史実ではこの時の合従軍と秦の戦いの内容は不明。函谷関の戦いでは合従軍の総大将が楚の考烈王、総司令を春申君、蕞の戦いでは合従軍の総大将が龐煖とし、どちらも秦軍側の将も兵の配置も不明で、戦いの結果しか分かっていない。ちな、秦の左丞相、昌文君は元は楚の考烈王の弟で人質として秦に入った。昌平君は昌文君の甥。
キングダムでは今回の合従が秦国最大の危機のように描かれてるっぽいけど、史実ではたぶん政の祖父の代の合従の方が大規模で厳しかったと思う。キングダムで言えば六大将軍の時代。
次回は早々に函谷関の戦い。史実で詳細不明なだけに、どう描かれるか楽しみ。