北条時行を主人公にするとは目の付け所が渋い。
時行は鎌倉幕府滅亡後、足利尊氏と敵対し、鎌倉を三度も奪還した稀有な武将。三度とも尊氏自らの出陣により奪還されたかと思うけど、幾多の戦いにおいて敗戦が少なく、しぶとく生き延びて挙兵を繰り返したのは史上類を見ない特徴かと。三度目の奪還の後、捕らえられ僅か25歳にして処刑されたとされるが、伊勢に逃亡して定住、戦国時代の後北条氏(北条早雲)の祖となったとか、幕末の松平春嶽に仕えた横井小楠の横井氏の祖となったとか、或いは諏訪の幾人かの巫女との間に子を成してその子孫が今も残るなど、数々の伝承がある。
北条時行が何度も蜂起できたのは、鎌倉幕府が虚を突かれて突然滅亡したために、北条氏の勢力圏が諏訪や東北など各地に残存し、後醍醐天皇よりも長年北条氏と深く関わって来た足利氏の裏切りへの反感が多かったためと思われる。鎌倉武士は忠義も倫理観も薄いと言われがちだが、後世の武士のそれとは異なるだけで、無かったわけではない。鎌倉も後期になれば、御恩と奉公の期間が長い氏族ほど主家への帰属意識を強く持つのが武家の社会通念になっていたとされる。逆に言えば、奉公が短ければ主家を鞍替えしても咎められなかったことになるが、北条を裏切った足利氏は当時の武家社会の倫理観を破ったと言える。また、北条時行は後に南朝方に付いたこともあり、後醍醐天皇に対しては恨みを持たなかったというのが通説になっている。時行が父高時が執権政治の弱体化を招いたことを認めていたためとも言われる。
ちな、天下五剣に数えられ、時政以来執権北条氏が代々所有して来た名刀鬼丸(現存)の最後の継承者は北条時行とされている。こういう数々の由緒からも物語性の強い人物だとは思う。