なんでもできる、なんでもなれる。
今回のアンリくんも、映画のはなちゃんもそうだし、「こんなの私のなりたい私じゃない」って思えることが本当にかっこいいし尊敬する。そしてそこで想いを行動に移せるのも。
だから、キュアアンフィニは史上初のだけど、奇跡なんかじゃないね。
これまで男の子がプリキュアになる例(妄想含む)はあったけど、自ら名乗って敵と戦ったのはアンフィニが初めてかも。
あれは奇跡の力で生まれた、一時的なものなのかな。結局脚は治ってないところが現実味を帯びていて物悲しい。でも、アンリ闇落ちは回避できてよかった(このためにOPのビシンをアンリにするところがにくい)
エールが翼と応援のダブルミーニングってのが回収された。
プリキュア史上初の男の子プリキュア……ついに性別の壁を超えた……これがヒトの革新……ニュータイプか(違
しかしまだ、プリキュアにはまだ壁がある。美少女とイケメンしかなれないという壁が……最終的には性別も美醜も年齢も超越した「おっさんプリキュア」の爆誕をもってプリキュアの進化は完成する!(違……すでにキュアゴリラがいるという話があるけど、あれは変身できなかったから未遂だ。ちな、キュアアンフィニ誕生の際、観客席にFUJIWARA原西がいたのは心憎い演出w
アンリのケガは結局競技復帰できるほどには回復しないのかな。だとしても、自分のなりたい自分を探すという希望をアンリは見出しいる様子。「何でもできる、何でもなれる」はたとえ一つの道が閉ざされても他の道に希望を見出せる、それは無限(アンフィニ)である、という意味にまで昇華されたかと。
プリキュアの歴史に残る素晴らしい回だった
菱田ァ!
トラックのシーンは流石に度肝を抜かれたが、普通に理不尽だし、話としてはちょっと荒かったなと思った。
翼のプリキュア達。
お兄様もプリキュアになれると私も信じているのです!
本日の夜実況。
「なりたい自分」になるという自己実現。それはちょっと、独善めいた響きのあるフレーズでもある。
しかし、どんなに優れた者も、本人の力だけで「なりたい自分」になれるわけではない。誰かの力を借りてこそ「なりたい自分」になれる。何者かになることができるのは、応援されてこそなのだ。
HUGプリの「なりたい自分」と「誰かにエールを贈る」は対でありセット。シリーズ本来のテーマには、意外にも忠実な回ではある。
準レギュラーと言っていいキャラクター、若宮アンリ。
彼が坪田文さん始め、スタッフからの贔屓を一新に受けているのを感じる。
OPの1カットがアンリに書き換えられた厚遇からもわかる。
にも関わらず、この回の気持ち悪さは何なのだろうな。バズに満ちているとでも言えばいいのか。
「応援したい」ととても思えない、独善的なアンリのキャラクターが受け付けないのか。
「唐突な交通事故から、プリキュアになって奇跡の復活」というご都合主義がうすら寒いのか。
20話のプリハート分裂を、自分は「ご都合主義」と言った。
プリキュアへの変身にそもそもプリハートが必要ないことが今回わかったから、ご都合主義という意味では20話の比ではない気もする。
チャラさんがはなを励ますところはよいと思いました。
いきなり話の内容とずれるがキュア〇〇て名前だからプリキュアと考えるかは個々で違うだろう。人によってはキュア○○でもプリキュアでないし、満薫もセバスも七瀬ゆいちゃんもプリキュアであったりする。
自分はアンリには好意的に思ってなかったですし、交通事故もプリキュアにしたいためのご都合に感じてしまった。(ある意味ではアンリくんはスタッフの犠牲者かもなのでかわいそうでもあった)それなのでアンリが「プリキュアになってほしい」とか「なってもいいか」て気持ちになれなかったんですよね。前作のジュリオくんのほうがなってほしかった感があったので比べてしまったところもあった。何年もプリキュアシリーズみてるか見てないかでも感じ方かわってくる所もあるかもね。正直自分はアンフィニはプリキュアとして認めてないです。
最後の応援は翼をくれるてセリフは好き。まあ坪田氏はセリフの重さに頼りすぎな所があって全体的にはうーんて感じであった。自分としてもアンリくんのこれからは応援したい。
度肝を抜かれた
アンリ…
アンリは手術したのなら、点滴は2本でもいいような。
翼と愛のプリキュアなのね。エールフランス?と思ったら、違いましたわ。
既に、妖精、アンドロイドがプリキュアだから……恒常的に。
そもそもプリキュアになれるかは個人の資質であり、女性限定という設定は特にないんじゃなかろうか。
キュアファイアもプリキュア候補に認められたしゴリラやセバスチャンも変身できてるし。個人的にはブッキーの身体でタルトが変身できたのが嚆矢なんじゃないかと思う。
結局の所、プリキュアかどうかは本人がプリキュアと思っているかどうかが重要なのかもしれない。