2回目の視聴文。
今回は主にストーリーについてなので、当然ネタバレ全開。
タイトルにある「キミ」と「アイドル」。ここで言う「キミ」とは、アイドルを推すファンたちのこと。
この「キミ」呼びが秀逸で、アイドルからみたファンたちはひと括りの「みんな」なのではない。劇中、プリキュアが「みんな」と呼ぶこともあることにはあるが、基本あくまでアイドルと「キミ」のワンオンワン。つまり「キミとアイドル」なのだ。
日頃プリキュアを推している我々も同様で、プリキュアから見ればひとりひとりの「キミ」。そんな、全国のあまた居る「キミ」の為の秋映画が、満を持して封切りされた。
舞台は、リゾート感あふれる異界の孤島「アイアイ島」。
かの島で10年に一度行われる音楽祭「スーパーミラクルアイドルフェスティバル」と、その成り立ちをめぐる1000年をかけた壮大な伝説が背景となる。
このファンタジックなプロットには、女神や島民などのアクターが存在。
ここに「アイドル」をアクターとして割り当てる中で、多くの物語がアイドルを「女神」として設定しそうなところ、孤島にとっての異質な存在「異国から来たアイドル」としてキャラ作りをしている意外なプロットが非凡と感じる。
島民はもちろんだが、「アイドルさま」を一番推していたのが、他ならぬ「女神」だったというのが面白い。
ああ、なんてかわいいんだろう…!
なんて、生きる力に満ちあふれているんだろう…!
この島の女神「アマス」はこう言った。物語の中で自分に一番近い立場と感じられ、最も感情移入したキャラクターは、意外にもこの女神アマスだった。
何故なら、推しは自分にもいるから。女神も自分もひとりの「キミ」であることに変わりはないからだ。もっとも自分の推しは、彼女自身のことを「アイドル」とは思っていないだろうが。
「生きる力に満ちあふれた」というアイドルさまから、自らも生を受け取っていた女神アマス。
そのアイドルさまが姿を消したあと、女神は悲しみから生きる力を失い、暴走していった。推しがいない世界は、「キミ」にとって悲しみに満ちたものであるに違いない。
守るべき島民を傷つけた女神は確かに罪深いが、自分には彼女の気持ちもよくわかる。
女神や島民の正体は珊瑚であり、人よりはるかに長く生きることができる。
このことに気付いたのは、聡明なキュアウインク。人であるアイドルと、珊瑚である女神との間で、流れている時間はまるで違う。これが悲劇の真相。
ところで自分の推しは、日頃から「70歳まで歌いたい」と言っている。
一方で、自分と彼女の間にはそれなりの歳の差があるわけだから、恐らく自分は、彼女が夢を遂げる瞬間を見届けることが出来ないだろう。珊瑚と人ほどではないにしても、自分と推しの間で流れている時間は全然違うのだ。
ここでも自分は、女神の気持ちを察することが出来る。当たり前のことを格別に悲しむつもりはないけど、残念には思う。
だからこそ、アイドルのステージには刹那的な輝きがあり、「キュンキュンするのです」とキュアキュンキュンは言う。「キミ」と「アイドル」の時間がたまたま交わり、共に同じステージを創っていくのは、奇跡のように尊いセッションなのであると。
自身もアイドルのひとりでもありながら、熱心な「キミ」でもあるキュアキュンキュン。「キミ」の気持ちを言語化してくれるのは、いつもキュアキュンキュンだった。
女神アマスだけでなく、もうひとりのゲストキャラであるテラも、やはりひとりの「キミ」として描かれている。
曰く、推しのライブなら1000年ぐらいは待てると。石造と化したアマスの頭の上からステージを見下ろし、恥ずかしそうにキラキライトを振るテラが愛おしい。
物語の最後の最後に、「お待たせ!キミに届けるキラッキライブ!」というサブタイはきれいに回収されたのであった。お見事。
今日は連休中日だが、自分の推しは元気に過ごしているだろうか?
彼女の歌を妙に聴きたくなった、2回目視聴の後であった。