昨晩、2回目を観てきた。
以下ネタバレあり。この作品だけでなく「魔法つかいプリキュア!」ラストのネタバレも含む。
プリキュアたちが「城」に向かう、ロードムービー的な旅路が特にお気に入り。
本作に4つの「チーム」が存在することは上映前から知らされていたけど、これによって、チーム毎にシリーズの垣根を越えてプリキュアたちが交流していくシーンがよく描かれている。
かと思えば戦闘シーンも素晴らしく、TV本編では見たこともない大胆な構図のシーンの連続で「これぞプリキュア」という躍動感に満ちている。
劇伴も全体的によかったけど、前半の旅路のシーンは特によかった。「このパートだけが最後まで続けばいいな」と割と本気で思っていたw
ストーリー上の動きは主に「城」以降に集中していて、全体のストーリーはシンプルであることに気付いた。
トロプリ秋映画「雪のプリンセスと奇跡の指輪!」にも感じたことだけど、こうした工夫によって「プリキュアらしさ」をこれでもかと詰め込むことができたのかもしれない。
キュアシュプリームが正体を現したとき、かの者はこの世界の成り立ちについても種明かしをした。
ここで前半の旅路パート丸ごとを「茶番だった」と言わんばかりに切り捨てたけど、自分にとってはこの作品で一番良かったシーンが否定されてしまったわけで。
おまけに「実験場」だの「自分の強さを証明する」だのと痛い台詞まで言い始めるし、「ここまで最高だったのに、急に安っぽい話になっちゃったな」というのが、初見での偽りのない感想。自分は悪役に対しては割と「まごうことなき悪人ではあるが、言っていることに一理はある」という共感を持ちたいタイプなので、自分の強さを証明したいなどという至極どうでもいい動機には共感しない。
実はまさにここが肝で、プーカが「変わり始めていた」と言っていたことからもわかる通り、シュプリームは人と「つながる」尊さを理解したくてもできずにもがいていた。
この作品には様々な「F」が込められていただろうけど、一番大事なFはやっぱりフレンドだったのだろうな。一周回ってド直球だけど。
ところでシュプリームは、世界を破壊したり創造したりできる創造主、いわば神の立ち位置だった。
プリキュアでは世界観を語るにあたって、神というワードを頑なに使わないけど、この場はあえて「シュプリームはかの世界の神であった」として話を続ける。
本作にはシュプリームと同じ立場の女神が登場した。言わずと知れたキュアフェリーチェである。
彼女はプリキュアたちに育てられ、日常の尊さを通して女神としての善性を身に付けていった。そして彼女は、自分の世界に戻ればその世界を守っていかなければいけない創造主なのである。
そのキュアフェリーチェが劇中、シュプリームに対して「あまねく生命に祝福を」と改めて言ったが、それはどんな気持ちだったのだろう。
まほプリの世界でキュアフェリーチェが善性を身に付けていく過程は、神々ですら抗えない世界の因果だったのかもしれない。この世界観がまほプリの尊さのひとつでもあると自分は思っているのだけど、かたやこの作品のシュプリームの精神性は未熟なままだった。
案外、「プリキュアたちからお仕置きを受ける」ことこそが、シュプリームが従わなければいけなかった因果だったのかもしれないなw