貴族の尊厳は、フランス革命においては民衆の蜂起によって灰燼に帰した。名誉や誇りは、本当は所与のものではない。人々との関係性において生まれ、自己の内面において育まれるものだからだ。また、愛国心は帰属意識から発出して育まれるものであり、ディートリヒ伯爵はこの2つの根本を思い直したのだと解釈できそう。
もし、本当に貴族の尊厳を重んじるのならば、平民の過失による不敬を責めて処刑などという行為は、逆に尊厳を貶めることになるし、私的な権益を得るための処刑であっても同じことだ。貴族の尊厳があるとすれば、それは人々の信任の上に成り立つべきという考えに立脚している方が望ましい。
ノブリスオブリージュは器の大きさでもある。
大商会の頭取ヨーゼフさん来訪で、大どんでん返しになるのは草。
隣国は民主政の大国で、封建制のヘルツ王国よりも遥かに栄えているようで。それは、身分の別なく遍く国民一人一人に生きる権利と尊厳が与えられているからだろう。封建制国家の経済規模が小さいのは、富が支配階級に集中し、国民全てが富める道が閉ざされているから。産業革命は市民革命無くしては生まれ得なかったと言える。
佐々木はもう、商社マンとしてめちゃ優秀。
プランを幾つも用意していて、最終手段がピーちゃんによる実力行使だったようで。
暴力を使わずに組織や国家間の問題を解決するのは、とても手間が掛かるけれど、とても大切。