希望の種子を見つけ出し、導くキュアエール……「未来を信じないのになぜいつも私に『またね』と言うの?」はシリーズ屈指の名台詞かと。
このシリーズは、人間が陥りやすい心の闇を敵に反映させて描くことに力が注がれていて、プリキュア史上最も哲学的強度の高い作品になっていると思う。