本日の夜実況は、HUGプリ最大の賛否両論、物議回である。
いや、本放送時の皮膚感覚だと絶賛のほうが多かったかも知れない。
以下、ネタバレも含む。
サブタイ通りに応援がテーマであるとすると、Aパートのチャラリートの言葉は共感できるものだった。
自分がHUGプリで一番好きな回は11話。チャラさんはこの回、エールの応援で救われている。その経験を踏まえて、チャラさんははなの「応援を応援」する。また、「既にがんばっている相手」への応援も肯定する。
チャラさんの登場は悪くなかったので、前回視聴時の「良くない」は言い過ぎだったかも。「普通」に引き上げた。
かように、「応援の肯定」がこの回本来の意味と思うけど、実際は「史上初の男子プリキュア」の登場回という評価がこの回に向けられたものの大半だろう。
若宮アンリにプリキュアの資格はあったのか?あったからこそプリキュアになれたのだろうから、このシリーズにおける「プリキュアとは?」について考えなければいけない。
まずは設定面。プリキュアはミライクリスタルとプリハートを持たなければいけない。
20話でプリハートが足りなくなり、分裂というご都合主義に満ちた奇跡が起きた。この奇跡を起こすために、予定よりだいぶ早くマザーを登場させたのではないかと想像。
今回はそのプリハートすら必要なくなり、ミライブレスから発せられるアスパワワのビームがプリハートの代わりとなった。今回の出来事も、劇中では「奇跡」と呼ばれたが。
次は精神面。初回のキュアエールから一貫して、「なりたい自分になる」ことがプリキュアに必要とされていた。自分らしくあることは、もちろん素晴らしいこと。
但し、このHUGプリはプリキュアシリーズの一作品。これをヒーローものの作品として成立させる為には、「なりたい自分」がヒーローの要素を持ったものでなければならない。そしてミライクリスタルこそが、プリキュアの精神性を象徴するもの。
はなやえみるは、よく自分のヒーロー観を語っていた。ふたりはヒーロー観、つまりは「なりたい自分」を、「利他の精神を持った自分」と位置づけていたと感じる。なるほど、5人の各々のミライクリスタルは、概ねその条件を満たしたタイミングで出現していた様に思う。
アンリは果たして、プリキュアの資格を持ったヒーローだったか?「なりたい自分」は確かに、人一倍強く持ってはいた。
「なりたい自分を貫く」ことが、プリキュアの資格とすり替えられてしまったように感じる。
その矜持は確かに素晴らしいが、誰もが通らなければいけない平凡なものでもあり、ヒーローの資格を示す特別なものとは自分には思えない。
「なりたい自分を貫けば、誰もがプリキュアになれるのではないか?」
この悪い予感は、近い将来的中する。
最後に、少しだけ毒を。
アンリが「男子プリキュア」であった為、この回への本音を言うことが難しかった一面があった様に感じる。「この回を理解できないあなたのジェンダー観は前時代的なもの」という声も聞こえてきそう。
自分はプリオタだから、あくまで各話をプリキュアとして面白かったかという観点で評価したいと思い続けている。