観客がのめり込むほど演者が見えなくなる。
演者を通して見ていた情景や人がそれだけになっていくか。
知っている噺だからこそ観客もその噺に耳を傾けやすい。
話に入り込むとそういう感覚になることあるんだろうなぁ。落語はそう多くは見ていないからそこまでのものになったことはないかもしれない。
まぁ落語に限らずアニメや演劇なんかでもそうといえるけど。
当日なぜ母親に自分の名前が何故あかねなのか?を問うた意味もここで。
それを踏まえて噺に落とし込んだのかぁ。うまいなぁ。
そっちのオチにするんだろうなってのは解ってたけど、オチも改変したのね。
名前が長すぎて救えないところだった…ってところまで言うのは野暮やね。
というところなんだけど、一生の言葉に対するからしの説明。これは野暮だったようにも思う。
あの説明なくても十分わかると思うなぁ。
一生のあの一言で素人さんだからねって感じで今まで講評してたってのも浮き彫り。
そりゃ耳障りの良い受け答えをするわけだ。
まーーーーーたいいところで引きをつかいやがってぇw