Annictサポーターになると広告を非表示にできます。
とても良い

どうやら貞宗の綸旨は本物だったようだけど、京に群がる武士達が恩賞欲しさに嘘を言って綸旨をもらおうとするから、帝(後醍醐天皇)は領地召し上げを限定したようで。史実では諏訪氏は時行を担ぎ続けたので、結果的にお咎め無しとは行かなかったが、この段階だとそういう留め置きもあったかもしれない。

ナレーションにあった通り、忍びが登場する最も古い史料は太平記で、巻二十「八幡宮炎上之事」に見える。高師直が男山(京都市八幡市)を攻めた際、山頂付近にあって守りの堅い岩清水八幡宮に忍びを潜入させて火を掛けて敵を大混乱に陥れた話が記されている。
今回の玄蕃の火計はこのエピソードを元にしているように思える。玄蕃は盗人とされてるけど、幻術や偽計を得意とする辺り、明らかに忍者の原型かと。

それにしても、逃げる時に一番生き生きする若君、良いなぁ。逃げる才能がピカイチっていう主人公、改めて斬新だ。

護良親王は後醍醐の皇子にして武辺の勇ましい皇族。討幕の際は自ら兵を率いて活躍したが、皇族ゆえに有力な武家との縁がなく、兵力の基盤は下層の武装した僧やあぶれ者が大半だった。ただ、早くから尊氏の台頭を予見し、父・後醍醐天皇に何度も尊氏討伐を上奏していた。が、後醍醐天皇は尊氏を恐れていたため、尊氏を遠ざけずに傍に置いた。護良親王は征夷大将軍に任命されたが、これは武家が幕府を開くのを防ぐためで、また、御家人が廃止されたため、力を持たない名誉職のような形になった。その後、北条時行が鎌倉奪還などで動き始めると、時行が護良親王を擁立するのを尊氏は恐れ、護良親王を捕えさせ殺害、首を刎ねた。この頃、これを止める力は後醍醐天皇にはなかった。

尊氏がこの回で描かれる程に化け物じみた武力を単独で持っていたという記録はない。が、不思議な人望があり、先陣を切って戦場を駆けた武将なので弱くはないが、時には敵を攻めあぐねたりもしつつ、のらりくらりと勢力を持ち続けて立ち回り、将軍に登り詰めた異色の武将と言える。信長や秀吉、家康のような圧倒的な天下人とは異なる掴み所の無さがある。幕府を開きながら朝廷が南北に分裂したのも、その所以かと。



Loading...