ジョージVSエール、これにて決着。
これまでの「私のなりたい野乃はなじゃない!」がここでついに「これが私のなりたい野乃はなだー!!」になったのエモい。
「みんなみんなプリキュアなんだ!」ってほんとに老若男女みんなプリキュアになるとはw応援する強い気持ちが、みんなをプリキュアにさせたのか。文字通りの「みんなでトゥモロー」だった。トラウムさんのフォームはあれでいいのかw
崩れ行くクライアス社社屋で肩を並べるジョージとエールのシーンがよかった。「またね」のくだりとか(ToT)ラストの朝日が、OPで毎回見てる朝日と同じで感慨深かった。
13歳の少女を背後から抱きしめて「放して!」と言われるおっさん(クライ)……事案だw
「これが私のなりたい野乃はなだ!」は痺れた。それこそが内なるコアを持った自己の形成、確立。傍観者たるクライにはそれがなく、だから厭世観に浸り理想を否定し、自ら悲観的な夢想に溺れていることに気づかない。「すべて消え去れ!おろかな人間達!」というセリフにクライの当事者意識の無さが集約されていた。ペシミストには当事者意識がなく、自分では何もせず世界を傍観する内に絶望を見出す。
そして、老若男女、人類皆プリキュア……そう、プリキュアはそれぞれが「なりたい自分になる」、あやふやでも不安定でもない、確固たる自己形成による希望の象徴。
そして、最後にクライに寄り添い彼の魂の底に眠る希望の種子を見つけ出し、導くキュアエール……「未来を信じないのになぜいつも私に『またね』と言うの?」はシリーズ屈指の名台詞かと。
このシリーズは、人間が陥りやすい心の闇を敵に反映させて描くことに力が注がれていて、プリキュア史上最も哲学的強度の高い作品になっていると思う。
崩れ行く永遠の城でクライを救うプリキュアに、永遠があるという城と世界の果て、ウテナから続く戦闘美少女の系譜を感じてならない😭
ありがとう…はな…
本日の夜実況。
ラス前回は実質的最終回という、ここ数年の傾向通りの回。最高の要素と最低の要素が同居し、それらが悪魔合体した、とても評価に困る回だった。
仮に「良い」にしたが、全てに納得しているわけでは決してない。
川村女神自らが作監しているだけあって、特に全編にわたって登場していたキュアエールの作画が素晴らしい。
最後の「フレフレわたし」は、確かに心に響くものだった。自分を肯定した結果、どんな大人になりたい(なれる)のかをもう少し具体的に聞かせてほしいと思っていたので、ちょっと食い足りないかな。
社長の真の動機は、「嫁を取り戻したい。取り戻すことが出来ないのは分かっているから、次善として時を止め、不幸な未来そのものを封印してしまいたい」といったところだろうか。
最後まで社長の本音が語られなかった以上、これは想像にすぎないけど、嫁への想いという人間的な感情だけでも明かされていれば、社長への印象はまるで別のものになっていたと思う。
そうであったら、私怨が動機だった小悪党などとは決して言うまい。小悪党という評自体は事実であっても。
戦いの幕引きとなった「みんなプリキュア」。42話のキュアアンフィニを生んだ現象が、全世界規模で起きたと解釈できる。資格問わず、全ての人がプリキュアになってしまった様に見える。
自分を肯定できず「なりたい自分」になれない人も多いと思うが、そんな者たちでもプリキュアになれた?そもそも「プリキュアになるにはプリハートとミライクリスタルが必要」という設定がこれ以上なく豪快に放棄され、まったく言葉もない。
ここまでは百歩譲ったとしても、ダイガンにもプリキュアの資格が与えられた事実がある。これは「意志が弱く容易に人を裏切る悪人でも、プリキュアになる資格がある」という、真逆のメッセージになってしまっている。
社長イケメンすぎ
というか展開が乙女ゲー的な
これで時間止めてたらはなにも会えない未来になるけど
それでもはながいる今だけを欲するとかものすごいメンヘラ
愛が重い
まさかの両親プリキュア変身
あとえみる兄はそれでいいのか
正直ハグプリは途中だれたけど
これ幼女向けじゃなかったな
感動のシーンのはずが笑ってしまうね。プリキュアはそれでええんや!
クライアス社は、トラウムと立ち上げたベンチャーだったとか?